最終章「諸行無常」

第39話「これが死か」

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさま」

「お粗末そまつさまでした!」


 翌朝、いつもどおり祇園と金城と三人で朝食を終えると、五十郎は三人分の食器を抱えて、金城のあとをついていった。金城が彼女の部屋のドアをあけ、五十郎が玄関の床に三人分の食器を置く。

 いつもはそれで「またお昼に」と言って終わりだが、今日はそういうわけにはいかなかった。

 五十郎は金城の目を見てから、


「金城さん。いつもありがとうございます」


 と言って、頭を下げた。頭を下げているから見えないが、金城が目をぱちくりさせるさまが、ありありと想像できた。


「……天堂さんったら、急にどうしたんですか?」

「……急にどうしたんでしょうね! ははは!」


 五十郎は頭を上げ、後頭部を掻きながら笑った。金城も笑っていた。五十郎は「『ありがとうございました』と言わなくてよかった」と思った。


「ふふっ、変な天堂さん! それじゃ、またお昼に!」


 食休みを挟んでから、五十郎は祇園をともなって外に出た。

 幾重いくえもの黒いすすに覆われた空は、上がりきった長大な幕のようだ。

 いつものように、芝生広場に向かう。

 五十郎は、「この道を通るのも最後か」「この公園に来るのも最後か」「最後だから、ホットドッグを食べてもよかったな」などと、いちいち感傷にひたりながら歩いた。あえてだ。

 芝生広場に到着すれば、いつもの見物人たちがふたりを出迎えた。五十郎はひとりひとりに挨拶し、礼を言い、謝ってから、きょとんとする彼らに背を向ける。

 謝ったのは、これから彼らの目のまえでふたりの人間が死ぬからだ。

 時間も場所も変えるわけにはいかなかった。環境が大きく変わったら、祇園の全自動戦闘プログラムの乱数も変わってしまい、これまでに積み上げたデータが無駄になってしまう可能性があったからだ。

 もっとも、ふたりの人間が死ぬとはいえ、死体らしい死体がさらされることはないだろう。それだけが、救いといえば救いだった。

 五十郎は芝生広場の中央へと歩く。

 祇園はすでに中央に立っている。

 五十郎は向かいに立ち、半身になり、右手を前に出して構える。

 合図もなく、いくさがはじまった――最後の戦が。

 初手は五十郎。

 二、三、四、五手――


 最初に遭ったときは、二手でくだされたのだ。思えば遠いところまで来たもの……


 ――十三、十四、十五、十六、十七手――


 果たせるかな、胸に去来するものがあったので、五十郎はそれらを締め出し、胸に鍵をかけて自分に言い聞かせた。「もう十分、感傷には浸っただろう」と。


 ――二十五、二十六、二十七、二十八、二十九、三十手――


 祇園を殺さんとするいまこのとき、そんな微温湯ぬるまゆに浸っている暇はない!


 三十七、三十八、三十九、四十、四十一四十二四十三! 四十四四十五四十六四十七四十八四十九!


 祇園の五十手目は右前蹴りだった。

 重力の二六四倍を優に超える加速度で右足が上げられ、まっすぐに伸ばされる。

 見てからでは間に合わないどころか、そもそも目にもまらぬ白い光線のような前蹴り――祇園の五十手目は、横から飛び出してきた五十郎の右肘によって、外側にさばかれた。

 あたかも、時速四二〇kmで走行するスポーツカーと徐行中の軽自動車が出合であがしらにぶつかったかのようだった。

 五十郎は回転しながら、祇園を見た。

 砕波さいはみたいに乱れたワンピースの裾に隠れて、その顔は見えなった。

 五十郎の背が祇園に向く。

 五十郎の足が地を踏み砕く。

 そして、五十郎の五十一手目――一撃必殺の貼山靠てんざんこうが放たれた。


「――――――………………」


 気づけば、五十郎は暗闇のなかにいた。

 静かだった。

 五十郎は、「これが死か」と思い……


「……は?」


 「気づ」いたり「思え」たりしていることに気づき、目をあけた。いつのまにか閉じていたのだ。暗闇と見えたのは、自分のまぶたの裏だった。

 手が見える。足も見える。どうやら、塵にはなっていないらしい。

 妙だった。

 五十郎は、貼山靠を打ったにもかかわらず手応えを感じなかったのは、おのれの背が祇園に当たったその瞬間、自分が『忍法祇園梵鐘ぼんしょう』で塵と化して死んだからだとばかり思っていたのだ。


 ……そうだ、祇園は!?


 五十郎は首を巡らせた。骨が鳴る音がした。

 すると、見えるものがあった……それと同時に、あたりが静寂せいじゃくに包まれている理由もわかった。

 

 五十郎のすぐ横の芝生の上に、祇園がうつぶせになって倒れていた。ぴくりとも動かない。


 し、死んでいるのか? 貼山靠が命中して?

 いや、それにしては倒れている場所が近すぎるし、ワンピースは白すぎるし、原形をとどめすぎていやしないか?

 一体、なにが起こったんだ?

 なぜ、祇園が倒れている?


 つぎからつぎへと湧いてくる疑問の答えを、


「こ……転んだ……」


 誰かが、そっと口にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る