猛る想いは紅蓮となって
魔術阻害の結界。その大本になっている石碑の前にクリス達はいた。
誰にも邪魔されず、どうにか結界の破壊に成功する。
だが、クリスは大きな違和感を覚えていた。
『これで魔術が使えるようになったね!』
「うん、そうだけど……」
『どうしたの? あんまり嬉しそうじゃないね』
「魔術が使えるようになってよかったと思ってる。でも、なんか変」
『変? 何が変なの?』
クリスは感じ取るおかしさをどう言語化しようと考える。そのために石碑に組まれていた術式を見直した。
確かに魔術阻害の結界になるような幻想文字が刻まれている。
しかし、それ以外にも関連付けられた文字があった。結界を破壊するために仕方なく消したが、本当によかったのかとクリスは考えていた。
「消しちゃいけないことを消しちゃったかもしれない。そう考えてる」
『例えばどんな?』
「わからない。でも、消さないといけないところに消しちゃいけないものが紐づけされてた気がする」
クリスはリリアと話しつつ、違和感の正体を考える。
消さなければ結界は壊れず、魔術は使えない。だが、その消去対象に妙な言葉が紐づけられていた。
まるで陽動されたかのような、そんな感覚が襲ってくる。
『よくわからないけど、いいんじゃない? どのみち消さないといけなかったんでしょ?』
「うん。だけど……」
『とっても引っかかってるんだね。じゃあさ、もう一回読み解いてみようよ』
「読み解く? リリア、できるの?」
『アタシはできないからクリスに任せる!』
リリアに促され、石碑に刻まれている文字を見た。
そこに記されているのは、一人の死神の物語。王国に仇をなし、小さな国の英雄と讃えられた男の人生だ。
クリスはそれを術式と関連付けられていると気づき、ナイフの刃を使って削り取っていた。古典的な方法だが、こういうものから力を奪うにはこれが一番である。
だから様々な箇所が穴あきになっていた。もはやどんな人生だったのかわからないが、それでも一応読んでみることにした。
「ランベルは英雄となった」「我々の敵」「死神」「命を刈り取る」「絶対的な死」「一族」「殺せ」「根絶やし」「何もかも」「殺せ」
クリスは残された文字を見て、改めて違和感を覚えた。
まるで人の負の感情が煮込まれ、濃縮されたかのような言葉が並んでいる。
なぜこんな言葉しか残っていないのか。クリスは考え、そして一つの結論に行き着く。
「やられた」
そう、クリスは誰かに誘導され、利用されたのだ。
そのことに気づき、改めて石碑を見つめる。もし、魔術阻害の結界すら誘導でしかないのであれば、敵は何か大きな勝算があってクリスにこんな真似をさせたとしか思えない。
そうであるならば、何を狙ってやったのか。
クリスは考え、一つの結論に辿り着く。
「眠れる魂……」
『誰かが復活するの?』
「魔獣とかそういった危険な感じはしなかった。だからそれは――」
何かを言いかけてクリスは気づく。
確かに危険な存在は封印されている様子はなかった。かといって強力な力が眠っている様子もない。
だが、おかしなことにあの幼い少女の姿が目に浮かんだ。
もしかしてこの石碑に刻まれいたのは彼女の思い出ではないのか、と考えてしまう。
そうであるならば、彼女は憎しみでいっぱいだ。
「リリア、離れてて!」
『どうしたの、クリス?』
「一か八かこの石碑を壊す。たぶん、そうしなきゃいけない!」
憎しみに染まった人間はどんな兵器よりも恐ろしい。だからこそ、その大元になっている石碑を破壊する。
クリスが魔術を使い、石碑を粉々にしようとした瞬間、誰かに腕を掴まれた。
そのまま力尽くで振り上げられると、それは笑う。
「それはいけませんよ」
クリスは思わず顔を覗き込む。だが、その男はピエロの仮面で素顔を隠しており、どんな表情をしているのかわからなかった。
咄嗟に腕を払い、後ろにステップを踏んで距離を取る。そのまま臨戦態勢をクリスは取り、仮面の男を睨みつけた。
「これはなかなかのじゃじゃ馬ですね。そのほうが調教しがいありますが」
「あなた、誰?」
「一応名乗っておきましょうか。わたくしの名前はピエトロ。愉快な道化師でございますよ」
「道化師? そうは見えないけど?」
「おや、この仮面が目に入りませんか? いかにも道化師って感じで戯けているではありませんか?」
「なら、どうして血の臭いがするの? あなた、ここで何人殺してきた?」
クリスの問いかけにピエトロは言葉を止めた。だがすぐに喉の奥を震わせ、くぐもった笑い声を吐き出し始める。
そんな彼を睨みつけながらクリスはにじり寄る。するとピエトロは、仮面を押さえながら天を仰ぎ、高笑いをし始めた。
「クアッハッハッハッ! これは予想外。ホント予想外。魔術にしか長けていないと思っていましたが、しっかりと経験を積んでなさる。まさに予想外でありますよ!」
ピエトロはひとしきり笑い終えると、ゆっくりとクリスへ踏み出し始める。
それを見た彼女は、近づくことをやめた。距離を保ちつつ、攻撃する機会をうかがい始める。しかし、ピエトロはそんな彼女を気にしない。
ガンガンと前に出て、攻撃を待っている。クリスはあまりにも露骨なため、攻撃が仕掛けられなかった。
「いやはや、まさかまさか。かの〈神〉に寵愛を受け、魔術では右に出る者はいないと聞いてましたがこの様子だとそこら辺のアサシンよりも経験を積んでらっしゃいそうですね。よかったら私の元で働きません? 悪いようにはしませんよ?」
「遠慮する。あなたは反吐が出る」
「あら、それは残念。百回目のプロポーズでしたがまさかフラれるとは。いやー、悲しいですね。ホント悲しい。悲しくて悲しくて頭もおかしくなりそうで。これは、八つ当たりしないといけませんねぇ」
クリスは露骨に残念がっている敵を見て、突撃した。
そんな彼女を見てピエトロはパチンと指を鳴らす。途端、クリスは赤い閃光に包まれ、爆発する。
しかし、この程度ではクリスは死なない。
黒煙を突き破り、ピエトロの胸に目がけてナイフの刃を突き立とうとする。
だが、おかしなことにピエトロは避けない。それどころか両腕を広げ、刃が突き立てられたと同時にクリスを抱きしめた。
「ッ!」
「これはこれは。わたくしの胸に飛び込んでくるなんてよっぽどお求めだったんでしょうね」
「離して!」
「離しませんよ。あなたが、死ぬまでね」
身体が締めつけられ始める。クリスはどうにか逃れようとするが、とんでもない力でガッチリと掴まれているためかできない。
まるで大蛇に巻き付かれたみたい。そんなことを感じながらクリスは抗っていた。
「いいですねいいですね。か弱い女の子が苦しむ姿。いつ見ても、そそりますよぉー!」
ピエトロは苦しんでいるクリスを見て笑う。
思わず背筋が凍り付きながらも、クリスはそんなピエトロから逃れようと暴れた。
『クリス!』
石碑の裏に隠れ、様子を見ていたリリアが叫ぶ。
このままではクリスがやられてしまう。そんなの嫌だ、と心の中で拒絶していた。
だが、助けるにはどうすればいい。相手の気を引けさえすればどうにかしてくれるだろうが、どうすればいいのかとリリアは考える。
ふと、物陰にしている石碑に目を移した。確かこれを破壊しようとして敵は現れた。つまり、これを壊されれば敵は困るということだ。
しかしリリアの力では直接石碑は壊せない。クリスのような攻撃魔術を使えれば楽かもしれないが、使えないのでそれは諦めるしかない。
ならどうすればいいだろうか。
考え、そして目に入る。後ろにある崖を。
『やるっきゃない!』
古典的な方法だが、石碑を押して落として壊す。
自分の何倍もある物体だが、やらなければクリスがやられる。
リリアはそう考え、押し込み始めた。
しかし、いや当然のように石碑は動かない。ピクリとも動く様子がない。
少し疲れ、押すのをやめて考え始める。
時間はないが、工夫をしないと落とせない。そう感じたからだ。
ふと、転がっているクリスのナイフが目に入った。石碑に刻まれた文字をえぐり取れるぐらいすごい切れ味を誇る刃だ。
普段なら危ないからといって使わせてくれないが、今はそんなこと言っている場合じゃない。
リリアは落ちていたナイフを取り、石碑へ近づく。そして切り倒す感覚で石碑の根元にナイフを突きつけた。
だが、リリアは気づいていない。そのナイフは持ち主の感情と魔力によって性能が変化することを。
「へっ?」
一瞬だけ光が閃いた。
その一瞬が駆け抜けると、赤い閃光が迸り大きな爆発音が広がる。
何が起きたのか。思わずピエトロが振り返ると、そこにあったはずの石碑が木っ端微塵となっていた。
「なっ」
思いもしない光景にピエトロは言葉を失っていた。
クリスは呆然としている敵の隙を突き、その腕から脱出する。
そして天高く打ち上げられたリリアを見つけ、その身体を受け止めた。
「リリア、大丈夫?」
『死ぬかと思った……』
互いに死にかけたが、そんなことを気にしない。
クリスとリリアは敵であるピエトロに目を向ける。だが、彼の姿はすでになかった。
任務が失敗した形だったとはいえ、終わった。だから余計な戦闘はせず撤退したのだ。
クリスはそのことに胸を撫で下ろす。安心して息を吐き出すと、途端に全身に痛みが走った。
『大丈夫?』
「うん。それよりもカドリーさん達が心配」
『そうだね。戻ろう』
こうしてクリス達は軍隊を撃退に成功した。
二人はカドリー達が無事であることを願いつつ、教会に戻ることにしたのだった。
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