嫌な思い出は単なる始まり
幼い頃に見た懐かしい光景が少女の目の前に広がっている。まだ身体の自由が利き、走り回ることも歌うこともできた時の出来事だ。
住んでいた町にあった封鎖された教会があり、そこで友達とかくれんぼをして少女が遊んでいた。
しかし、いつまでも友達が探しに来ないので隠れるのをやめる。
おかしいな、と思いながら友達を探し始めると嫌な音が聞こえた。
グチャグチャ、バリバリ、という音が響く。少女は恐ろしさを覚えつつも好奇心に負け、その音の元を確認し始める。
覗くように壁から顔を出し、音を発しているそれを見た。
そこには倒れている友達がおり、顔は青白く染まっている。その友達の傍には黒い何かがおり、蠢いていた。
何をしているのかと思い、よく見てみる。
するとその周りには赤い液体が広がっていた。
「ひっ」
少女は何をされているのか気づき、小さな悲鳴を上げてしまう。
その声に気づいた何かは振り返る。それは狼頭の人型モンスターであり、その口元は真っ赤に染まっていた。
彼女は慌てて逃げ出す。だが足がもつれ、そのまま転んでしまった。痛みで顔が歪んでしまうが、それでも逃げようとする。
だが、それよりも狼頭は先に動いた。
「あぐっ」
叩きつけられるように、力いっぱいに頭を押さえつけられる。雄叫びのようにけたたましい声が放たれ、少女は身体がすくみ上がった。
このまま友達のように食べられちゃうのか、と泣いていると唐突に狼頭は倒れる。
彼女は何が起きたのかわからず身体を起こすと、目の前に妙に黒い何かがいた。
「ひぃっ!」
黒い何かからうねうねとしたものが伸びている。思わず逃げようとするが、そのうねうねに手足を絡め取られてしまった。
少女は今度こそもうダメだ、と泣いた。このまま食べられちゃうんだと思っていると、黒い何かがあることを問いかけてくる。
『お前、綺麗だな。名前はなんだ?』
「ふぇっ? あ、な、名前……?」
『そうだ名前だ。教えろ』
「わ、わたし、わたしは、ジェーン」
『なるほど、ジェーンか。いい名前だな』
黒い何かは嬉しそうにニィッと口角を上げた。ジェーンの手足を拘束したまま身体を持ち上げると、こんなことを問いかけてくる。
それは彼女の運命を決める言葉でもあった。
『我の嫁になるか?』
「よめ? お嫁さん?」
『そうだ、嫁だ。死ぬまで俺と一緒にいるということだ。どうだ、いいだろ?』
「で、でも、わたし、まだ子どもだよ?」
『なら成長するまで待とう。それならいいだろ?』
逃げることはできなかった。もし断ればどうなるかわからない状況でもあり、ジェーンは首を縦に振るしかない。
それを理解した彼女は涙を堪えながら「うん」と返事する。
すると黒い何かは歓喜の声を上げ、ジェーンの身体を引き寄せた。そのまま抱きしめると、黒い何かはこんなことを告げた。
『いい子だ。では我からいいものを贈ろう』
「ヤダ! 離して!」
『何、恐れるな。数年は苦しいもしれんが、乗り越えれば大きな能力を得る。夢はなんだ? 見合った能力を開花させてやるぞ』
「わ、わたしは、ゆめなんて――」
『そういえば綺麗な歌声があったな。そうか、お前は歌が好きだな。なら、誰にも負けない歌声を授けよう。技術も与え、才能もやろう。くく、将来が楽しみだぞ』
黒い何かの中心が開く。そこには大きな瞳があり、少女を見つめていた。
彼女はあまりの恐ろしさに息を止める。黒い何かはその姿を見て、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
『我が祝福を受け取れ』
それは最悪な出来事だった。
あまりにも最悪で、思い出したくもない記憶。しかし、それが彼女の運命を決定づける出来事でもある。
そしてその運命は、一つの分岐点に直面していた。
◆◆◆◆◆
懐かしい嫌な空気がジェーンの肌を撫でる。その冷たさに刺激され、目を覚ますと見覚えのある光景が広がっていた。
そこは幼い頃、遊び場だった廃墟となった教会だ。友達を失い、怖い思いをした場所でもあり、バケモノに婚姻を結ばされた嫌な思い出もある。
なぜこんな所にいるのか。
そんなことを考えていると嫌な声が聞こえた。
『なんと美しいものだ』
振り返ると幼い頃に婚姻を結んだバケモノがいた。真っ黒な何かの真ん中には大きな瞳があり、周りにはおぞましいウネウネした何かがある。
ジェーンは思わず悲鳴を上げ、逃げようとした。
だが、手足が何かに拘束されておりできない。よく見るとウエディングドレスに服が変わっており、それに彼女は言葉を失った。
『約束は果たした。次はお前の番だ』
「な、何が約束よ! 勝手にあなたがやったことでしょ!」
『気丈なのもいいものだ。まあ、それもすぐに変わる』
黒い何かはジェーンに近づく。そして身体を震わせる一言を言い放った。
『今夜は寝かせんよ、ジェーン』
逃げようにも逃げられない。もしここで拒絶してしまえばこの場で殺されるかもしれない。しかし、このままここにいたら何をされるかわからない。
様々な恐怖が彼女に襲いかかる。だが、何もできないのが現状だ。
『式の後、楽しみにしているぞ』
黒い何かは去っていく。ジェーンは身体を震わせながらその背中を睨みつけていた。
何もできないうえに、逃げられない。
その事実にジェーンは打ちひしがれていた。
◆◆◆◆◆
ジェーンの様子を見た厄災ガルダンはいい気分で教会の待合室に移動していた。やっと念願だった美しいものと結ばれる。そのことを考えるだけで顔がひどく緩んだ。
人の礼式に則り、純白のスーツへ着替える。
白いネクタイを結び、あとは式が始まるまで待つだけだ。そう考えていると手下が慌てた様子で駆け込んできた。
『た、大変です主!』
『どうした? ジェーンに何かあったのか?』
『違います! ラルベル様が謀反を起こしました!』
『なんだと?』
そう、これは運命の分岐点。厄災ガルダンにも例外なく訪れた分かれ道だ。
だが、ガルダンは気づかない。
選択すべきことをすでに間違えているということに――
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