第3話 特務大尉?
少しだけこの世界のことを思い出してみよう。ユウジがそう思ったのは、艦のキャットウォークから海の向こうへ消えていった島々を眺めたからだ。
ふと、そんなことを思い出す瞬間があってもいいことだろう。青空に生きているから忘れがちだが、一応は地上に生まれた人間であって、戦闘機には燃料がいる。どれだけ空を愛して、長く空を飛んでいたいと願ったところで、陸からは離れて生きられないのが歯痒いところだ。
ユウジが生まれたのは、中央公海に浮かぶラサンという小さな島国。大小無数の島国に囲まれた島嶼国家であり、軍事連合の北部島嶼同盟に加盟している。
そこで軍人になった彼は、自動的に北部島嶼同盟軍の所属となった。
いくつもの島嶼国家が同盟を組み、いつものように戦争を繰り返す理由は資源にある。小さな島々では鉱物資源に限りがあって、発展のためにはそれを奪い合わざるを得ない状況にあるのだ。
そんな中でも北部島嶼同盟は上手く立ち回っていた方で、北極圏のリオール連邦や、リオールを経由して地球の真裏、フォークエスト大陸諸国との交易によって資源を潤沢に得ていた。
地球の真裏の国々と関係を結べているのは北部島嶼同盟だけであり、それが島嶼国家群の中でも大きく発展し、数多の戦争を勝ち抜いてきた理由でもある。
それがここ数年で変わりつつある。リオールとその隣国、コンメト連邦の戦争が激化してきているのだ。経由地のリオールが戦火に見舞われた影響を受けて、フォークエスト大陸との交易が途絶えて久しい。
コンメトはリオールだけでなく、リオールと友好関係にあるフォークエスト諸国とも敵対している。それらの国々と交流のある北部島嶼同盟に背中を刺されるのが怖いのだろう。でも、島国に割ける戦力は多くない。
だから、資源を渡さないように通商破壊作戦に出た。後は放っておくだけで北部島嶼同盟は勝手に弱体化して、恨みを買っている他の島嶼連合に潰されるから脅威にならないとみているのだろう。現実、北部島嶼同盟の空域に侵入する他国の軍用機が増えてきている。
だからこそ、北洋艦隊計画が実行に移された。リオールを経由しない東回りルート、途中に補給できるような陸がないと言われ、海図も不明瞭。
そんな海域を突破して、フォークエスト大陸との連絡線を構築するという壮大な計画。北部島嶼同盟の命運を握るこの計画は、空母「鈴城」を旗艦とした空母機動艦隊に託され、乗員は一水兵に至るまで精鋭が揃えられている。
ブラッドムーン隊の3人と、編入されたばかりのエルナは何かしらの理由があって鈴城の艦載機搭乗員として配属されている。ユウジとアレッサンドロ・ラッツァリーニ中尉は北洋艦隊配属以前にも組んだ事もあり、お互いの腕が確かなのも知っている。
無茶苦茶をするアレッサンドロの僚機だったイリヤ・ガリチェンコ少尉も、北洋艦隊で共に飛ぶうちに信頼し合える関係となっている。
それでも、エルナの事は誰も知らなかった。組んだ事どころか、一緒の部隊にいたパイロットもここにはいない。
そういう新入りを交えた食事の時は、決まってお通夜のようになるのだが、ここにはアレッサンドロという型破りのナンパ野郎がいる。こいつがいるならば、誰か死なない限りそんな雰囲気にならないということをよく知っているし、静かな食事という愛しい時間が永遠にやってこないと悟り、ユウジは静かに肩を落としていた。
「で、エルナちゃんはどこの部隊にいたんだ?あ、俺っちとイリヤは東部防空軍第4航空連隊な!」
アレッサンドロは昼間から酒でも飲んでいるのだろうか、そう疑ってしまう程にテンションが高く、周りの席で食事を摂っている乗組員たちも彼を見て、すぐに自分のプレートへ目を戻していった。
部隊に何人かいるような、やけにテンションが高くて喧しいカルファ人パイロットよりも自分の食事の方が大切なのだ。同じ小隊ならともかく、どこの誰かも知らない奴よりも目の前のポテトサラダが気になるのが人の性である。
「私は第2訓練飛行隊からです。首席卒業で、それを理由に北洋艦隊計画へ配属を命じられました」
「おいおい、まさかのニュービーかよ。それでよく抜擢されたな」
イリヤはケラケラと笑いながらコーヒーを飲むが、エルナを馬鹿にした罰が当たったのだろう。気管にコーヒーが入ってしまい、むせかえっていた。
「ま、墜ちねえように頑張ってくれよ。ナビゲーターがいなくなったら、俺っちも帰れなくなっちまうからな」
空母搭乗員は洋上飛行のために航法技術を身に付けているし、機体には空母の位置を知らせる無線航法装置が搭載されているから、エルナの出番はそんなに多くないはずだ。
大抵の場合、新兵はパニックに陥ることで培った技術を生かしきれずに死んでいく。だからこそ、新人がいかに成績優秀であっても信用されないし、命を預けようと思えない。
特にユウジはいかなる時も自分しか信じていない。どんな時でも最後は自分次第と思っているからこそ、いつだって1人で飛ぶことを好むし、自由な空で枷を付けて飛びたくないのだ。青空は自由で広くて、いつかあの果てへと飛んでいくことを望んでいるのだから。
「分かっています。それで、隊長は」
エルナがユウジに声を掛けるが、彼は綺麗に何もなくなったプレートを持って立ち去ってしまう。席に着いてから食事を終えるまで何1つ話さず、立ち去る時でさえ、元々そこにいなかったかのように机上を綺麗にしていた。
幻覚でも見ていたのではないかと、エルナは目を擦って二度見する。
「なんですかあの人」
感じ悪いと渋面を浮かべる彼女に、アレッサンドロとイリヤは苦笑していた。最初に彼と会う人間はみんなそういうのだ。そして、孤高のイヌワシは周りの評価を気にも留めていないから、その態度を直すことは生涯ないだろう。
「ま、ユウジの野郎はいつもアレさ」
アレッサンドロはそう言って溜息を吐く。彼は誰ともつるまないし、援護も求めず、自分だけの空を飛んでいるとも知っている。
その上で戦友の身を案じるかのように、遠ざかっていく彼の背中を見つめていた。彼の機体を追いかけた記憶が蘇っても、隣を飛んだという記憶だけは見つからない。
ユウジ・サガミとはそういうパイロットなのだ。それこそ、本当にイヌワシの心を宿しているのかと思ってしまう程に。
「うちの小隊は実質指揮官不在だな。サンドロ、代わりに仕切ってくれよ」
「おいおい、俺っちに面倒な書類仕事を任せるつもりか?」
そりゃねえぜ、とアレッサンドロは笑いながら紙ナプキンを引き裂くと、先をねじってくじを作る。うちの1つはケチャップを染み込ませて、先に赤く印をつけた。
「これで決めようぜ。神のみぞ知るって奴さ」
「そんな軽くで決めていいんですか?」
「本当にヤバくなったら、ちゃんとユウジが指揮を執ってくれるから安心しろよ」
俺はやりたくねえ、イリヤは笑いながらくじを引く。その先端は綺麗に白く、編隊列機という立場は守られた。残りの片方をエルナが引き、アレッサンドロの手には白いくじだけが残る。
「これ、私ってことです?」
エルナはケチャップの付いたくじを二度三度と見直し、表情を歪ませる。アレッサンドロとイリヤは人ごとのように笑い転げていた。
くじに細工してあったわけでもなく、意外にも彼は公平なくじ引きを作っていた。ただ、エルナがついていなかったという事実だけが残酷な現実として残った。
「早速ツイてるな。書類仕事頑張れよ」
ユウジの報告書は割と適当であるため、何度も再提出を喰らう事になる。代筆する羽目になった経験のあるアレッサンドロは苦笑いを浮かべていて、着任早々面倒ごとに巻き込まれたエルナはテーブルに突っ伏してしまった。
おかしい。精鋭揃いの北洋艦隊と聞いて心を躍らせていたのに、こんな適当があって許されるのか。イリンスキーに言えば配置換えしてくれるか、あの隊長を叱ってくれるだろうか。
否、少なくとも後者に期待は出来ないだろう。ノックもせずに入室するだけならばまだしも、艦隊の総司令官をあだ名で呼ぶ彼を叱らなかったのだ。訓練隊でやったら間違いなく鉄拳制裁が下る行いを何の躊躇いもなくやって許されているのに、怒られるとは思えない。
「でも准尉だろ?それじゃ格好つかねえな」
「ならばこうしようぜ。今日からグライヴィッヒ特務大尉ってことでよ」
「そりゃいい。よろしく頼むぜ、特務大尉殿」
イリヤはそう言って茶化しつつ、未だ突っ伏す彼女の頭をくじの先端で突いて遊ぶ。もちろん抗議の声を上げようと起き上がるが、スピーカーからけたたましく鳴り響くアラームがその抗議の声を掻き消してしまった。
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