月光ノ祠

第1話 「ふざけんじゃねえ」

 目を開けた依人の前には、異様な世界が広がっていた。


 燃え上がる草木と崩れる煉瓦の建物、誰かの争う声。それは、さながら映画のようだった。


「何だこれは……」


 依人はすぐに千恵を探した。何が起きたかわからないが、無事を確認しないと。


 狼狽える依人よりも驚いているのは、男たちに追われている目の前の少女だった。


「何が起こったの……? 彼はもしかして……!」


「ここは一体――」


 依人は、気づいた。


 ここは、昔何度も上から見た異界の城下町だ。王族の兄妹と一緒に、こっそり町に行ったこともある。それに、それほど遠くないところに城も見える。だが、あの日から一度もなかった《異界渡り》が、なぜ今行われたのか。


「ヨリト、なの……?」


 少女は、足を痛めたことも忘れ、目の前に現れた男の名を呼んだ。


「そうだが、君は誰なんだ」


 少女は唇を噛むと、口を開いて答えにならない説明をした。


「……私は、杖の力で聖獣を呼び出すはずだったの。けれど貴方を、遠い世界から召喚してしまったみたい」


「杖……召喚……?」


 依人はその言葉を頭の中で反芻させた。回らない頭で導いた結論は、この世界に来てしまった原因は、この少女にあるということ。


「まあ分かった。理解はしていないが分かった。間違えたってことだよな。とにかくすぐ返してくれ。俺は急いでるんだ」


 依人は早口で話したが、少女は泣きそうな顔をしている。


「杖の力は全て使ってしまい、貴方を元の世界に戻すことは、もう……」


 依人は少女を見た。現実離れした言葉が脳に入らない。


 ……待て、そうだとすると、これは、俺は、どうなる!


「嘘、だよな」


 依人の期待を裏切るように、少女は首を振った。


 その時、依人の様子を伺っていた男たちがやってきた。


「おい、何者だ兄ちゃん。お前もこの女の仲間だっていうんなら。2人仲良く――」


「――っふざけんじゃねえぇぇ!!!!」


 男の言葉は、依人の怒鳴り声でかき消された。


「召喚してしまった? 戻せない? 勝手に人を呼びつけて、勝手に泣きそうになってんじゃねえ! 俺が今日を迎えるために、今までどれだけのものを積み上げてきたと思ってる? それを全て捨てて、今度はこいつらとでも争えっていうのか? そんな生き方は知らねえ!」


 突然の大声に怯む男たちを、依人は指差していた。


「今日は特別な日なんだよ! それに俺は社会人だぞ。会社は組織で動いてんだ。始業は九時。俺が会社に行かなかったら、どれだけの人に迷惑がかかると思ってる? 何より、目の前で俺が消えたのを見た千恵は? あいつが不安になっていたらどうするんだ!」


 俺は、唇を噛んで震えている女の子の胸ぐらを掴んだ。よりにもよって今日、怒りで頭が沸騰しそうだった。


「お前は、俺の人生の責任を取れんのか‼︎」


 少女は、大の男に怒りを押し付けられ、潰されそうになっていたが、唇を噛み締めたまま依人の方を向いた。


「わ、私は……」


 彼女が口を開いた途端、ぶわっと涙が溢れてきた。それらは止められることなく、次々と頬を伝って落ちていく。


「わたしだって、必死だったのぉ! 急に国がこんなことになって、おっ、お母様も亡くなっで、しまって……! 頼れるひどなんで、もう全然いなくて……。でも、わたしは! この国を、見捨てて、こんな所で死ぬ事はできないがらぁ!!」


 鼻声で訴えてくる彼女の顔は、涙でぐちゃぐちゃなのに、なぜか凛々しく見えた。


「っつ、貴方を召喚してしまったことは、本当にごめんなさい! 元の世界に返すのも、今すぐは不可能だけれど……手立てが、ない訳では、ないわ。私は必ず、貴方を返す! 約束するわ!」


 依人は、この涙を流して泣く少女が、なぜか他人には思えなかった。


「約束……か」


 それに、少女は言った。元の世界に戻す手立てはある、と。


 わざとらしく、自分自身にため息をつき、目の前の少女にハンカチを渡す。


「え……?」


「涙を拭いてくれ。お前の話を聞きたい」


 それには、まず、邪魔者がいた。依人は男たちを睨みつける。


「あれを倒せばいいんだな?」


 ここは俺の住む街とは別の世界。品行方正でいる必要はない。高い服も、役職や肩書きも全ていらない。では必要なのは……なんだろうか。


 ジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイを緩めると、目の前の男たちを、指を鳴らして挑発する。


「この国がこんなに崩壊したのは、敵と内通していた王家の仕業だ!」


 男のうちの一人が、鼻息荒く叫んだ。


「そして、この女は城の関係者だ、その杖で分かる。なあ兄ちゃん、女の味方をするなら、お前も殺すからな」


 男たちが依人に詰め寄る。圧倒的体格差、人数差。しかし依人は怯まなかった。


「この女を追っていた理由なんか、どうでもいいさ。……ただお前ら、邪魔なんだよ!」


 少女の声も聞かず、依人は自分から飛びかかって行った。

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