神様は楽しげに笑う

 不思議な輝きを放つ石碑の前で、リリアはユーリの話を聞いていた。

 その内容はとても残酷なものでユーリの父親でもある村長の神経を疑いたくなるほどのものだった。


「私ね、神様への供物として川に流されたんだ」

『流されたって、どうして……?』

「ここ三ヶ月は雨が降ってないって話、覚えてる? 実はもう少し前からここは水不足で困ってたんだ。だから神様の機嫌を取るために、私が選ばれたの」

『なんで? なんでそんなことに?』

「お父さんにとって私が、いらない存在だったから。私が来てからお父さん、いろんな失敗をしてダメになっちゃったから。水を利用して立ち上げた事業は失敗したし、優しいお母さんは死んじゃったし、私のせいでいろんな不幸が起きちゃったんだ」


『そんなの、八つ当たりだよ! ユーリちゃんが全部悪い訳ないじゃない!』

「でも、お父さんはそう言った。そう言っちゃったんだ。そうしなきゃ自分を保てないぐらい追い詰められちゃったんだ。今だって必死にもがいてるし、どうにかしようとしてる」

『だからって――』

「それに私、お父さんともお母さんとも血の繋がりがないから。だからそうなっちゃったんだ」


 言葉が出なかった。ユーリが告げた真実を聞き、リリアは全てを否定したくなる。

 だが、彼女は自身に降りかかった不幸を全て受け入れていた。

 そんなこと、まだ幼い少女が普通できることじゃない。もしかすると彼女にとって今の家族は大切な人達なのだろう。

 しかし、だからとってリリアは納得できなかった。


『違う。そんなの家族じゃないよ』

「え?」

『例え血の繋がりがなくても、家族ならそんなことしない。あなたに全てを押しつけるなんてことしないよ!』

「……だけど」

『水不足、事業の失敗、お母さんの死。この全てがユーリちゃんに責任あるなんておかしい! 事業の失敗なんか自分のせいじゃない。それをユーリちゃんに押しつけるなんておかしいよ!』


 ユーリの顔が歪む。リリアが言っていることは正しいからだ。

 起きた大きな不幸はユーリのせいではない。ただ村長が自分のせいだと認めたくなくて、彼女に責任を押しつけただけである。

 それに気づいたからこそ、リリアはユーリのために怒った。


『あなたが抱えることじゃない。お父さんが抱えなきゃいけないことだよ。だから、だから――』

「わかってるよ! でも、もうどうしようもないの!」


 ユーリは叫んだ。決壊したかのように感情を剥き出しにして、泣き始める。

 わかっていた。自分に全てを押しつけられたことぐらい。

 わかっていた。お父さんが自分の失敗を認めたくないことぐらい。

 だけど、どうしようもなかった。なぜならユーリはもう――


『それ以上はやめてくれ』


 ふと、透き通った声がリリアの頭の中で響いた。振り返るとそこにはアルヴィレの姿がある。

 少し悲しげな顔をし、アルヴィレはリリアに語り始めた。


『彼女は受け入れるしかないんだ。もう、どうしようもない』

『どうしてっ? あんなにひどい目にあったのに――』

『川に流された。これがどういう意味か、わかるか?』


 リリアはアルヴィレの言葉を受け、ハッと息を飲む。

 まさかと思い、ユーリへ振り返る。アルヴィレは気がついたリリアのために、その意味について語り始めた。


『彼らにとって神へ供物を捧げる。それが人の場合、死と同等の意味となる』

『そんな……じゃあユーリちゃんは死んだ扱いがされてたってこと?』

『そうだ』

『そんなのって――』


『あの時は水量が少なかったとはいえ、白装束を着たユーリが川から流されてきたから驚いたものだ。慌てて助けたものだが、かなりひどい状態だった。たまたま助けられたからよかったが、それによってユーリはさらに苦しむことになってしまった』


 神への捧げ物。それに選ばれたユーリは、生きていてはいけない存在だった。

 だから村では村長である父親に激しい拒絶をされていたのだ。


『彼女は、姉以外には気味悪がられていた。それでもあの村に残る選択をした。私は、何か事情があるだろうと考え許していたが――』

『許せないから、雨を降らせなくしたの?』

『いや、天候は私の能力ではない。それに、私は守り神だ。だがそれは誰かが間違えて伝えた伝承によっておかしくなってしまった』


 悲しげに語るアルヴィレに、リリアは強い眼差しを向けた。

 村長、いや村人がしたことは許せないことだ。だからアルヴィレに自分の感情を伝えた。


『いろんなことが間違っているよ。許せないよ、こんなの。全部ユーリちゃんに押しつけて。無事に帰ってきたのに気味悪がるなんて。それが人のすることなの!?』

『あなたの言いたいことはわかる。だが、それが人だ。彼らは思った以上に強く、思っているよりも弱い。ユーリはその弱さの犠牲になってしまった』


『だから受け入れろっていうの? そんなのおかしい。間違っていることを正しいと言っているようなものだよ。すでに終わったからって蒸し返すな? そんなの嫌よ。誰かの間違いを、失敗を、責任を押しつけられて何もできないなんて、おかしすぎる!』

『ああ、そうだな。あなたの言う通りだ。だが、人はそうしなければ前を向けないときがある。失敗を認められない者もいる。誰かに押しつけ犠牲にしないと進めない者だっている』


 リリアは怒りを剥き出しにする。

 アルヴィレはその怒りを受け止めながら、事実を語った。


『人は思っている以上に強いが、思っているよりも弱いんだ』


 堂々巡りの対立だった。

 リリアの怒りを受けてもなお、全てを見てきたアルヴィレには届かない。だからもっと何をを言おうと彼女は口を開こうとした。

 だが、それを止める者が現れる。


「リリア」


 振り返るとクリスの姿があった。

 リリアは彼女を見て、自分が何をしようとしていたのか気がつく。


『ごめん……』


 ユーリがこうなった責任をアルヴィレに問い質していた。アルヴィレのせいではないのに、全てを押しつけようとしていたのだ。

 これでは村人達と変わりない。それに気づいたリリアは、そのまま押し黙った。

 クリスはその姿を見て、アルヴィレに近づく。

 敵意がないことに気づいているのか、アルヴィレは身構えることなく彼女に声をかけた。


『二度目だな、愛されし者よ。ここに何しに来た?』

「あなたと話をしに来ました。正確にはお願いをしようと思っています」

『願い? 悪いが私には――』

「あなたの神の座を、彼女に譲って欲しいんです」


 アルヴィレはクリスの思いもしない言葉に目を大きくした。

 リリア、そしてユーリも耳を疑い彼女へ顔を向ける。

 とんでもないお願い、いや提案だ。普通なら例え守り神であったとしても聞き入れてくれるものではない。

 だが、クリスには勝算があった。


「もし聞き入れてくれるなら、私と契約をしてほしい。もちろん、あなたに見合った対価を支払います」

『なるほど。それなら座を退いたとしても力を維持できよう。しかし、私の対価は大きいぞ?』

「覚悟の上です」


『……一つ問おう。なぜそこまでする? ユーリの境遇は確かに目を覆いたくなるような悲劇だ。だが、お前にとって赤の他人でもある。そんな人物を助ける必要があるか?』


 それは当たり前で、とても意地悪な質問でもあった。

 しかし、クリスは迷わない。ユーリを一度見つめてからアルヴィレに振り返り、その問いに答える。


「同じ境遇で、同じ立場。私はたまたまみんなに受け入れられて救われた。でもそうじゃなかったら、私もユーリちゃんと同じことになっていたと思う。それに――」

『それに?』

「人は思っている以上に弱いけど、思っているよりも強いから。それをあなたに証明したいの」


 その言葉を聞いたアルヴィレは、思わず目を覆いたくなった。

 人は弱い。儚く脆く、簡単に死ぬ。しかし、彼女はそれを覆そうとしている。


『面白い。なら私に証明して見せろ、人間よ』


 アルヴィレは頭を垂れる。クリスはそんなアルヴィレの頭に手をかざした。

 アルヴィレの額に一つのエンブレムが浮かび上がる。それは薔薇に似た模様であり、クリスの手の甲にも浮かんでいた。


「契約、完了」


 アルヴィレは頭を上げ、見つめているユーリに振り向いた。その身体が光の粒子となり、空間へ溶けていく中で黒い守り神は優しく語りかける。

 それは、ユーリが行き着く選択の道しるべになるような言葉だった。


『ユーリ、楽しかったよ。私のワガママでこの座を押しつけてしまうが、頑張って欲しい』

「アルヴィレ……」

『私は何度も君の優しさと明るさに救われた。一人だった私は、君のおかげで満たされたよ。だから、忘れないで欲しい。もし迷ったら、過去の君を思い出してくれ』

「アルヴィレ!」


 アルヴィレは姿を消す寸前、ユーリの流す涙を舐め取った。

 そのたくましい毛皮で覆われた身体を彼女は抱きしめ、今生の別れを惜しんでいた。

 完全にアルヴィレが姿を消すと、ユーリは崩れ落ちる。その胸にはペンダントがあり、それを抱きしめ彼女は大声で泣いていた。


『クリス、あの村はどうなるかな?』

「ユーリちゃんの選択次第、かな。悪い選択をしなかったらいいかもね」

『リップルさんは、どうなるかな?』

「彼女は守られるよ。他は、わからない」


 ユーリは泣く。泣いて泣いて泣き続けた。

 そんなことをしていると、空間が歪み始める。気がつくと元の世界に戻っており、たくさんの雨が降っていた。それはユーリの心と同調しているかのように長い間、降り続ける。


 それでもクリスとリリアは見守り続けた。彼女が泣き止むまで、ずっと。

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