『運ゲーム』
地獄の扉を抜けた先もまた地獄。死がどれだけ近くにあっても遠くにあっても、この部屋の連なる何処かにある。死と隣り合わせとはまさにこのことだろう。
「すっずしぃ〜」
高く、澄んだ声色で金城さんが両手を広げる。灼熱の部屋から脱出した俺たちは冷め切った部屋に体の熱を逃す。
もう5人になった。1人、また1人と死んでゆく。自分に力が無いから助けられない。自分の身を守るために他人を蹴落とすことは本当に死んだ方がマシだった。
「桂君…私が死ねば良かったんだ……。」
「大丈夫。香織のせいじゃないんだから。」
新玉さんが優しく香織の左肩を叩く。励ましの言葉も温かい言葉もこの冷め切った現状のせいでただの
この部屋は横幅はさっきの部屋と変わらないが正面の壁ややけに近い。7メートルぐらいだろう。そして、扉にドアノブはなく、そのすぐ隣に黒い何かがあった。
「あのさ、いい加減に慣れたら?」
金城さんが泣きじゃくる香織を見てそういった。その言葉に血が上ったが、俺は言葉を飲み込んだ。しかし一角は違った。
「人の死に慣れろって言うんですか?」
「そうよ。これからも何人も死んでいく。そんな中でいちいち泣いてちゃキリがないでしょ。」
「金城さんは人の心がないんですか?」
「人が死んで涙流すのが人の心って言うんなら、そんな物要らないでしょ。一角君は人の心は人が死んでから表れる物だと思っているの?」
「違う、そうじゃない、友達が死んで涙を流すのは人として当然だって言ってるんです。」
「じゃあなんであなたは泣いてないの?」
金城さんのその一言が一角との言い合いに終止符を打った。今はただ、香織が静かに泣く声だけが耳の中に入ってくる。
飛騨先輩が部屋に残った時、その場にいた全員が涙を流していた。しかし今はどうか、涙を流しているのは香織だけ。俺たちは桂の死から必死に目を背け、見ない様にしてきた。それは自分を守るためであって人の心と呼べる物ではない。
だから誰も声を出すことが出来なかった。何故涙が出ないのか、俺にはその答えは分からなかった。何故か自然と桂との思い出が脳裏に蘇る。
* * *
大学の初登校日。まだ温かく、遅咲きの桜は満開目前の頃だった。いわゆる陽キャはすでにクラスの真ん中を陣取り、俺みたいなやつは暇で、誰もいない校庭を眺めていた。
そんな中、桂は俺の左から声を掛けてきた。
「ねぇ、北川君だよね。」
「ん?、あぁそうだけど。どうかした?」
「いや、すごく見てくるから。」
「誰が?」
「え?僕のことすごい見てたじゃん!」
何やら俺が窓の外を眺めているのを自分が見られたと勘違いした様だ。
「俺は同学年の男子を凝視する性癖は無いぞ。」
「何の話?」
「俺の性癖の話だ。」
「何それ。」
そう言ってクスッと笑った桂に俺は女々しいと言うか可愛らしいやつだなと思った。それから俺たちは一緒に昼飯を食べる様になった。と言ってもとってる授業が違うかったり、共通点がなかったりですぐに疎遠になると思っていた。
ある日、桂が先輩に誘われたとかで演劇サークルに入りたいから付いてきてと言い出した。毎日暇な俺は特に断ることもなくついて行ったのだが勢いで入ることになってしまった。
劇に何の興味も無い俺はすぐに抜けたかったのだが数週間抜け出せずにいると何故か居心地の良さにもう良いかとなってしまった。
それでも表に出るのは好きじゃなかったから新玉さんに頼み込み、1人もいなかった裏方になったのだった。
桂との関係はそれからも続き、一緒に帰ったり、出来るだけ同じ授業を受けたりと、必修科目以外でも一緒に過ごす時間が増えていった。
一年生のちょうど今頃。どんな話の流れだったかは忘れたが俺が桂に小2の頃万引きをしたと言う話を軽い気持ちでしたことがあった。夕陽に照らされた桂の顔はとても沈んでいて、不思議に思ってはいた。今思うと放火の事件があったからなんだと思う。
一年の秋、まだ桂が俺に対する敬語が抜けきれていない、空が茜色に染まる日の事だった。
「将来の夢ってある?」
上目遣いで俺の顔を覗きこむ桂は少し女の子っぽさがある。そして俺は俯くでもなく悩んだ。
「別に無いかな。劇の裏方もその場の成り行きみたいなもんだし。」
「そうなんだ。一緒にいれればいいな。」
「まぁ、たまに集まってみてもいいかもな。まだまだ先だけど。」
「そうだよな。」
2人で少し大きめのバッグを持ち、ポケットに手を突っ込みながら横並びになり歩く。地平線に溺れている夕陽が腕を伸ばしても届かないほどに影を伸ばしている。
「好きな人とかいる?」
「さっきからどうしたんだよ。遅めの思春期か?」
「思春期は幼稚園の時に置いてきたよ。」
「奇遇だな。俺も小学校の靴箱に忘れてきたみたいだ。」
「話終わっちゃったじゃん。」
「まぁ正直に答えるとしたら居ないかなー。」
「イニシャルだけでいいから。お願い!」
「X」
「居ないでしょ。Xから始まる人。外国人?」
「カッコいいよな。Xって」
「話聞いてない、、」
「そう言う桂はどうなんだよ。やっぱ香織?」
俺が桂の方を向く。桂は夕陽を反射してか顔を真っ赤にしていた。
「耳まで真っ赤だぞ。」
「いや、別に源さんじゃないよ。可愛いとは思うけど」
「照れ隠しか?」
「神隠しかな。」
「わけわかんね。」
俺は息を吐くように笑う。
分かれ道に着く。いつもならここで俺たちは別れる。だが今日は桂が俺を呼び止めた。
「ねぇ歩。応援してるから。」
「何の話だよ。」
「聞きたい。」
「桂が言いたいのなら聞かない。」
「いつか分かるよ。」
悲しげと言うより寂しげな桂の瞳はまっすぐ俺を見つめていた。俺は「そっか」と返して家の方を向いた。
* * *
こんなただの帰り道も思い出の一つだ。
他にも色々なことがあった。行事が無いため文化祭だの体育祭だのを一緒に楽しむ青春はなかったものの、俺たちらしく静かに毎日を謳歌していた。
その日々があったのはサークルに誘ってくれた桂のおかげなんだ。そう思っても何故か目尻が熱くなるだけで涙は出なかった。
桂との思い出の中に答えはなく、桂ともう会えないと言う実感のない実感が脳にこびりついただけだった。
桂との思い出にふけっていてもその間誰かが喋ることはなかった。金城さんが4人を見ながら呆れた様に言葉を吐いた。
「私だって悲しく無いわけじゃ無い。戻ってきて、前みたいに毎日を過ごせるんだったら戻りたい。でも無理なんだよ、、『時間は前に進んで行く。立ち止まってる暇なんかない。』あんたが考えたセリフでしょ。」
俺は新玉さんの方に視線を動かす。あのセリフは香織がヒロインを務めた劇で飛騨先輩が、人との別れに立ち会って嘆いている香織に言ったセリフ。
『月夜の別れ』の主題である、別れとは何かの価値観をヒロインに植え付けるためのセリフだったはずだ。
短めのセリフだが、この劇の山場の一つのため俺も覚えていた。一言一句間違えることなく言った。何度も練習で聞いた飛騨先輩のセリフ。無意識に目頭が熱くなる。
白銀さんも、飛騨先輩も、桂も、もう会うことができない。何度も感じる。死がどれだけ尊く、切ないものなのか。そんな問は考えることが無かったからこそ、安直な答えで、すぐに出た。「限りなく」それだけ命というのはいくつもの感情の元で成り立っているのだろう。
「遥、でもその前に一番大切なのは桂を思いやることなんじゃないか?キリが無いとか、そんなんじゃ無く、泣けって言ってるわけでもないんだ。ただ、思いやりが必要だと思わないか?」
新玉さんのその言葉は金城さんにも届いたのだろう。反省した様に顔を下げる。
それを見て俺は改めて新玉さんがすごいと思った。別に問題児や特徴的な人たちが集まったサークルでは無いが個性豊かな一人一人を的確にまとめる。恐らく新玉さんがいなかったらここまで来れていないだろう。どこかしらで諦めてたと思う。
「そうだよね。分かってるわ。ただ、考えたく無いだけなの。桂だって可愛い後輩だったんだから。」
「そうだよな。本当に真面目で可愛い後輩だったよ。」
新玉さんは深く共感した様だった。
「死ぬ前に俺の気持ち全部話してていいか?」
新玉さんが真っ白の地面にあぐらをかき、俺たちを座る様に促した。俺はそれにありのままの疑問の言葉を口にする。
「どういうことですか?」
「単純に、お前たちだけにでも心残りは無くしておきたい。だから残ってるみんなだけでも俺の思いを話しておこうと思って。」
「そうですか…」
「じゃあそのままの流れで歩からだな。俺さ、歩はマジですごいと思ってるんだよ。歩は俺のこと「新玉さん」って呼ぶだろ?あれ一角と歩だけなんだけど、俺が留年してダブった時から「先輩」じゃ無くて「さん」って呼んでくれたんだよ。学生じゃなく大人扱いしてくれてるんだなって思った。その時には一角もまだいなかったし、そう言う気遣いが出来る歩は心から尊敬する。まだそりゃ色々あるさ、俺が1人で監督と裏方兼ねてた時に裏方やろうかって言ってくれたし。ありがとな。」
新玉さんの言葉を俺たちは無言で聞いていた。俺は枯れきった体の何処かに残っていたわずかな水分を目から出した。その涙は落ちることなくカラカラの頬に吸われる。
「次は一角にするか、一角はそうだな、普通にいい奴だよな。いばったり、自慢したりしないし、イジられても笑って受け流すし、案外お礼はしっかりしたりで礼儀はあるし。知ってるか?一角が来る前のサークルって結構暗かったんだぜ。歩も桂も私語はしないし千代も太陽と話してるだけだし、真面目って感じだったんだけど、一角が来てから明るくなったんだよ。感謝してる。」
一角は目を丸くして立ち上がった。
「僕だって新玉さんには感謝してますよ。布の発注ミスったり、舞台で間違った音楽流しても次は気をつけろって、ただそれだけで、多分それは飛騨先輩にボロクソ言われてるの知ってたからだと思いますし、本当に‥」
一角は泣きながら口にしていた。最後は言い切らず、自分の心の中に残す様に下を向いて、もう一度座った。
「香織、香織のおかげで舞台の幅が広がった。俺の夢を何歩も進めてくれた。本当にありがとな。2年前のサークルじゃ女と言う女がいなかったからな。マジ助かったよ。恋愛ものも作ってみたかたったし、嬉しかったよ。飲み込みも早くて半年経つ頃には既に戦力だったし。お礼させて欲しかった。」
言い終わってすぐに金城さんが新玉さんに言い放つ。
「女と言う女がいないってどう言うことかしら?確かに一度も彼氏ができたことないけどそれでも女ですけど?!」
「ごめんごめん、遥はさ、ちょっとサバサバしてて、怖かったんだよ。今思えば熱心に練習してたんだろうけど最初は『何でこんな奴入ってきたんだよ。』って思ってたし。」
「そんなこと思ってたの?」
金城さんは意外な返答に声のトーンを上げる。
「知らなかった?だって通しの時しか一緒に練習してくれなかったし。それにずっとスマホいじってた割にはセリフが完璧だし色んな面で怖かった。」
「まぁ、ちょっと絡みづらかったかな。初めは太陽と千代と新玉さんの3人で、ちょっと遅れて入ったから。」
「そこ、今更『さん』付けで呼ばない。」
新玉さんのツッコミに少し微笑み、5人で見つめあった。そして新玉さんが口を開く。
「じゃあみんな言い終わったし、何とかするか。」
「ちょっと待ってよ。私への言葉『怖かった』だけ?ちょっと悲しいのとめちゃくちゃムカつくので殴りたいんだけど。」
ぐうぅーー
今のは金城さんの怒りの鉄槌のグーではなく、一角の腹の音だった。何回鳴るんだと言いたいが俺も正直腹が減っていて言える立場じゃない。
「一角の腹の虫は雰囲気ぶっ壊すのに向いてるよ。」
「ですね。」
俺は新玉さんに相槌を打つ。一角は腹をさすりながら愚痴を溢す。
「このデスゲームは飯も用意出来ないのかよ。喉乾いたー。」
「デスゲームだから、用意とかしてくれねぇだろ。」
「このままじゃ餓死しちゃうよー。」
一角の弱音に対して励ましの言葉を送れる人はいなかった。もう初めて決めたタイムリミットが目の前にあったから。
「あれ、開けてみませんか?」
いつのまにか泣き止んでいた香織がドアの横にある細長い箱を指差す。その箱は膝ぐらいの高さでシングルベッドの半分ぐらいの面積を持った黒い物体だった。
「危なくないか?説明書も見当たらないし。」
「説明書がないからこそ、あそこにあるんじゃないかな?」
香織が俺を見つめる。俺は香織の視線に耐えかねてゆっくりとその黒い箱に向かう。その箱は闇の様でパンドラの箱ではないかと思えるほどだった。
「気をつけてくださいね。」と言う、一角の心配には「わーってるよ。」と適当に返しつつ、箱の蓋に触れる。上に持ち上げるが異様に重く、空腹で力が出ないのもあってか本気で蓋を開けた。
その箱は靴の入っている段ボールのように反対側が繋がっている感じで開いた。そして俺はその中の光景に驚いた。
「おい……これ…」
俺は白いキャップを摘み上げて視線と一緒に振り返った。皆も俺と同じように驚いた顔をした後、目を輝かせた。
「それって…」
「飯、だよな?」
箱の中に入っていたのは5本の1リットルペットボトルと5個のゼリードリンクだった。どちらも、よく目にする市販のものより一回りが二回りほど大きく、これで腹が膨れるのは間違いないと言える量だった。
「マジ、ですか?それ?」
「俺も幻覚か何かだと思っている。」
「毒とか入ってないのか?」
新玉さんの言葉に俺たちは固まる。ここで全滅もあり得る話だ。だとしても空腹で死ぬか毒で死ぬかの2択を迫られるだけである。
「俺が毒味します。」
俺は白いキャップを捻る。ゼリードリンクはカチカチ、と音がした後、白いキャップを回すことで開いた。
俺は恐る恐る口に入れる。口に入った時、口の中にドロっとした感覚がした。無味の泥のような塊が口の中に入る。俺は吐き出そうとしたが、口が言うことを聞かない。口から手が出るほど欲しがると言うが、その手が食品を離さまいとしているようだった。
「ううっ、。」
俺は覚悟を決め飲み込んだ。ゼリーがゆっくりと首の中をを通る。ひんやりとした感覚が体を降下していき、ミントを食べた時のようにスーッっとする。
「ふぅー。」
「どうでした?」
俺の吐息の後に、間髪入れずに一角が聞く。まぁ生きているのだから毒はなさそうだ。
「毒は無さそうです。」
「じゃあ俺が2個もらいます。」
「一角の分はありません。」
「なんでっすか!」
「欲張りする人は禁止です。」
俺と一角が
黒い箱の底には『不要なものはここに』と書かれたカードが親切に書かれてあった。これは食料ボックスとゴミ箱を兼ねているのだろう。変なところで節約しているのだなと思えるほど余裕が生まれた。
「まずは水ぅ!!」
一角が我を忘れまだ満タンのペットボトルを口に突っ込み上を向いた。中の水は重力に従い“トクトク”と音を鳴らしながら一角の体内に流れていく。
飲みきれない分が口の両端から漏れ出てそのまま首元まで伝っていた。勿体ねぇ。と思いながら俺は欲しがっても一角にだけはやらないと意思を固くした。
香織もチュウチュウとネズミのようにゼリーを吸っている。その姿は小動物そのもののようで可愛らしさと可愛らしさと可愛らしさが同居していた。
「ぷはぁー、ほんと、こんなに美味しい水は初めてだ。」
一角はそう言ってほんの少し残った水を床に置く。俺もそれを見ながらペットボトルのキャップを開け、喉を潤す。さっきよりも冷たい感覚がまたも身体中を駆け巡り、力がみなぎる。
「なんで、この部屋なんだろうな。」
新玉さんがゼリーを少し飲みながら呟いた。
「そうですね…」
俺の新玉さんへの共感は先ほどと違い暗く、そして悲しいものだった。
もう一部屋早かったら、この安心な空気を桂と一緒に味わえた。もう二部屋早かったら白銀さんの心も慰めれたかもしれない。もし始めの部屋だったらもう少し飛騨先輩と話ができた。
「今、デスゲームの安全地帯みたいなとこにいるせいでホッとしてるの。この心が許せない。」
「香織…」
「私、何してるんだろ、、私がカードを無理矢理にでも取っておけば、死ななかった。みんなにもらった筈の命なのに、こんな所でホッとして、こんなのって、ダメだよね。」
「ダメじゃない」なんて言えないが、ダメだとも言わない。俺に出来ることなんて無いし、さっきの部屋で俺はただ見ていただけだった。そんな俺に君だけのせいじゃ無いなんて言えなかった。
「あのさ、そう言うのもういいから。今、新玉先輩のおかげでいい感じだったじゃん。なんでそう言うこと言うかな?」
「おい、落ち着けって、」
新玉さんはすぐに金城さんを止めに入る。でも何度も止まれるほどの余裕は無いのか金城さんは、なおも続けた。
「またこうやって空気悪くなるのわからない?!もう少し周りのこと考えたら?!」
「空気悪くなってるのはあなたのせいでしょ!!わざわざ突っかかって来ないでよ!」
香織の叫びに金城さんは狼狽える。俺たちも戸惑いを隠さなかった。ただ香織は何か吹っ切れたようにもう一度声を荒げた。
「もう、しんどいんだって!周りのこと考えてられるほど余裕ないのっ!だからほっといてよ!」
「じゃあ言葉にすんなよ。余裕ないのはみんなおんなじなんだよ!」
金城さんが立ち上がり香織の方に向かう。
「あんたみたいに泣きもしない奴が私みたいに余裕ない筈ないでしょ!つけ上がらないで!遥さんには分からないよ!」
香織の声に引っ張られ金城さんは香織に掴み掛かる。俺と新玉さんはすぐさまそれを止めに入る。一角は驚いてそこから動けずにいた。
「分からないって何?つけ上がってるわけないでしょ!悲劇のヒロインぶってるのはあんたじゃないっ!」
「落ち着けって、」
同じように新玉さんはそう言葉にし、香織から引き離す。俺も反撃に掴み掛かろうとする香織の両肩を抑える。
「普通は泣くんだよ!悲劇でもなんでもない!みんながおかしいんだよ。なんでそうやって笑っていれるの?」
「香織、一旦深呼吸しよ。な?」
俺は両肩を押さえたまま香織の視線を独り占めする。香織は視界から金城さんが消えたことで少し落ち着いたのか今は肩で呼吸をしている。
俺は一角の状況を知ろうと振り返る。その時、いや、その前からこの部屋のデスゲームは始まっていた。入った時は7メートルほどだったこの部屋の奥行き、今は5メートルかそれより短い。横が広いため気づきにくいが狭いと思えば窮屈に感じるほどだった。
「こんな時に……」
「ねぇ、歩君。」
「どうした?」
「ごめん。」
「え?」
どんどんと言葉が短くなってゆく。ただ、香織の言葉の意味がわからなかった。
「さっき、みんなのことおかしいって言ったから…」
「それぐらい気にすることないよ。おかしいのは本当なんだし。」
俺はそう言って作り笑いをした。うまく笑えているかわからない。今やることは新玉さんにタイムリミットを知らせることだろう。
俺と香織はさっき自分が座っていたところに座る。金城さんも新玉さんが落ち着けたのか座ろうとする。その時に香織と金城さんの目があった。でもお互い気まずそうに見つめあった後無言で席についた。
「新玉さん…」
「ああ、気づいてるよ。あとあって15分ってところか、。この部屋から出る方法すらわからない。」
新玉さんも気づいていたらしく、思ったより早くことが進んだ。一角はもうどちらも食べ終わり手持ち無沙汰でピリついた雰囲気を肌で感じ取っていた。香織もほとんど食べ終わったらしく少量の水が残っているだけだった。俺も香織と同じぐらいで、新玉さんは水がまだ丸々一本残っていた。金城さんは一角と同じく食べ終わっている。
「先輩。ちょっといいですか…」
一角が俺の肩をチョンチョンと突き、俺は端っこに連れて行かれた。
「どうしたんだよ。」
俺は率直に問う。
「分かるでしょ。天然ですか?てか怖いんですけど。女性達。なんとかしてくださいよ。」
「俺はどちらかと言えば人工だ。あとそれは俺の仕事じゃない。新玉さんに任せよう。裏方勢の俺たちじゃ人の前に立ってまとめるのは向いてない。」
うだうだと言い訳を並べ、俺は全てを新玉さんに押し付けた。
「人工ってなんすか、人が子作りしてるって観点から見たら確かに人工か。てかその答えがもうすでに天然ですよ。」
一角が乗り切れていないノリつっこみをしながら後ろを向く。俺もそれに釣られ3人に目をやる。
バッチバチの空気で感電してしまいそうなほど香織と金城さんが睨み合っている。金城さんの隣にいる新玉さんはもうすでに感電しているらしく2人を宥めることは難しそうだった。
「女って怖いっすね。」
「俺たちより考えてるんだよ。色々と。」
「先輩がモテない理由のはなんででしょうね?」
「急に何の話だ。」
「いや、乙女心は分かってそうじゃないですか。それでもモテないってことは…やっぱり顔ですかね。」
「どつきまわすぞ。」
俺たちは現実逃避をやめ、異世界のような白い世界に舞い戻る。息もしづらいほど圧迫されたこの部屋は窮屈に感じ、何か矮小化されているようだった。
「何話してたんだ?」
新玉さんが空気に耐えかねて口を開く。俺と一角はちょっとの間見つめあった後、「先輩がモテない理由について考えてました。」
と答えた。別に嘘ではない。
新玉さんがペットボトルのキャップを捻る。俺はこちらに身を寄せてくる壁を見ながら反対側にあるドアに近づく。ドアは開くことなく静止している。金城さんは落ち着いたようで周りをキョロキョロと見ていた。
「新玉さん。これやばくないですか?今だに出る方法すら分かりませんよ。」
俺が新玉さんの方に視線を送ると、新玉さんは口に入れかけていたペットボトルを離して、答えてくれた。
「ここは多分休憩スペースなんじゃないか?さっきの黒い箱にも『不要なものはここに』って書いてあったろ?ゴミをそこに捨てたら重さで開くんじゃないか?」
「そうですね。まだ幸い時間は残されてそうですが捨てておけるものは捨てておきましょうか。」
俺はゴミ箱にペットボトルとゼリー飲料の袋を入れる。キャップを閉めていないのでゼラチンか何かの匂いが漂う。一角が自分のゴミを投げてきたので心優しい俺は投げ返す。
「ちょっと先輩、何すんすか、」
「自分で捨てろよな。」
俺はそう言いながら投げ返したゴミを拾ってゴミ箱に入れた。
「ううっ……カハッ…」
俺はその汚物を吐き出すような声にすぐさま振り返った。そこには真っ青に顔を染めた新玉さんの姿があった。
「新玉さん!新玉さん?!」
俺はすぐに駆け寄る。すでに金城さんが背中をさすっていた。新玉さんの周りには飲んですぐに手放したであろう水がぶちまけられていた。
「毒…?」
「なんで………」
「誰か!とりあえず残ってる水ない?」
香織が見渡すがもうみんな飲み切っていた。その間も壁は俺たちを急かしてくる。さっきまであった時間の余裕が急に無くなったように感じた。
「どうしよ?!とりあえず次の部屋進んでから考える?」
香織の案に俺は乗っかった。今はまず時間が欲しい。問題を持ち越すのは良くないが、時と場合によっては分割だって必要だ。
俺と一角で新玉さんの肩を支える。
「ありがとな。別にこれで無理だったら諦めてくれていい。」
新玉さんが絞り出した力のない声でつぶやく。耳元でゼェゼェと荒い息が聞こえる。
「無理しないでください新玉さん。」
「無理なんかしないさ。ただお前も気にしすぎるな。誰かはこうなる運命だったんだ。」
新玉さんは俺の心配をよそに俺を気にかけてくれた。多分その言葉はみんなに水を配った俺が自分を責めすぎるのを防ぐためだろう。
香織がその間に新玉さんのゴミを入れ全ての『不要なもの』がゴミ箱に入った。俺たちはもう一度力を入れて前を向いた。
扉は、全く開く気配がなく、この部屋を締め切っている。恐る恐る振り向くともうすぐそこに壁が来ている。前後が壁に挟まれ逃げ場のない俺たちは更に焦った。
「ねぇ、もしかして、不要なものって…」
金城さんがそう口にした。俺は一瞬でその言葉の意図が分かった。
「そんなわけないでしょ!絶対何かあるはずです!」
「これしかないじゃんか!」
「…………」
俺は金城さんの意見に反対することは出来なかった。ただ、あんな箱に入っていたら新玉さんは間違いなく、壁にプレスされる。そんなこと絶対にさせたくない。
「何か他に方法は…?重さが鍵なら誰かが踏んでいたら開くんじゃ?」
「私やってみる!」
俺の意見を聞き、すぐさま香織は箱の前にいる金城さんをどかしてその箱に立ったまま入る。
ガシャン!
「開いた!」
俺はそう叫び香織の方をみる。香織は何か悟ったようだった。そして俺も、その顔を見て、嫌な予測が頭をよぎる。香織がその箱から出た途端、扉は音を立てて閉まった。
「ねぇ!どうしよ。また最初の部屋とやってることは同じだよ!」
香織が慌てて意見を急かす。俺は考えるがとても不可能な案しか出てこない。
「全員が服脱いだら無理ですかね?」
「流石に50キロぐらいないと無理だろ。」
「靴入れたら何とかなるんじゃないですか?」
「失敗したらその場でミンチだぞ。」
俺も同じようなことを考えていたが一角の案を否定する。いくら何でもリスクが大きすぎる。
「歩。俺はさっき言いたいことは言い切った。さっさと棺桶に入れてくれ。」
「新玉さん…嘘ですよね。そんなことできないですよ。」
「時間がないんだろ?大丈夫俺は何とかするから。まずはお前達が出るのが先だ。」
「無理ですよ!僕にはできません。」
「違う、一角にも遥にも香織にも出来ない。出来るのはお前だけなんだ、歩。」
俺は瞳に水の膜が貼り、うまく新玉さんの顔が見えない。ぼやけた視界でも確認できるのは、死と壁が近づいているだけだった。
「頼む。もう分かってるだろ。俺は助からない。休憩なんかじゃなかったんだ。運ゲーだったんだよ。」
「それでも、新玉さんは…不要なものなんかじゃないです。」
なんで新玉さんはこれほどまでに強いのだろうか。俺はもう人が死ぬのを見たくない。でも今回は桂と違って目を逸らすことができない。自分で新玉さんを殺さなきゃいけないんだ。
「一角、扉の前で待ってろ。」
俺は一角に鋭く言い放ち、新玉さんの右肩を踏ん張って支えた。一角は何も言わずに出口の前に立った。
香織と金城さんもそれに釣られて出口の方へと行き、俺とすれ違う。瞬き一瞬で壁が近づいてる感覚がする。
俺はペットボトルやゼリーのゴミを箱から出し、新玉さんを寝かせた。
「新玉さん…ごめんなさい。」
「何泣いてんだ。お前は自分が守りたいものを守れ。それが自分であっても、他の誰かであっていい。ただ、裏切るようなことはしてくれるなよ。」
「はい…」
俺は新玉さんの最後の指示を受け、俺が新玉さんにする、最後の返事をした。この2年間、何度も指示され、同じように返事をしてきた。感謝の気持ちはその回数分だけ心の中にある。
「先輩!早く!」
響きはしないが篭った一角の声が聞こえる。俺はまだ、黒い箱の蓋を閉めることができなかった。膝をついた状態で倒れてきそうな蓋を抑える。背後まで迫った壁が俺の足の裏に当たる感触があった。もう後ろを向けば壁なのだろう。
「新玉さん。ありがとうございました。」
俺は新玉さんの顔を見ることなく目を瞑って蓋を閉めた。この期に及んで自分が傷つくのを恐れてしまった。
俺は今体内に入れた水分を出すかのように涙を流した。もう部屋の幅は2メートルも無い。俺は駆け足で次の部屋へと向かうのだった。
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