第29話 大学生⑬ 再会③
「おい、真道。うちのマドンナを口説くのはやめろよな。」
鼻下髭面の、ポンセに似たコーチが真樋に声を掛ける。
先程の一歩間違えばチで始まる人種に似ているコーチである。
「口説いてはない。高校時代の親友の一人と偶然会っただけだ。それに今は大学も同じだから同級生継続だよ。」
進路先が違えば、元同級生という表現が妥当である。
しかし同じ大学へと進んでいるのだから、同級生という紹介が一番妥当であった。
「めぐめぐからちらっと話は聞いてるよ。
「めぐめぐ言うなっ」
柊恵の友人が手伝いのために来訪した時に読んでいた渾名の一つが、コーチ陣の中でツボとなってたまに渾名で呼ばれていたりする。
その友人の一人の実家が、件のバッティングセンターの娘だったりするのは、真樋を始め殆どが知らない。
「どんな感じか様子を見てからかなって思って来てみたんだけど。ほら、俺がいた時からは年数経ってるからさ。それにしても、相変わらずの古臭いユニフォームだなとは思ったけど。」
青地に左胸に「桜」の漢字一文字。
その漢字一文字も、黒縁の文字の周囲を桜にちなんだ桃色で縁取っているだけのシンプルなものだ。
英字の筆記体のように崩していればまだ恰好良い漢字を受けるのだが、明朝体一文字では古臭いと思われても仕方がないものであった。
「仕方ないだろう。デザイン変更するにしても金はかかるんだ。既にあるデザインのものを発注するのと、新規デザインで発注するのとでは全然違うんだよ。」
材料なんてのも大量発注しているから安く済むのは定石である。
左胸の「桜」一文字のワッペンにしても同じ事が言えた。
ユニフォームは上下だけでなく、アンダーソックスやアンダーシャツ、帽子を含めた一式が必要である。
個人で用意するのは下着を除けば、白いソックスとスパイク、グローブくらいである。
練習用のバットはチームが用意している。勿論自分で持参しても問題はない。
試合だけでなく、練習でも自分が普段から使っている道具の方が扱い易いからである。
チームとしては、ユニフォーム一式代は徴収しているけれど、普段の指導料や大会参加費等は子供達の家庭からは捻出していない。
そういった参加費等は監督・コーチ陣の善意によって支払われている。
それは勿論、大会会場への移動費……車のガソリン代などもコーチ側の個人負担である。
昼食や水筒などの個人の飲み物等は、基本的には各家庭で弁当を持参という事にはなっている。
少年少女の地域のスポーツクラブの実情は、どこも大差はないのである。
こうしたほぼボランティア状態で、指導者をやってくれる事へのありがたみを理解するのは、恐らくは大人になってからであろう。
子供の内は、そこまで気にせずに野球に打ち込んで欲しいものである。
「そうそう、俺別に大した選手じゃなかったですよ?中学一杯で辞めたくらいだし。運動そのものをしてないわけじゃないけど。」
「確かに運動をやめたものの身体つきではないな。腕を見ればなんとなくわかる。」
「それに大丈夫だ。めぐたんが声を掛けた相手なら、現役時代鳴かず飛ばずなお前でも問題ない。」
柊恵のもう一つの渾名が飛び交った。
瞬間的に殺気の混じった死線ならぬ視線がコーチに飛ぶが、さらりと交わしていた。
「企業だったら、ギリギリパワハラですよ、真島コーチ。」
真島と呼ばれた口髭のポンセ似のコーチは、笑って真樋の言葉を流した。
「確かにA1では補欠、A2でならレギュラーな俺だったけどさ。」
当時真樋は自分の実力は理解していた。一線級で活躍出来る選手にはなれない事を。
このまま続けていてもプロは勿論、甲子園は無理だろう事を。
強豪校に入ればスタンドで応援組、中堅どころに入ってもせいぜいがベンチ入りがやっと。
弱小校でレギュラーになっても万年初戦負けでは意味がない事を。
もっとも、勝つだけが全てじゃない、一つの目標に向かってみんなで努力する事が大事だという事にも一理ある。
強豪校に入ってスタンド応援組が情けないと思う反面、当時は夢月とどうにかして同じ学校に通いたかった事。
なお、A1A2というのはクラス分けのようなものであって、数字が若い方がコーチによって振り分けられた実力が上位である事を表す。
所謂一軍二軍みたいなものである。
Aは上級生である5・6年生、Bは1~4年生が振り分けられる。
余程の実力があれば4年生でもAチームに参加する事はあるのだが、
これだけ分けられるのも野球人口がある程度いるからであり、チームによってはAB1チームを作るのがやっとなクラブも存在する。
ユニフォームが古臭いと言われても、桜ブリザード(チーム名)はそこそこ老舗チームなのである。
少子化、野球人口減少の中にあっても、プロ野球選手を一人とはいえ排出しているチームというだけあって、近隣の子供は態々強い少し離れたチームに行くよりは、地元のチームに所属するのであった。
その唯一のプロ野球選手の嫁が鬼コーチというのは、近隣には周知の事実である。
「めぐめぐコーチによる地獄の30本ノックは高校生でも音を上げるからな。」
という話である。
真樋は知らないが、柊恵が女子校生時代、マネージャー兼学生コーチとして野球部員に対してノックを行っていた。
捕球出来るかギリギリの位置に、早い打球を打ち一定数取れないと
そのかいがあってか、弱小高校の守備力は跳ね上がり一躍有名になったりもしたのである。
「そのおかげでチームの守備力は向上してるんだよな、打球を怖がらなくなってくるし。お前が所属していた頃よりも格段に守備のチームにはなってるぞ。」
打球の怖さと鬼コーチの怖さ。どちらが怖いかと言えば殆どが後者を取る。
それだけの話であった。強制的に矯正され、打球は怖くないと脳に刷り込ませていたのである。
「それと投手力や打撃力は別モンって話もあるけど。」
一人のエースと、それを支えるリリーフ、それらを上手く操れる捕手が揃わなければ纏まったチームとは言えない。
そしていくら0点に抑えたとしても、点が取れなければ試合に勝つことは出来ないのである。
「頭で考えるな、感じろ。ってタイプだからなぁ、めぐめぐコーチは。」
コーチ陣がチーム内事情を淡々と真樋に語ってみせていた。
監督やコーチからすれば、柊恵もまた妹や子供のような年齢。
必然的に口調がおっさんのそれになってしまうのも致し方がないのであった。
「じゃぁ休憩も終盤だし……」
「真道の体験入部ならぬ、体験練習といくか。」
新しいコーチとなってくれるかもしれない真樋に対し、子供達が拍手を送る。
しかしその目は若干死んでいた。
まるで、「ご愁傷様」と通訳出来そうなその子供達の目であった。
「どうしてこうなった!?」
内野の守備練習に強制参加をさせられようとしている、真仁の姿が其処にはあった。
一塁の守備位置には一人のコーチがファーストミットを付けてスタンバイしていた。
真樋は少年野球時代主に遊撃手だった。そのためショートの位置で仁王立ちしていた。
「死にたくなかったら死ぬ気で捕れぇっ。あたしも久々に子供以外に打つから油断してると怪我するぞ!」
鬼コーチと呼ばれてはいても、それは子供達に合わせたレベルに合わせてはいたのである。
「自分で何か言っちゃってるよ。ダメじゃん。」
真樋がツッコミを漏らしていた。
「くらい~やがれ~~!」
とても主婦が発するとは思えない叫び声と同時に早い打球が低い軌道を描いてグラウンドを滑走する。
二遊間の丁度真ん中、プロの選手でも打球の速度や元の守備位置次第では捕球が難しい打球。
真樋は本能と意地で素早く身体を移動させ、打球に向かって飛びついた。
「んだよ~捕ってんじゃねぇか!」
ノックを放った柊恵が叫んでいた。
真樋は捕球をすると、ぐるぐると転がり、素早く立ち上がると一塁手へ送球する。
「あれが現役時代に出来てたらな~、レギュラーだったのに。」
「小学生が出来たら一部の怪物クラスだよ!」
真樋は言葉を発したポンセ似の真島コーチに向かって叫んだ。
「それにしても……ブランクがあるはずなのにあれが捌けるなんてな。今の草野球レベルって高いのか?と言う事はプロはどの域にあるってんだ?」
自分の旦那の職場の事を考えて首を傾げるノッカー、柊恵であった。
「夢月が居なかったら惚れてたかも。」
山﨑雲母がぽつりと漏らしていた。
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