『我慢ゲーム』

 俺は振り返ることなく、そっと扉を閉める。金城さんの啜り泣く声は消え、今はたった1人で最後の部屋にいる。


 ここが最終ステージなのだろう。今までは真っ白だったはずの部屋が、少しオシャレなバーのようになっている。


 そこに一角や香織の姿はなく、2つの丸椅子と、壁にカウンターのように机が貼り付けられている。そしてエレベーターをぶち抜いたような不自然に下へと続く穴も部屋の隅にあった。


 俺はカウンターチェアに腰を下ろす。だった2時間ぐらいのことなのに、久しぶりに座ったような感覚に陥る。ババ抜きの時のような硬い椅子ではなく、クッションがあり、安らぎと安心感に包まれる。


 部屋の端にはシングルサイズの布団が敷かれていた。ここで1日過ごせと言うことだろうか?でも俺の出てきた扉以外に二つの扉がある。どちらかが一角達が来る部屋で、もう一方が出口なのだろう。


「金城さん…」

 冷静になんて考えられないが、俺は確かに金城さんを殺し、今、ここにいるのだ。どう足掻いても俺は人殺しでそれは紛れもない事実だ。


「ううっ、」

 事実を確認することで余計に気持ち悪くなり、ゼリー状の何かが口まで這い上がってくる。俺はどこかリバースできるとこを探したが、そんなもの無かったため飲み込むしかなかった。


 まだ口の中には汚物の匂いと後味が残る。変に頭も重い。俺はテーブルに腕を枕にして瞼を閉じた。−−



「君ら呑気のんきだな。出口どころか窓一つないぞ。このままじゃ窒息死だ。」


「まずはみんなで考えようよ!死に急ぐのはそれからだ!」


「頼むから俺を無駄死にはさせるなよ。」


「そうだよね。ごめんね。やっぱり私、性格悪いや。」


「みんな、争っている場合じゃ無い。何とかして生き残る方法を考えよう。」


「私は生きたいなんて言ってない。信じて欲しい。ってそう言ったの。あんたバカだね、、」


「違う、そうじゃない、友達が死んで涙を流すのは人として当然だって言ってるんです。」


「普通は泣くんだよ!悲劇でもなんでもない!みんながおかしいんだよ。なんでそうやって笑っていれるの?」


「何泣いてんだ。お前は自分が守りたいものを守れ。それが自分であっても、他の誰かであっていい。ただ、裏切るようなことはしてくれるなよ。」


「それでも諦めて死ぬなんて間違ってるよ!今まで死んでいった人たちの誰が諦めてたって言うのよ!」



 俺は目を開ける。ほんの数分寝ただけだが体が軽くなった気がする。脳裏に浮かんだみんなの言葉は誰がどんな思いで口にしたか、俺には分からない。それでも俺の大切な誰かが、その人の思う大切な人にかけた言葉だと今ならわかる。


ガチャ−


 俺はすぐさま音のなる方へ、目をやる。そこにはクタクタで今にも倒れそうな香織の姿があった。


「香織…」

「歩君…?」

「そうだよ、俺。」


 香織はハイライトの入っていない瞳から涙を流す。そして俺の方はと倒れ込むように走ってきた。


「会いたかった…」

 香織はその勢いのまま俺の腰に腕を回す。俺はパニックに陥るがすぐに俺に求められているものを理解した。


 別に、これは俺でなくてもいいのだ。香織を慰められる人であれば俺である必要はない。それなら俺のすることは抱きしめることじゃないし、ましてや浮かれることじゃない。


 俺はそっと右手を香織の後頭部に添える。


「お疲れ様。」

 たった一言。それだけ言うと俺は何も言わず香織の静かに泣く声を聞いていた。香織は次第に腰に回していた腕を、前まで持ってきて、俺のシャツを握りながらもう一度頬を濡らした。


「ごめん。疲れてて。」

「いいよ。そっか、一角はもう…」

「ごめんね。私なんかが。」


 香織は真っ赤になっている鼻を啜り、また謝った。心に深いダメージを負った香織にかけた言葉が間違いだったと俺は意味のない反省をする。


「違う、違う。別に一角が良かったとかないよ。一角の気持ち的にも香織が生きてそうな感じはしたし。」

「そっか。やっぱり優しいね、歩君は。」


 香織は俺の目をまっすぐに見て、微笑みながらそう言う。ただ、今の俺に優しいなんて言葉は合わない。金城さんを殺した俺が優しいなんてそんなわけない。


「優しくなんてないよ。」

「優しいよ。欲しい言葉をくれるわけじゃない。最適解を出すわけでもない。でも歩君は背伸びせず、自分の弱さを認めて、人の弱さを許容してくれるから。」


 半分ぐらい何を言っているのか分からなかった。そして分かったことは微妙に褒められていないことだ。


「それ、褒めてる?」

 俺は苦笑しながら香織にカウンターチェアに座るよう促す。


「私の中では褒め言葉だよ?」

「人の弱さを許容してあげるって褒め言葉初めて聞いたよ。」

「私も歩君と一緒で背伸びしない派だから。」


 香織はふふっ、と軽く笑った後、椅子に座った。そしてテーブルにあった裏向きの紙に手を伸ばす。香織は目を擦り、切り替えたように笑った。


 俺は怖くてその紙を見ることができなかった。目を逸らし続けた。でも、今なら、香織となら見れる気がする。


『今からあなた達、2人にデスゲームをしてもらいます。次にやってもらうのは「我慢ゲーム」です。その名の通り全てのことに我慢してもらいます。リタイアのための穴もあります。このデスゲームで生き残ることが出来るのは1人です。さぁ、最後の生き残りを賭けたデスゲームを始めましょう。』


 俺たちは少しの間見つめあった。そしてデスゲームに関して何も話すことなく、このデスゲームを終えるのだった。


「いっぱい言いたいことと言わなきゃいけないことがあるんだけど先聞いていい?」

 香織はめいいっぱい背筋を伸ばす。そして反った胸に目を引き寄せられながらも真面目に答える。


「騙すつもりはなかったんだよ。ただ、金城さんと話していくうちにこの人のために死ぬんなら香織や一角の方が俺たちのことを思ってくれそうだなって思って、それから何とかって感じ。」

「最初に自殺しようとした人とは思えない人の言葉だね。」

「痛いとこついてくるな。結局最終ゲームまで残っちゃったし言い逃れできないんだけど。」


 静かな部屋に俺と香織だけが確かに存在した。俺たちはもう、我慢なんてしない。思いをぶつけ合って、出来るだけ話して、それで終わる。我慢するのは香織が未来でやってくれるはずだ。


「歩君覚えてる?助けられないんじゃなんで助けられたか分からない。ってカッコつけて言ってたの。」

「カッコつけては余計だよ。カッコが俺に付いてきたんだよ。」

「そうやってすぐはぐらかす。」

 香織は不貞腐れたように唇を突き出す。


「それがどうした?」

「私ね、思ったの。飛騨さんは歩君に生きててほしかったんじゃないかって。」

 俺は返事に困り、黙ることを選ぶ。すると香織は俺の返事を待たずにまた話し始めた。


「最初の部屋でさ、私と飛騨さんが次の部屋の偵察に行ったの覚えてる?あの時私飛騨さんに脅されてたんだ。」

「脅されてた…?」

「そう。私と飛騨さんがもう部屋に入った時には実はもう紙が貼られてあったの。」

「紙って、これか?」


 俺はポケットに入っている、『武田一角は過去に1人、自殺に追い込んだことがある。 全ての紙の中に2枚、嘘が書かれた紙が入っている。』と書かれた紙を香織に見せる。


 香織はコクリと頷くとまた、口を開いた。


「そう。それでね、私たちは先に全ての内容を見たの。」

「それって、飛騨先輩も白銀さんが三股しているのを知ったってこと?」

 俺は知りたいという好奇心と、真実を知る怖さを奥底に秘め、恐る恐る香織に聞く。


「知ってたの。飛騨さんは千代さんが三股していたのを知った上であれだけ優しくしていたの。」

 俺は一瞬、理解できずに硬直した。飛騨先輩が知っていた?じゃあなんで別れなかったんだろ?問い詰めたりしなかったのだろうか?


「ここからは私の推察なんだけど、飛騨さんはそれでも千代さんが好きで、そして、このサークル内で千代さんが悪者にならないために隠してたんじゃないかなって。」

「飛騨先輩…」

 俺は胸が締め付けられたように苦しくなる。裏切られても、それだけ1人のことを愛し、その人のことを思える。俺はただ、守りたいものの前では泣かないという一心で、涙を堪えた。


「それで飛騨さんは私に千代さんが三股してることは言わないでくれって口止めされてたの。」

「そうか…香織にも色々あったんだな。」

「うん…」


 香織の返事の余韻が部屋中に漂う。俺はふと香織の言葉を思い出し、そのまま言葉にする。


「そのことと飛騨先輩が俺に生きてて欲しかったってどうやって繋がるんだ?」

「そうだったね。飛騨さんはその時に自分が死ぬって書いてあるカードも見たの。だから飛騨さんは自分でそれを本当にすることで、嘘の枠を増やして、千代さんを守ろうとした。って言うのが飛騨さんが死んだ一つ目の理由。」

「他の理由に飛騨先輩が俺を守った理由があるってことか?」


 香織は少し黙った後、「もう一つの理由は、秘密でもいいかな?」と聞いてきた。大切なところだと思ったが、言いたくないことの一つや二つあってもおかしくない。俺は聞かないことを選んだ。


 今外は何時頃か、時計がないので分からないがデスゲームが始まって8時間は経っている気がする。疲労とストレスで睡魔が襲う。俺はさっき少し仮眠をとったのでまだ大丈夫だが、香織はだいぶ限界が近づいているようだった。


「もう寝るか?」

「ううん、もう一つ、話さなきゃいけないことがあるの。武田くんのこと。」

「分かった。ゆっくりでいいから話してくれ。」


 一角の名が出た瞬間、前の部屋での話をするのだなと理解した。香織も、一角を殺して、ここに来たのだ。簡単に割り切れることも許されない。ただ、香織はその死を受け入れようと、俺に話し始めた。


「武田くん、私のために負けてくれたの。すごい苦しかった。私のために命を捨ててくれたのに、感謝の言葉、言いそびれちゃった。」

「一角なら言わなくたって分かってくれてるって、」

「違うの、私達、最初ちょっと喧嘩したの。その内容はあんまり言えないんだけど、なんで生きたいの?とか、みんなのことどう思ってる?みたいな質問されて、その後口喧嘩して、でも急に優しくなって、分からなかった。武田くんが何考えてるか、」

「アイツは大体なんも考えてないよ。気にすんな。」


 俺は半泣きになっている香織の背中をさする。


「それで、何も言わずに、負けてくれたの。本当になんでか分からない。分かってあげられなかった。でも、でもね、武田くん、先輩にとても感謝してたよ。」


 頬に大粒の涙を垂らし、ポロポロと溢れる雫を床に馴染ませながら香織は早口でそう言った。


「なんて言ってた?」

「俺は先輩みたいになりたいって、弱くて、強がりで、かっこいい、先輩になりたいって」


 香織も一角も素直に俺を褒めちゃくれない。それでも俺のようになりたいと言われて、悪い気はしなかった。


「歩君が飛騨先輩を追いかけてるように、武田くんも歩君を追いかけてたんだよ。同じ裏方としても、人としても多分、尊敬してたんだと思う。」

「尊敬か、そんな柄じゃないんだけどな。」

「そんなことないよ。」


 香織は目を擦り、涙を拭う。少し赤くなった目尻のせいで、香織が幼く見える。


「歩君は私が見てきただれよりも優しいから。」

「ありがとな。」


 俺は照れ臭くなって目を逸らす。


「もうそろそろ寝るか、」

「嫌だ。もうちょっと話したい。」

「別に明日もあるんだし、」

「そんな保証どこにもないじゃない。」

「まぁそうだけど。」


 俺は困ったように笑った。その笑顔が何を意味していたのか、俺でも分からない。


「生き残ってくれたのが、歩君で良かった。金城さんだったら、私多分耐えられなかった。」

「そんなことないと思うぞ。」

 俺は香織がいいきると共に強く放つ。


「金城さん、最後言ってたよもし香織が残ってたら助けてやってくれって、昔のこと、申し訳ないと思ってたんじゃないのか?」

「どうだろ?遥さんはそんなにできた人だとは思えない。」

「酷いな。」

「ふふっ、」


 また香織はイタズラっぽく笑う。小悪魔に似たそれは微量の刺々しさと誘惑を兼ね備えていた。


「香織は尊敬する先輩ってだれだ?」

「うーん、誰だろ?涼先輩かな。」

「と言うと?」

「なんか大人って感じするし。」

「俺たちももう成人だけどな。」

「そうだね。」


 俺と香織はまだ成人していないが、桂の誕生日はもう過ぎていた。


「成人式、出たかったな。」

「ごめん。」

「いや、責めてるわけじゃなくて、みんなで写真撮って、ご飯食べて、くだらない話でもして、それがしてみたかったなって。」


 何かを考えるように香織は下を向く。俺は特に何も言わず、横で大きな欠伸あくびをする。

 

「普通悩んでる女の子の横で欠伸する?」

 香織が呆れたように文句を言う。


「眠いんだから仕方ないだろ。第一なんて言えばいいんだよ。」

「俺の分も楽しめよ。とか、くだらない話をしないか?とか、いくらでも出てくるでしょ。」

「残念、出てきたのは欠伸でした。」

「本当に残念だよ。」


 あからさまにガッカリするフリをする香織はどこか楽しそうだった。


「なんで私、投票ゲームの時、歩君に投票したか知ってる?」

 香織は本題をしゃべりたそうにうずうずしている。

「そりゃ俺に投票しろって言ったからだろ。」


「ブッブー。」

 口を尖らせて、香織は答えを簡単に言おうとはしなかった。

「違うのか?」

「どうしてだと思う?」

「わからない。降参だ。俺の負け。」


 俺が面白半分でそう言うと、香織は少し声のトーンを落として、俺に真実を告げた。

「もし私が歩君に投票しなかったら歩君の票は自分に入れたものだけになってたでしょ?それだと歩君のダメージがデカすぎるからだよ。だから私が歩君に投票したのにはそう言う理由があるの。」

「そっか、」


 俺は妙に納得する。確かにあそこで俺しか

自分に投票していなかったら何をしでかしていたか分からない。さりげなく、香織は俺を助けてくれていたのだ。


「だから、私は歩君を死んだ方がいい人間なんて思ってないから。」

「分かってるよ。ありがとう。本当にありがとう。」

「お礼を言うのはこっちだよ。何回も取り乱した私を落ち着かせてくれたし、」


 香織がゆっくりと息を吸う。俺もそれに釣られ、息のリズムが遅くなる。香織はそのリズムのまま、スローで口を開き、こう言った。


「私、歩君のこと、好きだよ。」

 暗く、そして落ち着いた雰囲気の中、香織は俺にも聞こえる声で言い放つ。


「え?マジ?」

「うん。」


 香織は耳まで赤くなった顔を隠すように手で覆う。俺も今は恐らく人に見せられるような顔じゃない。


「そっか…」

「そう。」


 香織は小さく、短く、相槌を打つ。


「因みに、いつから…?」

 沈黙に耐えかね、俺はデリカシーのない質問をさらりと言う。深夜テンションなのか、どこか変な空気になりつつある。


「会って一年ぐらいから?」

「なんで疑問系。」

「分からないんだもん。気付いたら。」


 また沈黙が流れる。俺たちの初対面は桂に誘われてサークルに初めて行った日少し遅れて香織も顔を出していた。元々演劇を習っていたらしく、俺との対応は天と地との差ほどあったことを覚えている。


 第一印象はすごい美人。それだけだった。大人しめで、大学で見かけることも少なく、最初の頃はあまり関わりが無かったはずだ。


 何かあった日と言えば、通しの練習の時、香織がセリフを覚えきれて無くて、金城さんに叱られていた時だろうか?ジュースを一本だけ奢ってあげた記憶がある。何故そうしたかは分からないが何か理由があったんだと思う。


 それから徐々に交流が増えていった感じだったか、今でもあまり関わりが多い方ではないけど。


「理由とかって聞いてもいい?」

「勇気出した女の子に質問攻めってどうなの?」

「女の子って言う歳でも…」


 言うより早いか、香織が割とマジで俺のほっぺたをひねる。俺がのけぞっても香織は離そうとしない。よほどの地雷を踏み抜いてしまったようだ。


「ごひぇん、ごひぇん。いてぁいから。」

「痛くしてるの。」


 ご立腹の様子で香織は優しく俺を睨む。俺は言い訳も見つからず、反省の色を見せるしか無かった。


「それより、理由は?」

「分かんないんだけど、好きって気がついたのは桂くんに告白されてからかな。」

「ちょっと待て、告白されたの知らないんだけど。」

「そりゃ言ってないもん。」

「え?桂も言ってくれなかったんだけど、って言うかいつ?」

「話すから黙ってて。」

「はい。」


 パニックに陥る俺を、見事に牽制けんせいして、香織は思い出すように話し始める。


「一年前ぐらいかな。秋の初めに大学の物置倉庫の裏に呼ばれて、そこで告られたの。正直嬉しかった。大人しいけど良い子だし、そこら辺の人とは比べ物にならないほどイケメンだし。でも、なんか引っかかって言葉が出なかったの。」

「それと俺がどう繋がるんだよ。」

「えっとね。だからごめんって謝ったら、桂くんがそうか、まぁ歩君には勝てないよな。って、その時、私、歩君のこと好きなのかもって気づいたの。」


 ハキハキと言い切る香織はどこかスッキリしていて、俺も真正面から気持ちを受けることしかできなかった。


「それは桂に言われたからとかではなく?」

「分かんない。でも今は絶対に歩君が好きって分かる。それで良いでしょ。」


 暖かな笑顔で微笑みかける香織に「よかねぇよ。」なんて言えるはずがなかった。


「それで、返事、聞いても良い?」

 香織は俺に、目で訴える。拒否権などないから、イエスかノーかで答えろと。俺だって香織みたいな美人に告白されて、嬉しくないはずがない。サークルに入っていなかったら関わることもなかった高嶺の花だ。


 でも……俺は…


「ごめん…香織とは付き合えない。」


 俺は香織を見ることが出来なかった。苦しかった、香織のガッカリした顔を見るのが、傷つけているのは俺だ。見る義務がある。それでも俺は白いタイルを見続けた。


「そっか…理由、聞いても良い?」

「今付き合ったって、絶対香織は後悔する。俺がここで死んで、香織が生き残ったら後ろめたさが少なからず残ると思う。自分勝手だけど、香織には、そんな思いして欲しくない。」


 香織は外に出て、新しい人生を1から築いていくべきだ、その過程で、俺たちのことを思ってくれれば良い。俺と付き合ったから他のやつとは付き合えないなんて言って、香織がその場で立ち止まるようなら俺は幸せのひと時なんていらない。


「歩君、結構今、酷いこと言ってるよ?」

 香織が苦笑しながら俺に聞く、俺は大した返事もできず、「分かってる。」と返した。


「歩くんらしいな。まぁ、そんなところも含めて、好きになったんだけどね。」

「ごめん…」

「じゃあ私、寝るね。」


 最後の一言は少し鼻声で、泣くのを我慢しているように思えた。


「ねぇ、ベット一つって、エッチなこと考えてたでしょ。」

「いや…それ、初めからだから。」

 無理して笑ったような香織の顔は見ていて辛かった。俺にお願いと言う勇気があればとこれほどまでに思ったことはない。「お願いします」の7文字が体から出てこなかった。


 我慢ゲームだからか、はたまた長期戦を意識してか、睡眠が取れるよう電気のスイッチも壁に埋め込まれていた。香織はそれを押すと、シングルマットに寝そべり、布団をかぶってうずくまった。


 あたりが暗くなる。音の無くなった素朴な部屋は無機質で面白みのない部屋となっていた。急な孤独感に襲われる。


 俺は辺りを見回した。そして壁の端に丸型の電気スタンドが置いてあることに気づいた。俺は1番小さい明かりをつけ、カウンターチェアに座るとオシャレなバーのような雰囲気になった。


 特に何も出来ず、時間が流れるのを感じていた。そして俺は新玉さんの言葉を考えていた。『守りたいものを守れ、』俺の守りたいものはなんだったのか、新玉さんの『裏切るようなことはしてくれるなよ。』と言う願いも、金城さんも裏切ってまで守りたかったこと。


 今まで誰かを守れた試しなんて無かった。自分優先で生きてたわけではない。それでも誰かを庇ったり、人を救ったりなんてたいそうなことしたことがない。


 そんな俺が守りたいと言えるもの。もう守れる人なんて残っちゃいない。香織は俺なんかよりも何倍も強い。何度も俺を励まして、何度も冷静にみんなの案を吟味して、その上反感を買っても香織は強くあろうとした。


 弱いなんて言われた俺が守りたいだなんて烏滸おこがましいにも程がある。それでも今は飛び降りるだけで香織を救える。それなら道は一つしかないじゃないか。


 俺はポケットから投票ゲームの時に使った鉛筆とくしゃくしゃになった紙を取り出す。鉛筆の芯はまだピンピンだ。


『香織へ』


 そこまで書いてすでに鉛筆が止まる。何を書けば良いか、何を残すのが良いか、深夜テンションで危ないことを書かないようにしようと心がけるほど、虚しく多くの案が却下されてゆく。


『この手紙を読んでいる頃にはもう俺はその部屋にはいないと思う。死ぬ勇気がなかったらまだ残ってるかもしれないけど。』


 固くならないよう。最後の言葉をゆっくりと紡いでいく。香織の静かな寝息だけがこの部屋に時間と共に流れている。


『あのサークルは俺にとって、もう一つの家族みたいなものだった。もう戻れないと分かっていても、つい夢見てしまう。でも香織は外に出たら自分の人生を歩んでください。みんなは知りませんが俺は絶対に縛ったりしません。束縛はしない主義なので。』


 読み返して1人で苦笑いする。自分の人生を歩めと言う縛りを俺は香織にかけているにも関わらず、縛らない宣言は矛盾している。それでも俺はまだ書き続けた。


『香織と、みんなと過ごした2年間、本当に楽しかったです。』


 視界が歪む、ポツポツと落ちる雫が、水をふやけさせる。俺は瞬きをして上を向く。今だけは泣いて良いと、自分に言い聞かせる。


 何故俺はババ抜きの時、香織に10のカードを見せたのだろうか?告白された時の気持ちは嬉しいだけじゃなかった。俺も香織と同じ気持ちだったのだ。それでもその気持ちを認めてしまうと拒絶できなくなってしまう。香織の愛を受け入れると香織の未来を歪めてしまう。


『香織、猫のキーホルダー貰っておきます。俺も大好きだったよ。さようなら。』


 俺は手紙兼遺書の中だけでもと本当の気持ちを綴った。ただ、書き終わって後悔する。『さようなら』は悲しいな。こう言う時こそ、『またね』と言うべきだったか。


 俺は上から線を引いて修正するのは締まらないしカッコ悪いと思い、そのままにする。


 飛騨先輩、白銀さん、桂、新玉さん、金城さん、一角、みんな俺も今からそっち向かうよ。みんな、今頃天国だろ?


 ゆっくりとデスゲームが始まってからのことを思い出す。飛騨先輩は何度も励ましてくれたし、一角は盛り上げてくれた、金城さんも電撃を代わってくれたこともあった。


 そういや一角、最後にゴミなすりつけてきたな。


「あっ、」


 俺は思わず口からこぼれた言葉で香織を起こしていないか怯える。変わらず布団にくるまっている香織を見て、軽く息をつく。


 そして俺は一角からもらった消しゴムで『さようなら』を『またね』に書き換えた。


 数百文字書いた鉛筆は力尽き、尖っていた先っちょも今は丸みを帯びている。俺は手紙をテーブルの上に置き、香織の方に向かう。


 何度か香織が寝ていることを確認した後、勝手にポケットからキーホルダーを取り出す。コバンを右手で持ち、手のひらを上に向けている白猫はちょっとの可愛げもなく、なんでこんなものを持っているのか聞きたくなった。


 俺はそのキーホルダーのチェーン部分を外しそれとなく、円形にした。そして、香織の左の薬指にそっとはめる。


 少し悪いと思いながらも香織の寝顔を見ようと髪の毛に少し触れる。サラサラのその髪は空気のように軽く、香織の寝顔も気持ち良さそうだった。


 多分今じゃ無くてもいい。明日の朝でも、いつでもいいはずだ。それでも俺は多分今じゃないと死ねないと思う。


 俺は不安をよそにゆっくりと穴の方へ向かう。深い穴を除くと、底の見えない闇が壁を包んでいた。そっと、ゆっくり踏み出す。浅い息と、バクバクと唸る心臓。


 目を瞑り、俺は闇の中に身を投げた。右手に握る猫の感覚だけが俺の脳に影響を与える。闇に包まれ、黒く染まる。


 そして俺のデスゲームが終わった。

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