事象の地平面

1

『弟、レイル・マクスタントへ。

 父さんが生死不明になったのは知ってのとおりだ。そして、貴殿がこの手記を読んでいることは、俺も生死不明になったと思ってほしい。

 俺はある人物とともに父の遺体を探しに行く。残念ながら場所は教えられない。

 この手紙を読む頃には、宇宙国家の統治する領域から離れている。もし半年か一年、宇宙国家から連絡がなかったら亡くなったことにしてくれ。

 一つだけいえるのは、マクスタント家の生業は俺で終わる。

 祖父が何と言おうと、無理をしないでほしい。

 時代は変化する。長く続いた家の歴史でも人の営みの流れには逆らえない。

これも宇宙の定めだ。自我を殺して家訓を守る必要はない。

 貴殿だけでも母のそばにいてほしいのが俺の願いだ。悲しませる親不孝者をどうか許してほしい。幸運を祈る  兄、コルト・マクスタント』



 何度目かの電子遺書に目を通してあと、アーステーションへ送信する。

「やっぱりどうかしているよなぁ」

 完了の表示を見届けた後、コルトはひとりごちた。

 肉親の遺体回収はするなと教わってきたのに、よりによって最も不可能な場所へ行くのだ。それも子どもみたいな女の子に自分の運命を預けている。

 父さんはどういう想いでブラックホールへ行ったのか。

 死ねば家族が悲しむのは知っていたはずなのに、死なないとでも思っていたのか。それほどミィミィのお母さんのことを信頼していたのか。

 いや、考えるのはよそう。

 物資の搬入は済んでいる。ユユリタ三世に報告したら嬉々として速やかに用意した。五年分の食料の貯蓄と、救難信号、大気圏離脱が四回は優にできる燃料を積んでくれた。だが、果たして意味があるのか。遭難しても救助される見込みはゼロだ。ブラックホールに入れても重力から振りきれそうにない。往路も復路も彼女頼りだ。

「危険な~旅に~どうしていくのか~♪」

 ミュージカルさながら、操舵席から立ち上がってくるりと回った。

「悩んで~みたけど~宇宙は教てくれない~♪」

 両手を広げて声を張り上げる。だが、音の高低い不安定でヘビが蛇行を繰り返すようだった。

「生きて帰れるなら~海で魚を釣ろう~♪」

 操舵室を出て喉を震わせると、歩いてすぐの居住スペースのドアを開けた。


「あ」

 それが視界に入った途端、コルトの喉が止まった。

ミィミィはぐるぐる巻かれたソフトクリームをなめていた。

怪訝そうにこちらを見ていたが、先に不満を口にしたのはコルトだ。

「またそんなに食べて! お腹壊すよ」

「ぶー、いいじゃん。お母さんみたいなこといわないで」

 白いクリームがついた頬を膨らませてミィミィがいう。

「いや、常識の範疇だから」

 コルトは呆れるほかない。

 アイスはユユリタ3世からの餞別だ。最期かもしれないので、味や形状、素材など様々な種類を譲り受けた。おかげで居住スペースの冷凍庫の大半がアイスで埋まっている。食べ物に強い執着がないコルトはその異様さに戸惑いを覚えた。

 そんなミィミィは居住スペース内の窓から外の景色を一瞥した。

「なんか、宇宙っておもっていた以上に何もないんだね」

「宇宙にでたことないんだっけ」

 彼女は顎を下ろして、またぺろぺろとバニラクリームを舐める。不満げな表情はミルクの甘味で消えたようだ。

「せっかく巫女の役目から離れて自由だぁーって思ったけど、何かしてないと退屈」

 同意するようにコルトも頷く。ずっと惑星に住んでいたらそうなるだろう。

 宇宙の旅は果てしなく時間を有する。待つことのほうが長い。


「家業は嫌じゃなかったの?」

「巫女の役目は好きだよ。毎日星の力を感じて、みんなに占いや恵みを与えることは名誉だもの。でも、三〇〇年の寿命で、ずっとこれが続くとおもうと耐えられない。だからときどき、男の子の恰好で脱走してた」

 ミィミィは帽子のつばを上にあげてにぃと笑った。

 話を聞きながらユユリタ一世を想像した。

 過去の記録によれば、ユユリタ一世はリリ星の生活に飽きて、空を見上げていたという。宇宙が呼んでいる。それが口癖だった。

「ボクもユユリタ一世みたいにワクワクして来たけど、星の中も、大気がない漆黒の外も、ただの景観にすぎなかった。でもさ、宇宙がすごいんじゃなくて、宇宙にきて何かやり遂げようとする人間がすごいんだね。こんな何もないところに人が住める場所をつくったんだから」

「そうかもしれない」

 コルトは自分もその延長線にいることを理解していた。

 偉大な発見や研究の裏で、宇宙では多くの人間が犠牲になっている。マクスタント家は無念に散った彼らを救済すべく仕事を請け負っていた。

 だが、危険を冒してまでそれをする意味はあるのか。

 星の恵みを日々感謝するリリ星人の生き方は、人のあるべき姿じゃないか。死を覚悟して宇宙に出る必要はなかったんじゃないのか。

 多くの批難を受けてきたゆえに、シーズ人の生き方に疑問が浮かんだ。


「コルトは仕事が嫌い?」

 ミィミィの声に我に返る。

「志が高いのは知ってるんだ。でも、俺は父さんみたいに誇りをもてない。仕事をこなすたびに人の泣き顔を見るのはつらい。それに、時代に取り残されている」

 心の内を覗かれる以上、隠す意味はなかった。これまでの悩みを吐露してしまう。

「稀有な仕事だとボクもおもうよ。悪く言えば墓荒らしみたいなものだしね」

 ミィミィは遠慮なしにいう。

「かくいうボクも傀儡といえば傀儡だから。ときどき、何のために生きてるんだろってなる。だからお母さんを理由に星を出ていったけど」

 ときおり舌をだす彼女だが、達観していて苦しそうには見えない。

「辞めることは簡単だし、AIが仕事をしてくれるから食べるにも困らない。ただ生きていくだけなら誰にでもできる。けど、一つだけいえるのは、コルトの仕事は偉大だよ。

 宇宙で亡くなった人は、後世のために何かを残そうとしていた。結果的にその人は失敗したけど、コルトはその想いを遺体という形で預かっているんだよ」

 ミィミィからそんな見解を聞くのが意外だった。

 あまり考えてもみなかった。

 父からは崇高な仕事だといわれてきたが、無残な死体を目にし、お金を代償に周囲から煙たがられているうちに、報酬を得るための建前じゃないかとおもえてきた。現実は働かなければ生きていけず、自分を偽って仕事をしているのだと考え始めていた。

「でも辞めたっていいとおもう。無理にやっても苦しいだけだし」

「わかってる。いまはこの仕事を終えてから考えることにするよ。ていうか、死ぬ確率のほうが高いけど」

「あー、またボクを信用してない!」

 頬を膨らます彼女にコルトは屈託なく笑った。

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