終わりは始まり

 最悪な状況とはどういうことを示すだろうか。

 カドリーは混濁する意識の中で考えていた。全身は痛みに堪え力が入らない。目の前にいる女性が敵意を持って立っているにも関わらず、なだめることは不可能だと諦めている自分がいた。


 真っ赤に染まった手に、真っ赤に染まった身体。壁も床も鮮血で赤く染まっており、すぐ傍には肉塊となった友が転がっている。

 戦おうにも気力がわかない。助けを呼応にも、みっともなく生き延びる術を使おうとも思わない。


 カドリーは疲れた。もう終わらせてくれと願った。

 こんな最悪な状況でもいい。こんな終わり方でもいい。

 彼女の手で殺されれば、まだいいかもしれない。だからもう命を絶ってくれと願い待つ。

 そんな何もかも諦めた彼に、アルナは近寄った。殺意に、敵意に、怒りに、憎しみに、ありとあらゆる負の感情に飲み込まれた彼女は赤く染まった手でカドリーの首を締めた。


 もうどうすることもできない。止められない。止まるなんて考えられない。考えたくもない。だから突き進もうとしていた。

 しかし、変化は起きる。カドリーの首を絞めていた手が唐突に離れたのだ。そのまま頭を押さえ、痛そうに顔を歪め始める。

 だんだんと痛みが激しくなってきたのか歯を食い縛り頭を振り始め、アルナは悲鳴に似た叫び声を放った。


「あぁああぁぁぁあああぁぁぁぁぁッッッ!!!」


 何が起きたのかカドリーはわからなかった。

 苦しんでいる彼女に駆け寄り、その身体を抱きしめようとした。だが、足に力が入らない。

 カドリーは思いもしないことに、嘆きかけた。なぜこの大切な場面で自分は動けないのか、と。

 満身創痍な身体を奮い立たせようとする。尽きた気力を蘇らせ、無理に進もうとした。

 だが、どれほど願っても力は復活しない。何もかもが限界だと叫んでいた。それでもカドリーは動こうとする。


「アルナ、アルナっ!」


 カドリーは腕を伸ばす。しかし、その手はどんなに伸ばしても届かない。

 苦しんでいる彼女は、目から涙を流し始めた。そして疲れたような顔をして、カドリーにこう訴え始める。


「カドリー、とても苦しいよ……」


 その一言が、全てを物語っていた。

 彼女もまた苦しんでいたんだ、と悟る。

 記憶を失いつつも、彼女はずっとカドリーから離れなかった。だからこそカドリーの苦しみを全て見てきたのだ。

 喜びも、悲しみも、嬉しさも、虚しさも。何もかも知っている。

 それでも彼女は、カドリーに訴えかける。


「もう、見たくないよ。もっと笑ってよ。私、私は、笑っているあなたが好きなんだよ。だから、だから、そんな顔しないでよ」


 彼女の身体が、赤い光に包まれ始める。

 何が起きているのか全くわからない。わからないからこそ、カドリーはもう一度腕を伸ばした。

 この手を握らなければならない。離してはいけない。絶対に、絶対に諦めるな。

 自分に叫び、奮い立たせ、カドリーは這ってでも腕を伸ばす。

 どんなに惨めでもいい。どんなに情けなくてもいい。

 今ここで、大切な人のために動かなければいけない。そう感じ、カドリーは這った。


「アルナッ!」


 その手を、赤く染まってしまった手を、カドリーは握る。そのまま抱き寄せ、消えようとしている彼女に叫んだ。


「私は、君が好きだ! いろんな間違いを犯したかもしれない。失敗だってたくさんしたと思う。だけどそんな私にずっと傍にいてくれた。だから、だから消えないでくれ。私が死ぬまで、ずっと傍にいてくれ!」

「カドリー……ありがとう、でも、ごめん。私、もう……」

「頼む。お願いだ。消えないでくれ。ずっと、ずっと、記憶を失ってもいいから。だからずっと――」


 アルナの身体が消えていく。だが感触は消えない。

 よく見ると小さな女の子がその腕の中に残っていた。カドリーはそれがすぐに彼女の生まれ変わりだと気づく。もしかしたら、という思いもあったが、すぐに否定されたからだ。


「誰……?」


 その一言を聞き、カドリーは一瞬どういう顔をすればいいかわからなくなる。しかし、すぐに優しく微笑みこう答えた。


「よく眠っていたね。疲れちゃってたみたいだよ」

「寝てたの、わたし? あ、そういえばおじさんは誰?」

「カドリーっていうよ。君は?」

「わたしは、なんだろ? たしか、えっと、ルナ! ルナって名前だった、気がする」

「そっか。いい名前だね」


 カドリーがそう褒めると、ルナはとても嬉しそうに笑っていた。

 アルナという女性はいない。その子供であるルナは、カドリーの腕の中でまた眠りにつく。

 カドリーは残されたルナの頭を優しく撫でた。そして、アルナのことを想いつつ新たな始まりを噛み締めたのだった。


◆◆◆◆◆


 教会に戻ってきたクリス達は、ボロボロになったカドリーを発見し卒倒した。

 急いで身体の治療をし、絶対安静を言い聞かせてしばらく看護することとなる。

 その最中、アルナとは少し違う女の子と話した。彼女は自分が何者で、どんなことをしてどうやってここに来たのかわからないと話していた。


 何かを知っていそうなカドリーに訊ねてみるが、彼は一切語ることはなかった。不思議に感じながらクリスは二人の世話をする。ルナはアルナ同様、リリアとすぐに打ち解けて楽しく遊んでおり、その姿を見るのがちょっとした楽しみになっていた。

 数日もするとカドリーは動けるようになり、それを見たクリスは旅立つことにした。リリアはルナとの別れを惜しんでいたが、自分達の事情もある。


「すみませんね、まさかお世話になるとは」

「困った時はお互い様です」

「ハハハッ、それはそうかもですね」

「それでは、私達はそろそろ――」

「少し、いいですか?」


 旅立とうとした瞬間、カドリーが切り込んできた。何事かと思い顔を見つめると、彼は少し恥ずかしげにあることを訊ねてくる。

 それは、迷信ともいえることについてだ。


「あなたは、生まれ変わりを信じますか?」

「はい?」

「ああ、いえ。入信を迫るとはそういうのではなくて。ただ、まあ、ちょっと考えていることがありましてね」


 クリスは何を考えているのか訊ねようとした。だが、それだと質問から脱線すると気づく。

 だから彼が求めているだろう自分の考えを言うことにした。


「わかりません。もしかしたらあるかもしれませんし、ないかもしれません。同じ人かもしれませんし、やっぱり違うかもしれません。でも、だからといってその人がその人でないってことはないと思います。だから、あまり気にしなくてもいいと思います」


「友達が死んで生まれ変わったとしても、ですか?」

「その時はそう信じるかもしれません。でも、今はそう考えます。もし生まれ変わりだったとしても、その人が大切なら大切な人のままです。価値なんて変わりませんよ」


 カドリーは少し静かになる。そんな彼を見つめていると、すぐに優しく笑ってくれた。

 彼にとって納得できる考えだったのか。それとも腑に落ちなかったのか。わからないが、彼はしっかりとした人の対応をしてくれた。


「ありがとう、クリスさん。少し気が晴れましたよ」


 事件は終わる。何も得られなかった出来事だった。

 だがそれでよかったかもしれない。

 クリスはずっと見送ってくれるカドリーと元気よく手を降ってくれているルナに頭を下げ、リリアと一緒に教会を後にしたのだった。

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