第一章 旅立ち

1話 夢、時々"渦"。

 

 さて。

 母さんと今までに無いほどの口論を繰り広げて、こうして夜な夜な家出したは良いものの、どうしたものか。


 少なくとも、泊まり込みは確定だ。

 あれほど言い合って、合わせる顔が無い。

 どこかしらで、最低でも一晩は明かしたいものだ。


 ……まあ、アテはあるっちゃあるけれど。

 なんなら一昨日も、先一昨日もお世話になってる。




 ソレアの村の外れにある、奇岩群きがんぐん一峯いっぽう

 数ある切り立った岩山の中でも、ここだけは唯一徒歩で登ることができる。


 この奇岩群は村の中では名物のようなもので、その奇抜に切り立った断崖の数々は、見るものを圧倒する迫力がある。


 ……というのも、このソレアの村自体がテュリス地方の北西端に位置する辺境だ。名物とは言っても、小さな集落の間での、ふとした話題になるに過ぎない程度のものだろう。


 けれど、ここは私にとっては単なる奇形の岩山ではない。

 この岩山の頂にぽつんとある、一軒の家屋。

 集落の家々が木骨や泥で固めた壁面などで作られたものばかりなのに対し、この家のみは中々大きな石造りの外観である。


 このような外観と大きさの建築物は、それこそ南端の沿岸都市くらいにしか無いであろう。

 それほどに立派なものがここにぽつんと建てられているのだから、不自然極まりない。

 

 勿論、住居人はいる。

 ヘラクリタスという、愉快な老人だ。


 とても親切にしてくれるお爺さんで、夜の天体観測に出る時も、嫌な事があった時や暇な時も、私はいつもここに訪れる。

 庭で天体観測をしては、中でお茶を入れてもらったり、駄弁ったり、時々愚痴を聞いてもらったりもしているのだ。


「ばんわー。クリ爺、いる?」


 軽くノックをしてから、私は相手の返事も待たずに勝手に扉を開けた。

 蝋燭は付いているため、恐らくまだ起きているだろう。

 まあ、あの人は歳不相応に結構夜更かしするから、今日みたいな天気の良い夜には "煎麦水プティサネ" でも啜っているだろう。


 ……晴れたのは夕方頃に降ったにわか雨が去った後だから、良い夜と言うものの未だジメジメしていて、うんざりするが。

 そうこう考えているとクリ爺……ヘラクリタス爺さんが居間からひょっこりと頭を出して迎えてくれた。


「おお、エレノア。よく来たな」


「歩き疲れちゃった。煎麦水戴いていい?」


「ハッハッハ、何を言うか! 岩山を走って往復してもへこたれない程度にはタフなクセに〜」


 茶化しながら「イイヨ♪」と付け足すクリ爺の許可に甘えて居間に入ると、案の定テーブルには陶器のカップと、絵付けされた綺麗な湾曲型の陶製壺アンフォラが置いてあった。


 私は奥の棚から木製のカップを取ってきて、半分ほど壺から注ぎ入れる。

 毎回一人で飲みきれない量が淹れてあるのは、私がこうしてやって来るのを見越してるためなのだろうか。

 おちゃらけたお爺さんだけど、私のくだらない愚痴を聞いてくれたりと色々気遣ってくれる、本当に親切な人だ。


 あ。ちなみに、このカップは私お手製のオリジナル品である。

 クリ爺の家に来る際に毎度持参するのがだるいため、勝手に置きっぱなしにしている。


「いやはや、お前さん、今度はどうしたかね」


 なんて、私が座ると同時にクリ爺が元いたであろう席に座ると、藪から棒にそう訊ねてきた。

 ……いや。藪から棒、というのは違うんだろうな。

 きっと、私の様子からある程度察したのだろう。


「……別に? また観測しに来ただけだよ。……まあ、ちょっとお母さんとイザコザになっちゃったけど」


「ほほう? とうとうブチまけちゃった系かの?」


「うん、まあ、そう」


 曖昧な風に私はそう返し、ゴクリとまた一口飲む。

 そんな私を他所に、わっはっは、とクリ爺は哄笑した。

「そんなにおかしい?」と私がちょっと睨むと、「おっほ、すまんすまん」とまた茶化すようにクリ爺は平謝りする。

 反省してないなこの爺さん。


「しかしまあ、当事者でないわしがこう言うのはなんじゃが、良かったのではないか?」


「なんでよ」


「何も言わずに自分を抑圧するだけなのは良くない、という事じゃ。毎度言っておるがの。特にお前さんのように若い内からそうしていては、我慢癖が付いて言いたい事も中々言い出せないタチになってしまうぞ」


「……まあ、確かにちょっとスッキリしたような、気はする」


「うむ、一度くらい本音でぶつかり合うのも良いじゃろうて」


「どうせまともに聞いてくれないよ。お母さんは大人だから」


 溜め息交じりに私がそう悪態をつくと、クリ爺が「まあまあ」と言って語った。


「お前さんは母親のパン屋を継ぎたい訳じゃないのじゃろう? お前さんには夢がある。

お前さんの母が、我が子のその程度の反抗期すら受け止められないような人柄でない事は、お前さんが一番わかっておる事じゃろう」


「…………」


「な〜に、案ずることはない。たった一度の喧嘩程度で、親子の仲は簡単に切れるものではない」


「……なんか今日のクリ爺、やけに積極的に話すね? 嬉しいけど」


「そ、そうかの? そうでもないぞよ? ホホホ……」


 怪しい。

 いつもは聞き手に徹していて、話すにしても空気を和ますような適当な発言ばかりなのに。

 しかし、こんなに私の為に色々話してくれているのは、地味に初めてかもしれない。


 まあいいや、と私はカップを持って席を立ち、窓際に寄って景色を眺める。


「楽園なんて無い。空なんて飛べっこない。

……私たちは物語には生きられない、現実にしか生きないんだ、って。

 大人がみんな口を揃えてそう言うから、私の友達もみんなその通りだって信じてる。……けど、それって本当なのかな」


「ほう、というと?」


「私の話というか都合だけど、私は人生、現実を直視するだけで生きていける自信が無いよ。陽の沈んだ夜空を見上げて、星を一つひとつ数えるほどに、"ああ、あの星のどれかに、私たちと同じように誰かが空を見上げて想いを馳せてるのかな" って思わずにはいられない」


 そう語りながら、私は僅かに残った煎麦水を飲み干す。


「星と星の間って、ものすごい距離があるじゃん? 普通に移動するだけじゃ、その間に沢山の人の寿命が尽きていくほどの、気が遠くなるほどの距離があって。

 けどいつか、もしかしたらそういう遠い何処かに生きている、誰かと出会えたら。

 きっとそれは時間とかも越えた、"運命的な出会い"だと思うんだ」


「ふむ。確かに、時間は多くの者が捉えているよりも恣意的な代物じゃからの」


「けどそれって、""、っていう一つの物語だと思うんだ。もしそうだとしたら、現実のみで生きる人にはそういう感覚は無い。

 ……なら、もしその定で "" と知ったら? みんな心の底では、自分達の見てる世界が唯一無二の真実だ、って信じて疑わない。だとすると、現実にしか生きないその人達はもしかしたら、自分の存在に意味を見出せなくなってしまうかもしれない。

 ……きっと、私はそうなっちゃうと思う。だから、物語抜きじゃ生きていける自身が無いって、最近思えてきたんだ」


 正直なところ、私は村のみんなとは少し違う。


 別に、自分が特別、とかそういうのではなく。

 どこかちょっと子供っぽいところがあったりして、そういう部分は結構忌避されてるように思う。


 けどそういうところが間違ってるか、と考えると、なんだか納得がいかなくて。

 私は、みんなよりも未熟なりに一生懸命なつもりだ。

 それは "みんなとうまく馴染めるかどうか" とかそういうのよりも…………。


「きっと、私にとって大事なことって、"" ってところなのかな」


 私にとって、大事なのはきっとソコなんだって。

 ……ここまで自分のことが見えてきたように感じたこと、今まで全然無かったな。


 ああ、確かに。

 クリ爺が言う通り、母さんに気持ちを爆発してしまったのは、もしかしたら悪いことではなかったかもしれない。


「クリ爺、ありがとう」


「………………」


私が微笑んでそう言うと、クリ爺は優しく微笑み返してくれた。


「……エレノア。そろそろお前さんに大事な話を————」


「ま、そんな事はいいや」


「ゑっ」


「それよりほら、これ見て!」


 そう言って、即座に気持ちを切り替えた私がポケットから取り出した"石"を、クリ爺に渡す。

 ほう、と溢しながら、気を取り直したクリ爺が石をじっくりと見つめる。


 こういう時のクリ爺の表情はまるで学者のようで、次に何を言い出すのかがワクワクする。

 まあ、こう見えて実際博識な人だからこうして石を渡したのだが。


「これを何処で?」


「ここ登る道中でキラキラしてたから拾ったの。今、夜空が星でいっぱいだからなのか、すっごく光を反射して凄く眩しかったよ」


 そう、この石。

 面積一つひとつが、普通じゃ考えられないくらいに外界を綺麗に反射しているのだ。まさに鏡のように。

 自然に砕けたか割れたかのような凸凹した面も、それぞれが反射しあって乱反射状態となっており、私が拾う時にはその面がキラキラして見えていた。


 反射した時のその光量が凄いため、頂上まで登ってから家に入る前に、夜空に向かって反射する光をチラチラさせて遊んだくらいだ。

 沢山瞬く星々のどれかから、誰かがこの光を何十、何百年後に見ているかもしれない、なんて想像すると楽しいものだ。

 ……まあ、実際にこの程度の光量が夜空まで届く事なんて、絶対に無いだろうが。


「ふむ……これは儂も見た事がないの。ここら変の鉱石ではない事は確かじゃ」


「えっ? じゃあ、何処の?」


「……恐らくじゃが、空から飛来した隕石の欠片だったりするかもしれんの」


「嘘?!」


「恐らく、の。時折こういった代物を拾う者は幾人かおるらしいんじゃ。世の中にはそれを練った隕鉄で武器を作るような、変わり者もいるらしいのぉ」


 えっ、待ってそれ凄ない?

 超ヤバくない?

 私、ちゃっかりそんなレアな代物拾っちゃったんだ!?


「凄い凄い! えっじゃあ、これって何処かの星の岩石とかなんかで、この石の上に私たち地上の人間以外の生き物が這うなり歩くなりして生きてた可能性とかあるって事!?」


「ハッハッハ、そこまでは分からんが、確かにそういう夢は広がるのぉ」


「やっぱり空って凄い! 私、やっぱりこの気持ち大事にする!」


 あまりの気持ちの昂りに、私の体が思わず席を立って、カップをほっぽり出した。


「……あ、こらエレノア、待ちなさい!」


 もはやクリ爺の声も聞こえず、たちまち家の外に飛び出した。



 改めて見上げる満天の星空に、両手を広げて仰ぐ。

 もう夜も更けている時間帯だというのに。

 私は指先から足のつま先までの力をお腹にかき集め、力強く叫んだ。


「おじいちゃん! 私、本当に天人になるから! 

 沢山の仲間を作って、

 大きな船用意して、

 沢山の星を駆け回って、

 おじいちゃんに負けないくらい、最高の冒険するから!

 それで…………」



 喜びを強く噛み締めて、目を瞑る。




「いつか、楽園に行くから! 

 あの時言ってくれたように、ちゃんとそこで待っててね! おじいちゃんーーーー」




 その目を、いっぱいに見開いて————




























 ——————————。




 絶句した。


 目の前に広がっているのは、ほんの数秒前まで満天にチラチラと瞬いていた星空ではなかった。


 ……いや、それ以前に。


 足場が無い。私の立っていた場所だけではない。

 足場である岩山そのものが無ければ、後ろのクリ爺のいる家も、そもそも街も、地平線の山脈すらも見えない。

 まるで、私自身が浮いているような感覚だった。


 周りは夜の宵闇よりも真っ暗で、自分という人間一人の孤独が浮き彫りになるような、やがてその闇に溶けてしまいそうな寂しさすら覚える。


 だが、そんな事は全く不安にならなかった。

 それは、今私の目の前にあるソレに目を、心を奪われたからだ。



 その、"大渦"が。

 あまりにも壮大で、美しいから。



「、————————」


 もはや、言葉の一つも絞り出せない。

 渦の真ん中にある大穴に向かって集中するように、沢山の粒が穴の周りに列して並んでいて、巨大な円盤を形作っている。


 間違いなく、あの全てが天体なんだ。

 一体、何万……いや、何億もの星が集まっているのだろう。

 あの中に、果たして私達以外の生命が幾つあるのだろう。

 なんて壮大なんだ。なんて広大なんだ。


 その一つひとつの星を凝視していく。

 すると、私は異変に気付いた。

 渦の中にある、粒のような星の一つが、次第に大きくなっていくように見えるのだ。


 どうやらそれは、錯覚ではないようで。

 段々と、目に見えるように肥大化……いや、








 ……えっ、えっえっえ!?



 まずい。


 何が?


 いや、星一つが、何故かこちらに向かって急接近しているのだ。


 何が? ではない。

 何が起こるかわかったもんじゃないから、まずいのだ。


 逃げよう。


 しかし、駆けようと足が踏み締める為の足場も、何処かに掴まるための物体すらも、何も無い。


 次第に、星は私に向かって近づく。



 助けて。


 しかし、声が出ない。

 喉が明確に振動したような感覚に反して、その言葉は心の内からしか聴こえない。


 ……ああ、来る。

 もはや星の表面が明瞭に見て取れるほどにまで、接近して来ている。



 青い星だ。海だろうか。


 青の中に浮かぶように緑があって、如何にも生命に満ちたような星が、迫る。

 ……うん、命いっぱいの星に衝突して死ぬのも、それはそれで最高、かも。


 私は、星の影に覆われていく。より深い暗闇にのまれる。


























 ——————ノア、エレノア?




 ……声?

 知らない人のものだ。

 男の人のだろうか。誰だろう?


 しかしその声が聞こえたと同時に、そこから私の意識は閉ざされた。

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