第5話 「いつまで昔のままでいるつもりだ」

 老人と別れた依人とカナリアは、森へと続く道を歩いていた。

 これは本当に現実なのだろうか、と依人は思った。城下町は混乱状態で、隣国の統治に反対する市民の暴動や、それを鎮めるコスダロ兵の影響で、あちこちに火の手が上がっていた。


 カナリアはどんな惨状を目にしても、歩みを止めない。城の中で泣いていた女の子は、会わなかった5年で強くなったのだろう。


「不思議な気分」

 そう言ったカナリアは、依人を見つめてぱちぱちとまばたきをした。

「何が不思議なんだ」

「5年ぶりにヨリトに会ったから、随分、逞しくなったなと思っているの」

 それはこっちの台詞だと、依人は心の中で呟いた。


 近くに見えていたはずの城が、だんだん遠ざかってゆく。そして依人は、現実世界からも離れてゆくのを感じた。朝起きて、電車に乗り、仕事をする。休日は時間を見つけ、恋人の千恵と会う。そんな日常は、遥か昔の出来事のようだった。


 城下町から出る方法は2種類ある。1つは関所を通っていく方法だが、現在、関所は閉じられており、隣国コスダロの兵士が、関所へ続く道や壁に至るまでもれなく見張っている。もう1つは城下町の西にある、森を抜けていく方法だ。しかし森は、薄暗い上に木が密集しており、森に入ったら最後、迷ってしまい出ることはできないと言われている。


 そして森の最深部には、『月光ノ祠』と呼ばれる祠があるという。老人の話によると、ここが1つ目の霊力が集まる場所らしい。


 歩き続けて随分経つ。町の喧騒は遠くなり、民家も少なくなってきた。危険な場所に向かっているという実感が強くなり、依人は意味も無く剣を触った。そんな依人の隣を、カナリアは苦もなく歩いていた。依人より小さい歩幅なのに、速度が落ちることなく軽やかに進んでゆく。


 やがて木々が現れ、ふたりは森の入り口に辿り着いた。森の奥は木が密集しており、先を見通すことはできない。カナリアが地図を広げた。


「やっと森に着いた! ここに『月光ノ祠』があると言われているの。この地図の通りなら、どこかに門があるはずよ」

 森を形成している木々はどれも背が高く、杉や欅に似ていた。森の入り口から木々の密度が急激に上がっており、中に入った人を、閉じ込めているかのようだった。


 夕暮れの朱い空が、ふたりを染め上げる。依人は、木々の隙間に一層赤い色味を帯びているものを見つけた。彼はそれに近づき、カナリアに呼びかけた。

「門ってのは、これじゃねえか?」依人は鉄のアーチを拳で軽く叩いた。

「木に隠れて見つけづらい。一体何の意味があるんだろうな、こんなの」


 赤色に塗られた、大きな鉄のアーチが建っている。周囲は特に柵で囲まれているわけでもなく、アーチは何の意味もなしていないように思えた。赤いその姿は、鳥居に似ており、アーチの先からは細い道が伸びていた。


「見て、このアーチ、大きな引っ掻き傷があるわ。こんな傷を残せるような獣が、この先にいるかもしれない」と、カナリアがアーチを指差した。

 依人は手を止め、少し緊張してカナリアの指の先を見る。赤いアーチに無造作につけられた傷が、全身をこわばらせる。


 奥へ続く小道を覗き込んだカナリアは、突然ふふっと笑った。

「小さい頃、お城で一緒に描いた絵を思い出すな。依人とお兄様と、3人で絵を描いたわよね。依人が森の絵を描いたけれど、ぐちゃぐちゃで何も分からなかったの」


 カナリアの朗らかな声が、依人の緊張を溶かしてゆく。依人は、自分が未知の場所に怯えていたことに気づいた。弱気になっていた不甲斐なさと、カナリアにはバレたくないという恥ずかしさで、少し語気が荒くなる。

「少しは緊張感を持て」依人はそう言って、鉄のアーチを強く叩いた。

「いつまで昔のままでいるつもりだ」


「そうね」カナリアは、頷いて言った。「そうよね」


 ……カナリアは、異界からやってくる自分のことをどう思っているのだろうか。

 依人は、カナリアと5年ぶりに再開したことで、彼女の心のうちが全く分からなくなっていた。

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