第38話「ほかになにもない!」
翌日、五十郎は祇園と金城とともに朝食を済ませると、ひとり、新宿区歌舞伎町の雑居ビルの一室に鈴木を
いくら鈴木でも、五十郎の依頼人であることに変わりはない。アサニンとして、最低限の義理を欠くわけにはいかなかった。鈴木にとっては五十郎を殺す機会であるとはいえ、もう長いこと、
「みんなで草刈り、楽しかったか?」
しかし、鈴木はとっくに知っていたようだった。いつものように、事務机の向こうで椅子に座って、タブレット端末でゲームに興じながら、抜け忍の追討をあらわす忍者の
五十郎はばつが悪くなって、
「わ、悪かったよ――」
と謝り、弁解しようとしたが、
「くたばりぞこなったからか?」
と言われたので、すぐに謝って損をしたと思った。
事後報告はあっけなく終わった。
「やつは、まあまあやる忍者だった……」
鈴木がタブレット端末から顔を上げ、思い出すように呟いた。カメレオンの天然者のことであろう。もっとも、その声にはなんの色も宿っていなかった。
おもむろに、鈴木は五十郎を見た。
「それを、おまえ……やるじゃねえか。つくづく、勿体ねえ話だよな?」
「なにが?」
「祇園に遭ってさえいなけりゃあ、おまえは生きて『七草』になれたかもしれねえって話だよ」
「……あんたが依頼したんだろうが」
「請けたのはおまえだ」
「写真が
「言えば言うだけ、おまえの恥になる」
「……ところで」
妙な懐かしさを覚えつつも、五十郎はいい機会とみて、かねてから聞いてみたかったことを聞くことにした。
「その『七草』になったら、なにができるんだ?」
我ながら奇妙な質問だと、五十郎は思った。忍学に入学させられてからというもの、『七草』になるために生きてきたといっても過言ではないのに、『七草』になったあとのことはろくに考えていなかったのだ。
「おまえは祇園しか知らねえから想像できねえだろうが、『七草』がその気になりゃあ、できねえことは……祇園を殺すことくれえだ。それ以外のことは、なんでもできる。富も、権力も、名声も、男も女も、忍法も欲しいままよ。もっとも、歴代の『七草』は遠慮がちでな、そう欲しがった事例はねえが……」
鈴木の説明を聞いても、五十郎の心は驚くほど動かなかった。ひとつのけじめがついたような気がした。
「邪魔したな」
五十郎は別れを告げた。
「今日は練習しねえのか?」
「もう練習はしない。世話になった」
話は、はやかった。
「成功したら、金はどこに払やいいんだ?」
「あんたの懐に入れておけ」
「そういうことは、もっとはやく言ってくれよ。そうと知ってりゃあ、もっとしごいてやったのに」
「もう十分、しごかれたよ」
五十郎は事務所から出て、ドアを後ろ手に閉めた。狭い階段を下りながら、つらつら考える。
もはや『七草』は関係ない。
『七草』になるために――自分のために祇園を殺すのではない。
祇園のために祇園を殺し、きっと相討ちになるのだから。
とはいえ、ずっと気にかかってはいることではあった。
万にひとつ、祇園を殺してなお生き残り、新たな『七草』になったあと、生きてやりたいことがあるかどうかということは。
かつて祇園に、『たとえ相討ちでも、わたしを殺せたなら、それでいいんじゃないの?』というような質問をされたときは、『わからない』と答えてしまった。だからあのときは、おれには生きてやりたいことがあるのかもしれないと思った。
もしいまもそんなことがあったら、勝負どころで迷いが生じる恐れがある。祇園との戦――その本番では、一瞬の迷いも許されない。
……でも、あのときから、いろんなことが変わった。
だからかわからないが、いまなら答えられる気がする。
『七草』になったあと、生きてやりたいことはないと。
だから、祇園と相討ちになってもいいと。
これで、心置きなく祇園に挑めるというものだ――最後の
……それにつけても、鈴木のやつ! 最後まで余計なことを言う。
祇園に遭ってさえいなければ、生きて『七草』になれたかもしれないだと? その平行世界のおれは、『七草』になったとき、忍学で犠牲になった人生の元が取れたと思うのだろうか? そのあとは……?
考えても仕方のないことなのに、考えてしまう。
「あれっ? 天堂さんじゃないですか。妙なところで会いますね」
歌舞伎町から
「……妙なところで、妙な格好をしたやつと会ったな。就活は終わったんじゃなかったのか?」
五十郎が不思議そうに言うと、男子大学生は苦笑いを浮かべた。
「もうちょっと続けることにしました」
「業界最大手の大企業から内定が出たのに?」
「それがそもそもの
「発端?」
横断歩道の信号は赤だ。ふたりは立ち話を続ける。
「内定が出てはじめて、気づいたんですよね。『この会社でやりたいこと、あったっけ?』って……」
「……やりたいことがあったから、その会社を受けたんじゃないのか?」
五十郎は尋ねた。「どこかで聞いたような話だ」と思いながら。
「そうじゃなかったんです。こんなことを言うのもなんですが、大学に入るときも、入ってからも結構苦労したので、思ったんですよね。学歴を活かして一番いい会社に入って、いままでの苦労の元を取ろうって」
どこかで聞いたような話だ!
五十郎は平行世界の自分を見ているような錯覚を覚えながら、
「でも、さっき言ったとおり、その会社でやりたいことが見つからなくって。おかしな話ですよね? 面接のときは志望動機として口にしていたはずなのに。
勿論、働きはじめたら、やりたいことも見つかるかもしれません。でも、見つからなかったら、『やっぱりな』って後悔する気がして」
「や、やっぱりな? どういうことだ?」
「過去のために努力するんじゃなかったなって」
横断歩道の信号が青に変わった。男子大学生が歩きだす。
「だから、今度は未来のために――自分がやりたいことのために、努力してみようと思って! それで失敗しても、得られるものはあるんじゃないかなって! まだ時間はありますからね、ぎりぎりまで就職活動を続けるつもりです! 諦めませんよ! 天堂さんみたいに……あれ? 天堂さん、どうしたんですか? 信号、青になってますよ!」
「あ、ああ……」
五十郎は遅れてあとを追いながら、思った。
おれも同じだ。
忍学で苦労したから、思ったのだ。学歴を活かして、一番いい忍者に――『七草』になって、いままでの苦労の元を取ろうと……
でも、『七草』になったあとにやりたいことなんて、思いつかなかった。
その理由が、いまわかった。
おれも、過去のために努力していたのだ。
過去に復讐しようとしていたと言ってもいい。
そもそも未来のことなんて見ようともしていなかったから、やりたいことも思いつかなかったのだ。
祇園と遭うことなく、生きて『七草』になったところで、「元が取れた」とほっとするのは一時の幻。いずれは後悔したことだろう。会社とちがって、『働きはじめたら、やりたいことが見つかる』可能性もないのだから……
じゃあ、どのみち……忍学で犠牲になった人生が――あの日のおれが救われることは、なかったのか?
……もはや、それならそれでいい。
むしろ、これでシンプルになった。迷いの芽も悔いの芽も、すべて摘まれたのだ。
あの日のおれが救えないなら、せめて祇園は救いたい――この命を賭けて。
もう、ほかになにもない!
「……とてもいい話だった。ありがとう」
青信号が点滅するなか、五十郎は横断歩道を渡り終え、その先で待っていた男子大学生に礼を言った。彼の瞳に映るおのれの顔を見て、五十郎は
そして、その日がやってくる。
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