未来への大立ち回り

 名もなき少年、いやヴァンが彼女と出会ったのはいつの頃だったのかあまり覚えていない。

 ただ、彼女は泣いていた。

 感覚を失い、声を失い、何も見えない。だから怖くて泣いているのだろうと考えていた。しかし、それは違った。彼女が恐れていたのは、決まっていた運命のことだ。


『未来が怖い』


 文章でやり取りをしていたヴァンに、彼女はそう告げた。

 ヴァンはどうして恐れているのか聞いてみる。

 すると彼女は、暗い顔をして続きを文章にした。


『私の病気は、病気じゃない』

『これが治ったら私は約束を果たさなきゃいけない』

『勝手に結ばれた約束なのに、それなのに』

『私は、あんな奴との結婚なんてしたくない』


 全てを知るヴァンにとってそれは、ツラい告白のように感じていた。だが彼は敢えて知らないふりをする。

 だから心のない言葉をかけた。彼女の気持ちをないがしろにして、見当外れの言葉を放ったのだ。


「そんなこと言わないで。病気はきっと治るし、輝かしい未来だって待っているよ。だから、諦めちゃいけないよ」


 彼女はうな垂れた。何もわかってくれないヴァンに、失望している様子だった。

 そんな彼女を見てヴァンは、心が痛くなる。

 至って普通の言葉を返しただけ。しかし、それが彼女にとって絶望でしかない。

 もし、自分が同じ立場ならどうなっていただろうか。そんなことをふと考え、ヴァンは仕方なくある言葉を口にした。

 それが彼女の運命を変えると知ることもなく――


「なら、僕があなたを守りますよ」


 彼女は顔を上げる。数秒間、いやもっと長くヴァンを見つめていた。

 まるで言葉の続きを待っているかのように、ずっと見つめていた。

 ヴァンはそんな彼女を見つめ返し、真剣な表情でその続きを言う。


「どんなことがあっても、どんな大変な想いをしても、あなたを守ります。例えあなたが望まないのであれば、王様にだって立ち向かいます。僕はあなたを必ず助け出します。だから、笑ってください」


 それは彼女にとって大きな救いの言葉だった。

 もしかしたら単なる気休めでしかない言葉を、彼女は信じた。いや、ヴァンという少年を信じたのだ。

 だから彼女は嬉しそうに泣く。情けなく笑って、ヴァンに抱きつく。


 押し倒されたヴァンは驚いた表情を浮かべる。だが、声にならない声で「ありがとう」という言葉を聞き、彼は優しく背中を撫でた。

 この時から彼女は前を向いた。ヴァンにとって与えられた役目を果たした瞬間でもある。

 だが、終わりではない。前向きになったからこそ傍にいた。


 そしてヴァンは、彼女の輝きを見る。どうして主がジェーンに魅了されたのかその理由を知った。

 だからこそ惹かれる。ジェーンという女性の輝きと強さに。


◆◆◆◆◆


 荘厳で綺麗な鐘の音が響き渡る。

 結婚式の始まりを告げる合図だ。ジェーンは手には枷を、足には逃げ出せないように鎖が繋がれていた。

 その鎖を持つ見ず知らずの付添人に連れられ、式場に参上する。


 今すぐ投げ捨てたいブーケで枷を隠し、待っているバケモノの元へ向かっていく。

 もうすぐ本当に逃げられなくなる。

 ジェーンはそれを考え、堪らなく嫌になった。しかし、逃げようにも逃げられない。

 諦めるしかない状況の中、顔を隠していたベールがまくし上げられた。


 笑っているバケモノは近くで見るとさらに気色が悪い。

 顔一面に広がっている目玉の全てが彼女の顔を見つめると、あまりの気味悪さに姫を上げたくなった。


『綺麗だぞ、お前』


 身体を抱き寄せられる。どうやら神父に扮したバケモノの言葉を待たず、口づけを交わすつもりだ。

 ジェーンは思わず手を出して拒絶した。


「いやっ!」

『ガルダン様、まだ早いですよ!』

『うるさい! 邪魔をする気か!』

『物事には順序というものがあります。それに花嫁が驚いているじゃないですか!』

『そんなもの守ってられるか!』


 ガルダンは部下の制止を振り切り、ジェーンとキスをしようとする。

 彼女は必死に抵抗し、どうにか逃げようとした。しかし、まだ自由が聞いた手は絡め取られ、完全に抵抗できなくなってしまう。

 ガルダンは改めて身体を引き寄せる。そして恐怖で包まれているジェーンの顔を見て、鼻の下を伸ばしていた。


『さあ、誓いの口づけをしようぞ』


 ジェーンは泣く。誰も助けてくれないこの状況の中、諦めたように。

 もうダメだ。ヴァンもいないから助からない。

 そう思い、全てを諦めた瞬間に式場の扉が開いた。


「その結婚、待ったぁー!」


 ガルダンの動きが止まる。泣いていたジェーンは声を聞き、嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 涙で霞んで姿はハッキリとわからないが、来てくれた。

 ジェーンを守ってくれる大好きな人が。


「遅いわよ、バカ……」


 何かが駆けてくる。ジェーンを守ろうと一目散に。

 式を見守っていた部下達が彼を阻害しようとするが、全てぶっ飛ばされる。

 何が起きたかわからない顔をし、飛んでいく部下を見てガルダンの表情が変化する。ジェーンから視線を外し、突っ込んでくる愚か者に身体を向けた。

 飛びかかってきたそれに手をかざす。

 途端に魔力のぶつかり合いが起き、衝撃が走ると共に式場の壁に亀裂が入った。


『我に楯突くとは恐れ入ったな、ディアシー! いや、ヴァンと呼べばいいか?』

「何とでも! 悪いがジェーンは返してもらう!」

『返す? あれは元々我のものだ。お前に預ける前から契りを結んでいた。ゆえにお前のものではない!』

「なら奪い取るだけだ!」


 ヴァンはそう見得を切ると、ガルダンを押し込んだ。

 思いもしないことに厄災ガルダンが驚き、態勢を崩す。そのまま強烈な一撃を顔面にお見舞いし、ヴァンは床へ着地した。

 倒れたガルダンを確認し、すぐに拘束されているジェーンに振り返る。

 そして彼女を捕らえていた枷を全て破壊した。


「大丈夫ですか?」

「遅いわよ、このバカ!」


 ジェーンがそう叫ぶと、ヴァンの胸を叩いた。何度も何度も叩いた後、その身体を優しく抱きしめる。

 泣きながら、だけど嬉しそうな顔をして「ありがとう」と彼女は告げたのだった。


「遅くなって申し訳ございません」


 ヴァンは優しく微笑む。そして背中に手を回し、優しく頭を撫でた。

 そんな二人を嘲笑うような声が響く。思わず振り返ると、倒れたはずのダルカンが起き上がっていた。


『情が移ったようだな。まあいい、邪魔するならお前を殺してから手に入れようぞ』


 ダルカンから黒い霧が広がる。

 それを見た部下達が悲鳴を上げ、逃げ出した。しかし広がった霧は部下達を飲み込み、溶かしていく。

 霧の中に広がる目玉は、全てヴァン達に目を向けられていた。

 そして、花嫁を守る姿勢を見せる彼に告げる。


『我が腹の中で悶え苦しめ!』


 黒い霧がヴァンを飲み込もうと迫った瞬間だった。

 何かが煌めき、迸る。

 それは閃きとなり、ヴァンの身体を包み込もうとしていた霧を切り裂いた。

 霧散していく中、ダルカンは悲鳴を上げる。

 そして邪魔をしてきた存在に目を向けた。


『キサマァァ!』


 メガネをかけた銀髪の少女。

 ジェーンとは違う美しさを持つ恐るべき魔術師。

 そして、ダルカンすらも手が出せない愛されし呪われ人。


「二人とも逃げて。私がどうにかする」


 クリスはそう告げ、手に持つナイフの切っ先をダルカンに向けた。

 ヴァンはその言葉は聞き、すぐにジェーンを抱き上げて逃げ始める。

 それを見たダルカンが霧を伸ばし、二人を捕まえようとした。だが、それは再びクリスのナイフによって切り裂かれてしまう。


『オノレ、邪魔をするな!』

「あなたが邪魔。悪いけど、死んでもらう」

『大きく出たな、小娘が! 死ぬのはキサマだ!』


 ダルカンは怒りに狂いながら叫んだ。

 クリスはそんなバケモノを強く見つめ、戦う構えを取る。

 二人を逃がすために、いや二人が安心して暮らしていけるようにするために、退けない決戦が始まった。

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