第46話 社会人⑨ 夢月と二人きりでぶつけ合い

 夢月が向かったのは玄関扉ではなく風呂場への扉。


 真樋がさっぱりとしている事を確認していた夢月は、自分も酒と一日の汚れと眠気を落としたい覚ましたいと思っていたのである。


 真樋は着替えを持参していなかったのか、ホテルのアメニティを利用していた。


 ロイヤルスイートと言ってしまいそうなこの部屋のアメニティには、替えの下着も用意されていたのである。


 真樋はホテルの下着とガウンを羽織った状態で、天国へ誘うソファで誘惑に負けてしまったのであった。




「でも、こんな穢れた私を相手にはしてくれないよね。」


 シャワーの音で掻き消されながら、夢月の言葉は霧散する。




 夢月がシャワーを浴び、部屋へ戻ると丁度真樋と目が合った。


「あ……あ……」


 言葉にならない声を発する夢月。



「良いよ。酒を抜きたかったんだろ。汗も搔いているだろうし。」


 用意が良いのかは定かではないが、夢月は着替えを用意していた。


 真樋と違い、自分自身の替えの下着を今は身に着けている。



 考え方の違いは別にして、二人の身体は綺麗な状態となっていた。



 そして何故かベッドに腰を掛ける真樋と夢月。


 天国へ誘うソファでは、二人してそのまま寝てしまう恐れがある。


 そう考えたためであった。


 

「本来はお前から直接聞いたり、俺から直接訊ねるべきだった事なんだが。」


「うん。」


 真樋はただ相槌を打って真樋の話を聞いている。反論出来ない事を理解しているためであった。

 

「お前、あの時話してた男と別れたんだって?」



「……うん。」


 夢月は知られてしまったかという表情をする。


 

「それは……どういった理由か聞いても良いのか?」


 沈んだ表情のまま、夢月は淡々と言葉を紡いだ。


「……よくある話。浮気、暴力、借金……」


 夢月から紡がれる言葉は単語だけであるが、それがあくまで集約された総称的な意味だけでしかない事は明白である。


「元々見た目は良いと周囲でも言われてた。でも人としても社会人としても、組織人としても最低最悪な人だった。」


 仕事は適当で、女性社員以外には良い顔をしない、


 それというのも、会社幹部に間男の身内がいるため、最低限の仕事しかできない席だけ置いてあるというコネコネ人間だったのである。


 ボロが出そうな頃になると、支店や営業所を替え、渡り歩いた3つめの営業所が夢月の勤めていた浦宮市の営業所だったという事である。


 なお、間男の年齢は当時25歳で、現在は32歳になっているはずである。


 そうか、と今度は真樋が相槌を打ちながら夢月の話を聞いていた。


「それでも子供の父親である事は変わらない。だから耐えてきてた。」


 その言葉は過去形である。



「私にだけ暴力を振るうならまだ耐えられた。でもあの男は一線を越えた。な子供にまで手をあげるようになった。」


「それから私は子供を連れて、隠れるために新しいアパートを借りた。荷物は置きっぱなしだったけど、元々あまり持って行ってなかったし、大して増えてなかったから。」


 結婚をする際に、元々の自分の荷物は実家に戻したと言う。


 そのため、高校卒業時に持参した想い出の品とかは実家にあるという事だった。


 もしかすると、間男に破壊されたり勝手に売られたり捨てられたりするかもしれないと考えてしまったのかもしれない。



「家の中はセキュリティがしっかりしてるから平気だけど、会社まではそうはいかない。」



「そんな時思い出したのが、雲母の事。法律事務所で働くって言ってたから。」


 そして山﨑雲母が力を貸してに離婚が成立、慰謝料や接見禁止などの措置が取られたという事だった。


 なお、その間男は会社を懲戒解雇されている。


 経営側の身内ならもみ消してしまいそうな裁判を、山﨑の法律事務所は勝訴したという事だった。


(山﨑……どこかのタイミングで夢月と会ってたのか。)


 卒業式の時の丘の上での会話を知らない真樋は、そのように解釈していた。



 夢月の話を聞いていて真樋は、過去に想像していた内の一つが思い起こされる。


 夢月は本当は強姦だったんじゃないのか。


 それで出来てしまったんじゃないのか。


 それでも堕胎が出来ないから産むしかなかったんじゃないのか。


 産むとなったら一人では無理だ、だから父親である間男先輩を選ぶしかなかったのではないのか。



 真樋だってそう考えていた時期があった。


 しかし、それを確かめようとはしなかっただけ。



「なぁ、少し話は戻って聞くけど。あの時俺は聞けなかったけど、あの時お腹にいた子のために別れたんだろ?俺よりその相手の男の方が大事だったわけだ、そいつの事好きになったかまでは聞いてないけど。少なくとも俺よりは上になったってわけだろ。」


 真樋は別に間男の子だからと無下に扱う心算はなかった。


 もちろんあれから時間が経っているから言える事なのかもしれないけれど、真樋の中では夢月自身が自分を見続けてくれるのなら、きっちりと清算さえしてくれれば托卵じみた事でもかろうじて耐えられると考えていた。


 夢月はただ首を横に振って真樋の言葉を否定した。


「今更言っても何も変わらないかもしれないけど……」



「真樋の事、一回も嫌いになんてなってないっ。本当はずっと、好きなままだよ。成人式の時も今日も、言えなかったし言える資格もないと思ってるけど。」


 今、はっきりと言ってるので、その理屈は既に覆っていた。



 そして真樋の中で少しだけはっきりとした事がある。


 夢月は望んで性交をしたわけではないという事だった。




 何を思ったのか、夢月はガウンを脱ぎ捨て、その身体を真樋に見せつける。


 そこにはかつての白い柔肌はなりを潜め、至る所に暴力の跡が残された痣だらけの身体だった。


 離婚が成立して云々と語ってはいたが、それはまだごく最近の話である証拠であった。



「あの人は、19の時に私を使だけ。妊娠がわかってからは一度も身体に触れてない。」


 だからどうしろと?と間抜けな考えが過ぎる真樋だった。



 夢月を孕ませた男は、身内の権威を笠に着て、金と顔だけを武器に色々な女性社員を食い物にしていた。


 運悪く孕んでしまった夢月は、言い方を悪くすれば、運が悪い。ただそれだけの事だった。


 間男好みの容姿をしており、弱みやシチュエーションを操り、本来であれば数回抱いたら捨てられる、それだけの対象だった。


 それが妊娠した事により、周囲にごまかしもきかなくなり、一度は真人間になったように見せかけた。


 それは身内や夢月の家族をも騙す一大芝居でもある。


 夢月の両親に挨拶に来た時なんかは、まさしく演者も吃驚な程の完璧な良い人を演じていたのである。


 しかしメッキはいつかは剥がれるもの。


 間男のメッキは数年と持つ事がなく、夢月は地獄のような7年を過ごしていたのである。



「だから、真樋に確かめて欲しい。この身体は穢れて、心はズタズタだけど。真樋と一緒だったあの頃と、どこが違うのか、どこが同じなのか確かめて欲しい!」


 なんとも妙な提案で、告白だろうか。


 普通にまだ好きだから抱いてくださいと素直に言った方が、まだ無難だったはず。


 夢月の心は本人が言うようにズタズタだったのかもしれない。



「あのなぁ、これまでの事を聞いてはいそうですかってなると思うか。」



「俺はこれでも、嫌いになろうとか忘れようとか、でも結局嫌いになれないとか忘れられないとかそうした葛藤とか感情の変化に潰されそうになったりとか……」



「成人式とか今日とか、夢月と会ったり話したりしたら、お前の事を貶したり傷つけたりしてしまうんじゃないかと悩んだりして。」



「でも、まだ好きなのかと問われたら……それはわからない。ぐちゃぐちゃしてるんだよ頭の中が!」


 そして真樋は夢月の両肩を掴むとベッドに押し倒した。


 時には行き場のない感情が頭を支配しても良い時がある。


 真樋は思考を理性からそんな行き場のない感情に譲った。

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