第48話 社会人⑪ まさかの言葉

「本当に良いの?」


 行為の後で身体もベッドも乱れたままの状態で夢月が訊ねる。


 真樋は水で満たしたグラスから、口内を洗浄しながら話を聞いていた。


「何が?」



「私とシた事とか、その……子供に会ってみたいとか。」


 洗面台に寄りかかる形で夢月の話の続きを聞いていた。


 尻に触れる冷たい感覚が真樋の意識を確かなものへと覚醒させる。


「前者については昨晩やさっきも言った通り、嫌いになれなければ忘れる事も出来ない。渦巻いた感情が爆発した感は大きいけど……」



「多分、時間が解決する事ってのもあるんじゃないかと思う。赦す赦さないは自分でもよくわからないけど、突き放して立ち去るって事が出来ないって方が大きい。」


 真樋は視線を落としながらゆっくりと続けた。


「女々しいとか優柔不断とか信じられないとか、誰かに聞けばそう思われるだろうけどな。」


「後者については……会わないといけない気がしてってとこだな。こうしてまた距離が少しだけ近くなった以上、ずっと避けるわけにもいかないだろうし。」


 真樋の中である種の答えが出ていた。腹を割って話し合うという事が、今後は避けるような行動をとらないとう事に。


 恋人のように会うとは思わなくとも、同級生や同期と同じ感覚で会う事になるだろうなという事に。


 そうなると、必然的に出てくるのが、今日は実家に預けられている子供の存在。


 ずっとないがしろに出来るはずもない。小さい時であれば可能だろうけれど、思春期にもなれば勘ぐられたりもする。


 そこまで頻繁に会わないにしても、いつまでも隠し通したり避けて通れる事ではない。



「そうじゃなくてその……」


 申し訳なさそうに夢月が上目遣いで訊ねる。他人が見ればあざといと受け取られてしまいそうな視線であるが、夢月にその意図はない。



「あぁ、間男との子供なのに平気で会えるのかって事か?まぁ、思うところがないわけでもないけど、お前の子供である事には変わらないだろ。それに写真を見た十津川が絶賛していたからな。」



 しかし、真樋は写真を見せてもらう事には否定を示す。


 会う事になったらその時のぶっつけ本番で良い、下手な先入観などいらないと意思を示した。



「いい加減色々綺麗にしろよ。」


 真樋は昨晩の惨状そのままの夢月に呆れたように言った。


 何故か土下座をして一緒に風呂に入ってくれと懇願する夢月に根負けした真樋は、渋々承諾していた。


 性的な事は一切しないと釘を刺しての承諾である。




「へぇ、昨晩はあまり見なかったけど、子供一人産んだ身体には見えないな。」


 真樋は夢月の綺麗なお腹のラインを確認し、お腹を押すように擦った。


 真樋の感想に、間男に付けられた痣はカウントをしていなかった。


「あっ、ちょっ、だめっ。お腹押しちゃ……」


 夢月は起きてからまだトイレには行っていない。


 昨晩の酒の影響、水分補給、諸々の影響もあって夢月の膀胱は破裂寸前だったのである。



「大人になってお漏らしは……」


 決壊をした堤防は急には止まらない。黄金色の洪水は夢月の床下と自らの身体を沿って流れていく。



「これって俺のせいなのか?」


 理不尽な視線に納得のいかない真樋であった。





 それから少し時は経ち、真樋は日常へと戻っていた。


 宮田社長に呼び出され、ホテルの布団などの弁償の話などをされてからも数日が経過している。


 実際に天引きされる事はなかったが、結婚する機会があったら高いプランで行えと軽い脅しを受けた程度である。


 同窓会の後、真樋は夢月とは会っていない。


 ある程度の歩み寄る決断は出来ていても、真樋の方から会おうとする意志は持てなかったのである。


 子供云々は、会う口実を夢月に与えたともとれる。


 口実がなければ、夢月の方からも真樋に会おうとは決断出来ないと考えたからである。


 そして本日は真樋が漏らした夢月の子供と会うという日。


 煙草は止めた真樋であるが、煙草に良く似たチョコレートを口にする回数が増えていた。


 何本目かのチョコレートを食べ終わると、10分程かけて歯を磨いた。


 ガス電気水道の確認をすると、真樋は家を出る。


 両親は仕事、妹の真都羽は友達と遊びに行っているため真道家は完全に留守となった。


 移動中真樋は夢月との会話を少し思い出していた。


 現在、夢月は浦宮市のアパートで子供と二人暮らしをしているという。


 間男は離婚騒動時に数々の悪事が周囲に知れ渡り、そのツケの清算の一つとして会社からは懲戒解雇されている。


 離婚も成立し再び真森性となった夢月は、会社に残りある種の英雄として讃えられていた。


 泣き寝入りをしていた他の女性社員達が一定数いたために、英雄化・神格化されたようなものである。


 子供の事があるため、多少会社から優遇され、子供の幼稚園への送迎が可能となるような勤務時間となっている。


 折角借りたアパートではあるが、近々実家か実家の近くに引っ越しを考えていた。


 子供の事を考えれば実家が一番適しているだろう。


 常時家に居るという事を考えれば、祖父母の方が良いのかもしれないけれど。


 つまりは夢月は今の会社を辞めるかどうかも考えていたのである。


 考え事をしながらの歩行は褒められたものではないが、気付けば真樋は待ち合わせ場所である豆の木の前へと到着していた。


 真樋が待ち合わせ場所に到着すると、数分と待たずして真樋のいるところへと向かってくる一人の大人と一人の子供の姿が確認出来た。


 大人の方が夢月である事は真樋には一目で理解出来る、その瞬間、子供の方が夢月の子とう事が必然と決定付けられる。


 同窓会の時も質素な服装であったが、ほんの少しだけお洒落に気を使いました感が出ているだけで決して20代中頃の女性が出掛けるような恰好ではない。


 一言で言えば地味子と渾名を付けられそうな程シンプルかつ量産品である事が垣間見れる。


 夢月が地味になってしまったのには理由があり、一つはお金があまりない事、最大の理由は痣等を子供の目になるべく触れさせないためであった。


 夢月の子供はふりふりの可愛いスカートを穿いている。


 ハイソックスのせいか、4歳にて絶対領域を支配していた。


 夢月が子供に向かって何か言うと、真樋の方を指さしていた。


 その瞬間笑顔になった子供……娘は夢月の手から離れ、真樋との直線距離3メートル程離れていたが、突然走り出した。


ー!」


 初めて会う夢月の子供からの強烈な一言と共に、強烈なダッシュで抱き着かれた真樋。


 真樋は突然の事で戸惑いながらも、転ばないようにそっと抱き留めていた。

 

 真樋は子供から視線をゆっくりと上げて夢月へと移すと、夢月はひくひくと口角を上げながら苦笑いを浮かべていた。

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