この恋は、はんぺんよりも
木曜日御前
本編
「あ、すみません、すみません、あと、はんぺん貰えますか」
とある青色が目印のコンビニの中、一人の女子大生はスマートフォンを片手におでんを選んでいた。女子大生はバイト帰りなのか、随分くたびれた顔に、滲んだアイメイク、崩れたファンデのシワが余計に悲壮感を感じさせる。
髪もまた随分美容院に行ってないのか、色の抜けた毛先は金髪に、中間はまだ色残る茶髪、生え伸びた根本は黒くなっていた。
既に現在時刻は22時過ぎ、中にあるおでんたちは煮詰まり、色は黒く、形も煮崩れ寸前だ。
ブブブブブッ
「あ、あと、玉子と大根も」
彼女の手の中にあるスマートフォンは、早く出ろと言わんばかりにバイブが震え続けるが、彼女は気にすることもなく、店員におでんの注文をする。店員のおばあさんはそんな彼女を心配そうに見るが、何も言わずそのおでんを掬ってくれる。
「以上でよろしいですか?」
「はい、お願いします」
よそわれて、カップに詰められたおでん。大根は煮崩れ、大きくて丸いはんぺんは一部割れている。卵が唯一のきれいな生存者だ。
彼女はポケットから取り出した四つ折りされた千円札を広げて、小銭受けの上に置く。
その間も、スマートフォンは震えていた。
品物を受け取って、彼女はコンビニの外に出る。冬の寒さが染みる11月末、夜ならば尚更彼女の頬を突き刺すような寒い風と、乾燥が襲う。
そして、そこでやっと、彼女はスマートフォンに視線を戻した。画面を起動して、ロックを解除した彼女。開かれた画面にはメッセージアプリの一覧。一番上の段にある焼肉のアイコンをタッチする。最新はすべて不在着信で埋まっており、先程彼女が見たメッセージは少しスクロールするとまだ存在していた。
ブブブブブッ
開かれた今も煩くバイブを鳴らしてくる。既読がついたのに気づいたのだろう、通話に出るかどうか画面から問われる。だが、彼女は戸惑いもなく赤い受話器のボタンを押した。
相手からの通話は容赦なく切られたあと、彼女は軽やかな指でその相手にメッセージを返す。
【 そうね、別れましょう 】
相手からのメッセージの返信はない。その代わりと言わんばかりに、もう一度鳴った通話要望を、彼女はもう一度躊躇いなく切った。
「早く家に帰らなきゃ」
彼女は呟くと、そのアプリの一番上にあるブロックボタンをぽちりと押した。
3年も付き合った彼氏と彼女が別れた瞬間だった。
三年前、彼女はまだ女子高生だった。
17歳になったばかり、来年大学受験というのに、勉強を放り出してしまった。
一度踏み外した道に戻るのは難しく、彼女は遊び相手を探すためにmixiのコミュニティとかでオフ会みたいなのに参加しては、うっすい友人関係を構築していた。
同じ学校の人とは恋愛的な付き合いはなかったが、オフ会では上手くやって、好きな年下男子とデートもした。同い年の彼氏が出来たこともある。でも、彼女は結局うまくいかず、何度も振られた。
そんなときに出会った男は、9つも年上のオタクだった。漫画が好きで、アニメも好きで、イラストも上手で、話がとにかく合う人。
この二人が付き合うまでは、とても早かった。デートをして、遊びに行って。
大学受験は勿論失敗した。けど、彼女は後悔はしていない。家から近い女子大には行けたから。というよりも、彼氏が女子大に行ってほしいと言われホイホイそうしてしまったところもある。
二人の付き合い始めは、彼女も幸せだった。
大好きな彼氏と、結婚するのかな? と想像したこともあった。
しかし、付き合って一年目が過ぎ、大学生になってから狂い始める。
「俺が奢るよ」
「いや、私、バイト代あるからいいよ」
「奢るって言ってるだろ」
彼女が女子高校生時代はずっと奢られていたけれど、大学生からはバイトを始めたので、自分の分は払いたかった。けど、彼はそれを固辞する。いい彼氏に見えるかもしれない。
けど、奢ってるのだからと、彼女がご飯を選ぶ権利はなかった。
寿司を食べたい彼氏に、生魚が苦手な彼女。
しかも、カウンターの良い店。
穴子と甘エビ、ツナ巻、玉子、炙りすぎたトロ。
辛うじて食べれるものを選ぶ彼女と、その隣であからさまに機嫌が悪くなる彼氏。
正直、安くて煮詰まった余り物のおでんのが、美味しいと思えるくらいに、彼女にとっては味のしない寿司だった。
その後、家に帰った彼女に、彼氏から「いい店連れてきたのに」とねちねちとメッセージで責められた時、彼女は悲しくて、ただ謝るしかできなかった。
「もしこんな事したら、別れるからな」
「ごめんなさい、気をつけます」
その時、彼女と彼氏の中で何かが壊れ始めた。
彼氏は彼女より優位に立ったと思ったのだろう。
彼氏が急に「メイクをするな」と言い始めた。
彼氏が急に「俺がメールしたらすぐ返信しろ。場所も言え、画像も送れ」と言い始めた。
彼氏が急に「髪の毛を染めるの禁止」と言い始めた。
彼氏が急に「スカート禁止」と言い始めた。
彼氏が急に「サークル禁止」と言い始めた。
彼氏が急に「アルバイト禁止」と言い始めた。
彼氏が急に「スマートフォンのロック禁止」と言い始めた。
言葉だけじゃない。
首も締められた。
殴られたこともある。
デートするのも彼の家だけ。ご飯も彼が適当に見繕ったお惣菜屋のご飯だけ。
彼の家に言っても、鬼畜な人間性を捧げるゲームを彼がするのを見ていることしか許されない。
二年目からの二人の間にはそんな記憶しかない。彼女にとっては、なんとも理不尽な要求と、理不尽な扱い。
ただ、忘れてはいけない。彼女は、学校で彼氏が出来なかった理由があるのだ。
彼女は理不尽な要求を一つだけでも、その理由に火をつけるには十分だった。
彼女は、その理不尽な要求に対して、彼女なりの誠意ある態度を見せた。
メイクをするなと言われた。ならばと、すっぴんの上にマ○コ・デ○ックスのマスクを着けて、彼氏の家に行った。
メールしろ、場所も言えと言われた。ならばと、「地球」と書いて、地球の写真を送った。
染髪禁止にされた。ならばと、派手なウイッグを着けて彼氏の一人暮らしをしている家に行った。
スカート禁止と言われた。なので、フリフリかわいいワンピースを着ていった。「スカートじゃないAラインワンピース」と御託を述べた。
サークル禁止と言われた。なので、社会人よさこいチームに所属し、大学では漫画研究部に入った。
アルバイトを禁止された。これは普通に反抗した。「学費代わりに払ってくれるの?」と彼女が彼氏に尋ねたら、彼氏は押し黙った。
スマートフォンロックを禁止された。彼氏の家に行くときはスマートフォンを金庫にしまって持っていった。ちゃんと、鍵はナンバーロックで。
さて、そんな彼女と彼氏は一年半もこの攻防を続けていたが、それも終わりの時を迎える。
【ずっと思ってたけど、腐女子とかさ、男同士の見て興奮してるとかキモいから、俺とこれからも付き合いたいならやめてほしい】
彼氏が急にそんなことを言った。それは6月のこと、あと半年もない内に彼女たちの3周年記念が来る。そんな時期にメッセージで送られてきた内容に、彼女は首を傾げるしかなかった。
付き合う前から宣言していたことに対して、いきなりそんなことを言われるなんてと思い、素直な気持ちをメッセージに載せた。
【今更過ぎない?】
二年半もお前はそう思ってたのかよ。この時初めて、彼女の中で彼に対する悲しみや愛は枯れて、憐れみや呆れという感情しかない。
さて、腐女子をやめろとは言われた。
それに対しては、対処をどうしようか。
そう思っていたが、明光は彼女に差し込んだ。
呆れ果てたメッセージ後、初めて彼の家へと行った。彼女はちゃんも化粧もし、スカートも履き、きれいに染められた金茶の髪は光をキラキラ反射している。
これは、丁寧に一つずつ、彼氏の要望を叩き折ってきた戦勝の証であった。
不機嫌そうな彼氏は、相変わらずゲームをしながら扉から入ってきた彼女を迎える。昔ならご機嫌取りをしただろう彼女は、そんな彼氏を一瞥したあと、荷物を置くために棚へと向かった。
「ん?」
棚の隣の押し入れが珍しく開いている。普段はきっちり閉じられているそこを思わず注視した彼女は、一つのものを発見する。
おねショタの同人誌。
しかも、彼氏の絵柄。
しかも、複数。
彼女は容赦なくその一冊に手を伸ばした。
「ねぇ、自分はこんななのに、彼女の趣味に口出すってさ、どういう神経してるの? ねぇ、教えてよ? 理由があるなら、聞いてあげるから」
その本を彼氏の前に突き出した彼女。
男は次第に顔を引き攣らせて、彼女の頬を殴った。その後、取っ組み合いの喧嘩をした。彼氏の顔を何度も叩いた彼女は、男に首を絞められたがそれを正拳突きで喉を狙うくらいにはやばい奴だった。
彼女は、学校でも手も口も早いで有名だった。足立区で生まれ育った彼女が、都会の洗礼された学校に馴染むまでは相当な苦労があった。
女子をいじめてた男子生徒にドロップキックしたり、男にラリアットガッツリ決めたり、女子をいじめてた女子に「性格ブスはさあ暇なの?」って連呼したり、先生相手に喋る口調は下町丸出しのキツめの言葉。
そう、相当、相当、周りも本人も苦労したのだ。
この根っからの学級崩壊経験ヤンキーが軽度陰キャを通り、軽度ネタ枠ギャルになるくらいには。
そんな野生児の頃を知ってる奴らは、彼女と付き合うことなんてない。
そして、そんな野生児ぶりを久々に表に出した彼女に、彼氏は「出てけ!!!!」と赤く腫らした頬を抑えて叫んだ。
彼女は勿論、「じゃあね」と言って、さっさと出ていった。メイクも崩れ、それなりに傷だらけの彼女は、最寄りの地下鉄に乗りながら、爽快感ある気持ちで家に帰る。
そして、そこから、このおでんの日まで男から連絡はなかった。
彼女からもする気はなかった、正直終わったと思っていたし、その頃バーテンダーという新しいバイトに四苦八苦していたのもある。
だから、馴染みのおばあちゃん店員の前に立っておでんを注文していた最中に、彼氏からメッセージが来たのは正直彼女にとって失笑ものだった。
しかも、
【別れよう。お前のこともう好きじゃない】
なんて通知に出てくるもんだから。
その後、彼女に対して何度も電話してくるのも、意味が分からなかった。
多分このとき、彼女が彼氏に
【何でも言うこと聞くから別れないで】と言ったら、まだ続く可能性はあった。
でも、彼女の天秤は彼氏よりも、眼の前に浮かぶはんぺんを選ぶことのが大事だった。
味が染み込んで、白の部分がだいぶ少ないはんぺんがぷかぷかとおでんの出汁の上を泳ぐ。
(はんぺん美味しそう)
その感情のが、彼女にとって大事だった。
おでんを購入した彼女は、もう寝静まった家族がいる家に帰る。親は寝ております、リビングの光をつけて、自分ただ一人遅い夕ご飯のおでんを食べる。
溢れないように着けられたプラスチックの蓋を外せば、ふわりとコンビニおでん独特の香りが彼女の顔を襲った。
随分静かなスマートフォン、写真メインのSNSを開くとよさこいチーム仲間たちが元気に絡んでおり、つぶやきメインのSNSには漫画研究部の部員たちが深夜アニメの全裸待機を行っている。
そんなものを眺めながら、大きくて丸いはんぺんに齧り付いた。じゅわっと、溢れる出汁。不思議なふわふわ感が、少しだけある。
美味しいなあ。あの時、はんぺん、選べてよかった。幸せだぁ。
そう思いながら、スマートフォンを見る。ブロックをしたので、もう元がついた彼氏からは連絡が来ることはない。
「ああ、そっか」
3年付き合った彼氏よりも、眼の前の煮詰まったはんぺんのが欲しかった。
3年付き合った彼氏よりも、この口に運んだはんぺんのが今の私を幸せにしてくれた。
3年付き合ったことよりも、胃に消えていったはんぺんのが大事だった。
そう気づいた瞬間、彼女は人知れず、おでんを食べながら涙を流した。
「なに、意地になって3年も付き合ってたんだろ」
別れるタイミングは沢山あったのに。
楽しかった思い出よりも、意地になって、お互い居心地の悪い記憶のが多い。
そんな、彼氏が悪かった。
いや、そんな彼氏を選んだ私が一番馬鹿だった。
はんぺんは胃に消え、おでんは口の中で溶けていく。そして、玉子は半分に割って、黄身を出汁に溶かした。
彼女の父親流のおでん出汁によくやる味変。
温かくてまろやかになった出汁、彼女はカップを持ち上げて、ごくごくと飲む。
そして、出汁を飲み干す頃には、嫌な気持ちも胃の中へと流れていった。
「恋愛向いてないや」
彼女は初めて、自分が恋愛に向いてないと自覚した。まさかのきっかけがはんぺんだなんて、彼女は自分に対して失笑する。
おでんのはんぺんよりも価値のない恋を3年も続けた自分に別れを告げて、彼女は別れた報告をするためにつぶやきメインのSNSのアプリを開いた。
終
この恋は、はんぺんよりも 木曜日御前 @narehatedeath888
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