少女と地道な捜査
ウォースパイト通りのビジネス街。お昼休みで紳士淑女が食事に往来する時間。
疑惑の旦那が勤める『シロッコカンパニー』オフィスへ続く歩道。そこでサミュは張り込みをしている。
しかし、はっきり言ってここ数日の進捗は
「はい。溶けないうちに食べてくださいね」
「ありがとうお姉さん!」
ポウというあだ名で呼ばれる、お花売りの少女と仲よくなったことぐらいだった。
ターゲットが喫煙者なのでマッチ売りに扮し、商品受け渡しのタイミングを狙っている。が、おそらくヤツはライター派。
ポウが話し相手になってくれるので少しは気も紛れるが、状況が進まない苛立ちは少しずつサミュを焦らせる。
「おねえさんはキレイなお顔してるね」
ポウはよくサミュの顔の話をする。
「ふ、そうでもない」
謙遜や余裕でもなく、焦りによってつい自嘲気味な返事が出てしまう。もっともポウは気付いていないようだが。
「そうだよ。すごいキレイで、カッコいいオトナの女って感じ?」
どうやらポウはサミュの顔の冷ややかな部分を、「大人っぽい=きれい」と気に入っているようだ。素手で触れなくても分かる、この年頃の少女に見られる「大人っぽい」崇拝の心理だ。
「母がミドルネームに
「そういえば学校の同じクラスにもサミュエルって男の子がいるよ」
追い打ちするのか!
サミュ・エルネストがガクッときているうちに。
オフィスから絶妙に人がよさそうで冴えない感じの男が出てきた。
「悪いけど、おねえさんちょっと行かなければならないので」
サミュが自分のジェラートをポウに押し付けて後を追おうとすると
「おねえさん!」
「なんでしょう」
振り返ると、ポウは大人っぽい崇拝に輝いた瞳でこちらを見ている。
「私もおねえさんみたいな美人になれるかな?」
「お嬢さんはそのまま愛嬌あるお顔に育ちなさい」
サミュは心の底からアドバイスした。
ケリー・トーリオ、今回の調査対象。このところずっと彼を張っているサミュだが、
「ベーコンエッグサンドのランチを一つ」
「今日も一人、か」
レストランのテラス席で新聞片手に昼食を待つサラリーマン。サミュは道路を挟んだ向こう側から観察する。
彼は二人掛けの席に一人。対面の席は鞄で埋めてしまい、不倫相手どころか同僚すら来る気配がない。
調査を始めて以来、サミュはトーリオが女性とランチに洒落込む姿をまったく見ていない。つまりは尻尾を見せないのだ。
食後も本屋を少し覗いたくらいで、さっさとオフィスに引きあげてしまう。その本屋の店員とも会話や手紙のやり取りをしている様子はなかったので、完全な空振りである。そもそも店員はおじいさんだったし。
いや、恋愛対象がそのラインであるという可能性を排除してはならない、一応。
空がマジックアワーになるころ。
「おねえさんは帰らないの?」
「童話でも夜までマッチ売ってたでしょう」
「でもあれ凍えちゃってたよ?」
「私はいいから子どもは家に帰りなさい」
「子ども!?」
大人っぽい教信者はNGワードに過敏な反応を示しているが、かまっている暇はない。
時間はすでに帰宅ラッシュ、終業後という不倫のゴールデンタイム。浮気は夜開く。
つまりターゲットの追跡が始まるのである。
「私クラスで一番大人っぽいって評判だもん!」
ぷんぷんと、いかにも子どもっぽくポウが怒る一方。トーリオが相変わらず何も考えてなさそうな顔でオフィスを出てきた。サミュはそっと後を尾ける。
「ん、いや、でも本当は二番……、四番目かも、っておねえさん、どこ行くの?」
「オトナには秘密があるものです」
自分の序列を指折り数えるような少女には、こう言っておけば喜ぶだろう。サミュはトーリオを追い掛ける。
実はこれまで、終業後の尾行も特に成果は上がっていない。
この男、夕食のことしか考えていなさそうな顔をして、そのとおりまっすぐ帰宅が常なのである。
「同僚に誘われたりはしないのか?」
サミュは不倫どころか交友関係にまで思いを巡らせて、勝手に少し心配になる始末だった。
ここまで徹底してガードが堅いと、調査がバレてるんじゃないかという疑念が生じる。何よりランチの注文以外沈黙を保っているトーリオが人間として不気味になってくる。
なんかもう不倫の尻尾じゃなくていいから人と関わりを持ってくれ。人間的な部分が見えたら私が安心するからさ。
サミュはのんやりした顔で人間的活力も発揮しない彼が、牧場の牛にさえ見えてきた。
彼女が自分の妄想に身震いしていると、
「ん?」
なんと、トーリオが花屋に入っていくではないか!
「これは……、チャンスだ……!」
サミュは一気に花屋へ近付き、店の中を窺う。
花屋には女性店員がいるものだ。それが浮気相手かも知れないし、花を買って浮気相手のところに乗り込むというパターンもありうる。
つまりは今が
さぁトーリオ! やれ! いっちまえ! その牧場住まいのような顔して実は野牛の本性を晒け出せ!
サミュはふと店の窓ガラスに映った自分の顔が、リーチの掛かった博打打ちみたいになっているのに気付いた。
あらはしたない。
完全に油断し手で
不意に後ろから袖を引かれた。
「はぁい!」
思わず変な声を上げて振り返ると、
「おねえさん大丈夫? お店の前でどうかしたの?」
袖を引いたのはポウだった。
「なんだ。脅かさないでください」
「そんなに驚くと思ってなくて。それで、ウチの前でどうかしたの?」
「は? ウチ?」
「ウチのお花屋さん」
「は? え、あー」
ポウはお花売り、ここは花屋。
「あー」
そういうことね。
サミュが状況を把握していると、
「分かった! お花が欲しいんでしょ!?」
「は? いや、別に」
「これ、売れ残りだけどあげるね! いつもジェラートくれるし!」
ポウがキラキラした眼差しで花を差し出してくる。断りづらい。
サミュが手を出すと、ポウは彼女がトーリオのために手袋を外していた手をむんずとつかんだ。流れ込んでくる少女の純な憧れにサミュはクラクラ。
と同時に、ある疑問が芽生える。
この花屋はポウの家で、彼女が売り子として手伝うほどの規模。店員もおそらくはポウの母か姉とかそんなところだろう。
となると、もしトーリオの浮気相手がこの店の人間だとしたら?
もしそんなことが判明したら、こんな純真で年相応に幼い少女が生きている世界はどうなる?
少女の人生を破壊する引き金を引くのは、引くのは
「おねえさん顔色悪いよ? 大丈夫?」
サミュはポウの言葉で我に帰った。
少女は心配そうにこちらを見上げている。相当顔に出ていたのだろう。手のひらもじっとりしているし、心拍数も上がっているようだ。
「いえ、なんにも」
ポウを安心させるべく、生返事とともに彼女の頭をポンポンしながら店内を覗き込むと、
トーリオがいない。
慌てて通りを見回すと、彼はすでに花を買い終えて道を急ぐところだった。
これだけ速いなら、どうやらポウのご家族が相手ではないようね。
少女の家庭が守られたことに安堵するサミュだったが、彼女の仕事自体はここからである。今度こそ浮気相手のところに乗り込むであろうトーリオを追い掛けなければならない。
花買って行くとは野郎、顔に似合わずロマンティックなことするじゃねぇか。
サミュが後を追おうとすると、ポウが何やらモジモジしていた。
「ねぇ、ウチで晩御飯食べて行かない?」
「また今度ね」
仕事が佳境だし、何よりおませさんの大人っぽいトークに付き合わされるのもごめんである。
「……」
そしてトーリオはある一軒家に入っていった。
彼と婦人のスウィートホームである。玄関でお花を渡して、イチャイチャキスのおまけ付き。
「……」
ただのいい夫じゃねぇか! これならポウの大人っぽいトークの餌食になった方がマシだったよ!
サミュは小石を蹴飛ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます