第45話 社会人⑧ 静寂の空間
「ま、まとい……」
酒臭いと言われて一瞬時が止まったかのように怯んだ夢月ではあるが、やっと話しかけて貰えた事への嬉しさの方が勝った。
「とりあえず酒を抜け。十津川が休憩場所を用意してくれている。」
真樋は言いたい事、聞きたい事が何か結局は纏まってはいない。
先延ばしにした形にはなるが、十津川に行ってくると言った手前、何も話さないわけにはいかない。
未来の自分がどうにかするだろうと、とりあえずは匙を投げ、場所を変える事を提案した。
夢月も何となく察しているのか、この場で色々言及されても答えるのはきついのか、真樋の提案に従うかのように席を立とうとして……躓いた。
「ばっおまっ。」
咄嗟に手が伸びて、夢月の身体を支えてしまうのはある意味では最早癖のようなものなのだろうか。
それとも、ここで手すら差し伸べないと、周囲の同級生から冷たい人間認定されるのを避けたいと一瞬で悟ったのか。
「あ、ありがと。」
夢月の礼に真樋は返す事はなかった。早くこの場から立ち去り、周囲からの目がないところへ行きたかったのだ。
結果的にはただ肩を貸して仲良く歩いている図だけが出来上がってしまう。
飲酒のせいで足が覚束ない夢月を、一人で歩かるわけにはいかないだけであった。
場合によってはリバースをしてしまい、床にもんじゃ焼きを作る結果になりかねないからでもあった。
真樋は部屋を出ると、エレベーターを探す。
同窓会が始まる前に、館内の簡単な案内は頭に入れたものの、真樋自身も酒の影響で正常な状態とは言い難い。
5秒で出来る事が10秒は掛かるのは仕方がないのである。
エレベーターに辿り着いた真樋は乗り場押し釦を押した。
エレクトロボタンなのか、静電気に反応して呼びが登録される。
LEDのダイオードランプが光り、丁度上昇していたエレベーターと分散待機で中間階にいたエレベーターが降りてくるのがわかる。
「一階でございます。」
ICオートアナウンスから流れてくる機械的な女性の声で、エレベーターが一階に到着した事が知らされる。
乗り場と同じように、かご内の10階の押し釦を押すと、夢月に肩を貸しているため閉じるボタンは押さずに、自動で扉が閉まるのを待っていた。
扉が開ききってから10秒後、エレベーターの扉がアナウンスと共に閉まり始める。
(車椅子仕様なんだ。)
不動産業を扱う手前、各種設備の特徴やコスト、効率や仕様などもある程度の知識としては頭に入っている。
メーカーや年代、顧客都合で一律ではないが、とあるメーカーの扉が開ききってから閉まり始めるまでの時間が10秒というのは車椅子用呼びの押し釦を押した時のものである。
または、顧客側から指定され開く時限を変更している場合である。
真樋が余計な事を考えているのには理由がある。
何を会話して良いのかわからないのである。
それは夢月も同じなのか、エレベーター内はかご内の換気扇の音と、回生抵抗の「ちちち」という音だけが響き、中間階を過ぎる頃には換気扇だけの音となった。
こういう時は油切れの異常音ですらありがたいと感じてしまう程、一定した音の地獄であった。
約1分程で10階へと到着する、「10階でございます。」というアナウンスが一定の音の地獄から解放させる。
案内を見ていて、1010号室はエレベーターを降りて右端の部屋だという事は頭に残っていた。
「ほら、夢月、右へ行くぞ。」
黙って頷いた夢月は体重を真樋と右側へ預ける。
エレベーターも長く感じたが、数メートルの廊下もとても長く感じてしまう二人。
ある意味ではこうして近くで触れ合う事をずっと待っていたはずなのに、今はどうしていいのかわからない。
支えていて良いのか、突き放して良いのか。
十津川に言われた事を思い出す。
「嫌いになろうとか、忘れようとか、そういうのは頑張るもんじゃない。自然とそうなってるもんなんだ。真道、お前も根本的に間違ってるんだ。」
(俺は夢月を嫌いになりたいのか、嫌いになれないのか。忘れたいのか、忘れられないのか。)
(そもそも頑張ってそういう事するもんじゃないと十津川は言っていたな。)
「着いたぞ。」
ポケットから十津川から手渡された1010号室の部屋の鍵を取り出し、シリンダーへと差し込んだ。
「おわっ」
思わず真樋は声を漏らす。
雑誌なんかで見るような、なんとなくロイヤルスイートルームという言葉が連想出来そうな煌びやかな部屋であった。
真樋はベッドに夢月を座らせると、冷蔵庫へと向かう。
冷蔵庫を開けると二つのペットボトルを取り出した。
「ほら。」
一本を手渡すと、キャップを……
「ごめん。」
夢月は真樋にペットボトルを突き返す。
酒のせいか、感情のせいか、キャップを開けるだけの力が出ないようであった。
「あぁ、仕方ないな。」
真樋は一瞬何に対してごめんと言ったのか理解出来なかった。
ごめん、力が入らなくてペットボトルのキャップが開けられない、代わりに開けて。という意味だと悟った。
「ほら。」
代わりに開けて再びペットボトルを差し出した。
「あ、ありがとう。」
やはりその言葉はどこか力弱く、今にも消え入りそうである。
一気に半分程飲み干した真樋は、少しだけ頭がすっきりしたような気がした。
「言い辛い事、聞き辛い事、お互いにあると思う。だけど十津川にも背中を押してもらったからな、ここでなにもシないというわけにはいかないんだ。」
ぼふっと真樋の隣で布の音が弾ける。
「って寝てるしー」
「ねぇ、俺達のこの数十分てギャグなの?シリアスじゃないの?」
毒気が抜かれた真樋は深く息を吐き出した。
「まぁいい。起きたら続きを話すし聞くわ。」
起きているのか、寝ているのかは実際のところ定かではない。
さらなる先延ばしにしかならないとは分かっていながらも、真樋は一呼吸入れられる事に安堵も感じていた。
真樋は部屋に備え付けのアメニティを確認すると、夢月をそのまま寝かせておき自らは風呂場へと消えていった。
「酒の力に頼って聞き出すのも卑怯だしな。少しでもさっぱりして身構えたい。」
自らも若干の眠気が襲って来た事を悟っていた真樋は、飲酒しているため湯船に浸かるのは危険と判断し、シャワーで酒と一日の汚れを洗い流していった。
「まだ寝てるのか……」
真樋は正面に置かれていたゴージャスなソファに腰を掛けると、数メートル先に見えるベッドと夢月の姿を捉える。
携帯電話を弄り、適当にアプリで遊んでいると、ソファの魔の手が襲ってくる。
座っているだけで安らぎを感じるのである。
「これはやべぇ、天国へ誘うソファと言っても過言ではなさそうだ。」
せっかくシャワーで洗い流したというのに、睡魔が再び襲い掛かる。
やがて携帯電話が手から滑り落ち、床にゴトンという音を立ててもそれに気付く事もなかった。
真樋は檻のない野獣の巣で、無防備な姿をさらしてしまう事となる。
真樋が夢の国に旅立って数分、ゾンビが突然覚醒するかのように夢月の上半身がベッドから立ち上がる。
「……」
眠る前にペットボトルのキャップは閉めているため、水が零れる事はなかった。
「真樋……ごめんね。」
夢月は眠る真樋に対して小さく呟くと、扉の前に歩みを進めた。
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