第49話 社会人⑫ 初顔合わせ
「もう寝ねちゃったか。」
落ち着いた雰囲気の店内、大手珈琲チェーン店の派生店。
様々なテーブルや椅子があり、中にはリラックスし過ぎて眠ってしまいそうなリクライニングチェアーまである。
真樋達が座っているのは個室であり、外部からの視線や話声は極力干渉しあわないような作りとなっていた。
来店してからそれなりに時間は経過しており、テーブルの上には二つのコーヒーカップ、子供用のカップ、空になったデザートの皿が3つ置かれていた。
「あれだけ歩き回ったりした事が殆どなかったから。」
夢月は二重の意味で答えていた。
実の父親からの暴力や育児放棄。当然遊園地やプールなどに連れて行って貰う事などなかった。
遠くでなくとも、一緒に出掛けたりした事など、夢月は記憶を掘り返しても思い出せないのである。
もう一つの意味は、真樋には話せないと夢月は覚悟をしていた。
「そういや、なんで俺がパパなんだよ。」
ぱぱ発言については、実のところ真樋の頭の中で想像はついていた。
離婚して片親となっている事から連想出来ると。
「本当の父親が全然父親してなかったから……ね。」
訊ねられた夢月のその表情は、唐突に暗いものへと変わっていく。
真樋は若干失敗したと思い、唇を固く結ぶ。
「それと、夫婦は仲が良いというのが当たり前って教えてきたから。」
それはろくに帰宅もせず、親としての責務も果たさず、あまつさえ暴力を振るう実の父親を父とは認められなかったという事だろう。
幼いながらも、脳が拒否・拒絶をしていたのかもしれない。
「前に写真を見られたの。この人だぁれ?って。」
夢月はそう言うと携帯を操作し、付き合っていた頃のツーショット写真を見せる。
「こらまた随分懐かしいな。というか俺の心を抉ってくるな。」
夏祭りでお互いに浴衣に身を包んで花火大会を鑑賞していた時の写真だった。
花火をバックに真樋も夢月も満面の笑顔で映っていた。
尤も、この後別の花火を見たっけと思い出したのは真樋の心がまだエロスに満ちているからだろうか。
「それで、ママが好きだった人だよって答えたんだよね。」
その時はまだ夫婦継続中だったため、真樋の事を過去の人として紹介するのは仕方がないのである。
3歳4歳の子供に好きという感情がわかるかどうかは不明である。
「それで?」
真樋は呆れたように手に顎を乗せた。
「そうしたら、じゃぁこの人がぱぱなんだ?って言い始めて。」
ガクンと手から顎が滑り落ちる。
「らって、しゅごくにゃかいいよ。って」
だって、凄く仲良いよ。改めて夢月は通訳を入れる。
「なぜそこだけ本人の口調を真似する。」
「この子の中では本当の父親より、写真の中のパパの方がパパに思えてるのかも知れない。」
「勿論、何度も違うって言ってるんだけどね。大人の恋愛とかを教えるにはまだ早いかなって思って、付き合ったり別れたりとかって流石にまだ早いでしょ?早いよね?」
真樋の正面に座っている夢月は、少しだけ身体をテーブルに乗り出し、真樋へと近付いた。
「突き放された俺にそれを求めるなよ。でもまぁ、この写真を見たのが何歳の時かは知らないけど、確かに好き嫌いは兎も角として、別れるって話はまだ早いかもな。」
真樋のテーブルの上には空のコーヒーカップが置かれている。
一杯目のコーヒーであるモカは既に空となっており、先程二杯目を注文している。
真樋はふと、本日の昼間の出来事……夢月達と出逢った時の事を思い浮かべた。
「ってパパぁ?」
真樋は唐突に抱き着いてきた子供を転ばないように抱き留める。
父親なんてしたことないし、小さい頃の妹を相手にする時とは違う。
それでも真樋はしっかりと小さな身体を受け止めた。
「みゅーね、みゅうって言うの。」
顔を上げた子供は、上目遣いで真樋を見つめて自己紹介を始める。
「美結よ。今年4歳になったの。」
追いついた夢月が自己紹介を補足する。
4歳という言葉を聞いた美結は、右手の指を4本だけ立てて真樋に見せつける。
「みゅー、4しゃいなの。」
長袖の裾が少し下がる。
すると腕と袖の隙間から何かの跡がいくつか真樋の目に入る。
しかし真樋はそれを見なかった事にした。
夢月にも、美結にも気付いた事を気付かせてはいけないと感じたからである。
真樋はしゃがむと美結と視線を合わせる。小さな子供と話す時は、同じ目線に立つのが良いとどこかで呼んだ記憶があるためである。
「美結ちゃんていうんだ、お兄さんはママのお友達の真道真樋。お兄ちゃんと呼んでも……」
おじさんじゃなければ良いな程度に真樋は自己紹介をする。
「ぱぱぁっ」
そう言って再び真樋に飛びつく美結。
同じように転ばないように抱き留める真樋。
それを複雑な表情で見つめる夢月の姿が豆の木の前で起こっていた。
夢月に促されるように、真樋は初対面から懐いている美結の手を握りゆっくりと歩く。
身長差があるため、真樋には身体の負担が掛かってたが、真樋ははその負担を微塵も感じさせないよう振舞っていた。
実際抱き留めた時も、事前に調べておいた一般的な4歳の子供とは思えない程、軽かった。
それは体重もだが、ぶつかって来た衝撃もである。
「それで何で鉄道博物館に?」
「美結ってば電車が好きみたい。テレビで機関棒トータスとか、チャッキートンとか見てた影響だと思うけど。」
18禁にありそうな名前だな、それに殺人的だなと思う真樋であった。
「後はぶらぶらり途中下車とか、おさんぽ系の番組も好きみたいで。」
様々な電車が登場する番組を見ていたところ、電車に憧れや興味を示したという事である。
「そういやどうやって美結ちゃんに今日の事を説明したんだ?」
「それは……後で答えるって事で良い?」
そして3人は浦宮市に数年前に移転してきた鉄道博物館を堪能した。
真樋は美結にお土産……プレゼントに埼玉超高速鉄道のニューシャトルの模型ぬいぐるみを贈っていた。
お土産コーナーで魔法少女のステッキを欲しがる幼女のように、美結の目が輝いていたためである。
さらにもう一つ、東部鉄道イメージガールである姫宮七のぬいぐるみも真樋はプレゼントしていた。
真樋が数時間前の美結との邂逅……出会いを思い出していると、ふと意識は現実に戻る。
「そういやふと気付いたんだが、ミュウってオレンジ色の髪をした女勇者か?」
暑い季節であっても頑なにホットコーヒーを飲む人は一定数存在する。
仕事をしているせいか、真樋はホットコーヒーやブラックコーヒーを飲む機会が増えていた。
半日夢月や美結と歩き回って疲れているはずだが、それでも砂糖やミルクを入れず真樋の前にはホットコーヒーが置かれている。
丁寧な仕草で真樋は零さないようにコーヒーを飲んでいた。
一杯目にはモカ、二杯目にはキリマンジャロ、現在三杯目はブルーマウンテンである。
「名前の由来は聞かないで、少なくともあの男は命名に全然絡んでないから。」
「やっぱり学園都市……」
「だから聞かないで。」
夢月は両方の耳を塞いで否定の意思を表すが、それが逆に肯定を示していた。
「だって、可愛くて響きが良くてって考えたら……」
「人の名前はペンネームやハンドルネームじゃないんだから。まぁ
DQNネームとは、当て字やその漢字はそうは読まないだろうという強引な、キャラや架空の人物のような、所謂頭の痛い人が名付けたような名前の事である。
星屑と書いてスターダストと読ませたり、星空と書いてきららと読ませたり等である。
「しかし漢字だけ見たら、3日間を繰り返すエロゲ―に出てくる人と同じだけどな。」
「あれは読み方はみゆでしょ。」
夢月は既に両耳のガードを外していた。
「冒頭でし……」
「その先は口にしちゃだめ。」
いきなり死体で発見されるサブヒロインのため、縁起が悪いためである。
「敵キャラは野菜の国の王子様だしな。」
そのゲームが発売されていた頃は、表の声優名、裏の声優名など、使い分けている人もおり、一部のファンは表裏を繋げるのにマウントを覚えていたものである。
特徴のある声優は、別名義であってもすぐに特定されてしまう者である。野菜の国の王子様の声もまた特定され易い特徴を持っていた。
「そういうのも言っちゃダメ。」
「でも一人称がみゅーって、まだ言葉を上手く喋るのが難しい感じ?」
「う~ん、4歳だしね、多少舌足らずなのは仕方ないって思ってる。幼稚園では年少組だし。」
恐らくは父親の育児不干渉が一つの要因である事は、真樋にも想像に易かった。
離婚する事が必ずしも良いかは時間が経過してみない事にはわからない。
成長が遅いようであれば、それは両親が揃っていないという事も要因なのかもしれない。
そういった真樋の考えは間違いではないけれど、自分がどこまで干渉していいものかという思いもあった。
一番悩ませる要因は……どれだけ否定や訂正を求めても、「ぱぱ」と呼んでくる事である。
その姫である美結は……
「あとな、これツッコミして良いのかわからんけど、何で美結ちゃんは俺の腿を枕にして寝てるんだ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます