第5章「一撃必殺」

第31話「新記録!」

 翌日、五十郎と祇園は朝食を済ませると、近所の公園の芝生広場におもむいた。二日ぶりである。

 あいかわらず空はすすけて真っ暗で、芝生も一面かげっていたが、遊んだりいこったりしているひとびとの表情は明るい。

 そのうちの一群の表情は、祇園と、そのすぐ後ろを歩く五十郎を見つけるとさらに明るくなった。


「キター!」

「ちょうど、タイムアウトを取ろうと思っていたところだ」

「危うく需給バランスが崩れるところでしたね」

睫毛まつげ、長っ!」

「色、白っ!」

「ママー!」

「一日千秋の思いだったよな」

「『詩経』の『王風おうふう采葛さいかつ』!」


 サブカルティスト、バスケットマン、サラリーマン、ママ友とその子ども、大学生からなる、いつもの見物人たちである。

 それぞれの定位置から寄ってきて和気藹々わきあいあいとしているひとびとを見た五十郎は、既視感を覚えた。その正体は、『和牛のしょう』で『天堂さんが来てくれたから、最近は退屈でもない』というようなことを言って、飲酒しながらケラケラ笑っていたときの金城だった。


 ……してみると、おれはこのひとたちの日常にも、なにかしらのよい影響を与えているのだろうか?


 祇園から少し離れた位置で、ウォーミングアップをしながら五十郎は考える。


 ……仮にそうだとしても、よい影響を与えているだけじゃあない。おれもよい影響を受けているような気がする。この二日間で祇園のことをよく知れたが、そのきっかけをくれたのは彼らだった。

 ならば、むくいてやらねばなるまい……おれなりのやり方で。


 五十郎は祇園のほうを向き、構えた。

 応じて、祇園も五十郎のほうを向く。構えはしない。

 祇園をちやほやしていたママ友たちが、子どもたちの手を引き引き、エールを送りながら離れてゆく。

 サブカルティストたちが、動画撮影の準備をする。

 残りの者たちの一部が勝敗に、あるいは五十郎がしのぐ手数に賭ける。

 そして特に前触れもなく、二日ぶりの戦がはじまった。


 一、二、三、四手。


 五十郎がしかける。祇園がさばきざま反撃する。五十郎がかわしざま反撃する。祇園も躱しざま反撃する。息もつかせぬ技の応酬おうしゅう


 五十郎には、この二日間でわかったことがあった。


 五、六、七、八手。


 祇園はおそらく、戦闘中、


 よしんば考えていることがあったとしても、それはその戦闘で死ねるかどうかくらいであって、戦闘そのもの――つまり、つぎの彼我ひがの攻防とか、駆け引きのことではない。

 祇園の戦闘は、全自動なのだ。祇園が何度も『体が勝手に動く』と言っていたとおり。

 飢餓きがや忍法による自殺さえ自動で防ぐのだから、そう考えるべきである。もしかしたら、これらの恐るべきオートメーションこそが『忍法祇園梵鐘ぼんしょう』の真髄で、触れたものみな塵にす力は、その一端に過ぎないのかもしれない。


 五十郎は九手目の右ストレートを打ちながら考える。


 ――だが、それならやりようがある。


 祇園の十手目――ずっと凌げずにいる、問題の十手目。今日は、五十郎の右ストレートを右手で捌きざま、彼の顎を狙って繰り出された右肘打ちだった。

 だがつぎの瞬間、祇園の右肘の先には五十郎の顎はなく、空があった。

 なんとなれば、五十郎の左腕が、祇園の右肘打ちを下から跳ね上げていたからである。

 一体いつ何時なんどき、その左腕は振り上げられたのか?

 五十郎の右ストレートが、祇園の右手に捌かれたときである。即ち、祇園が右肘打ちを繰り出すよりまえだ!

 五十郎は祇園の十手目を読み、その先を行ったのだ!

 息をんでいた見物人たちがどよめく!


 


 祇園の戦闘はプラグラムのようなものだ。敵からの攻撃という名の入力に応じて、その時々の最善手をノータイムで出力する。

 しかし、それはあくまでも物理的な最善手で、戦略や駆け引きは考慮されていない。

 ならば、敗北時のデータをもとに、つぎの、そのつぎの、そのつぎのつぎの一手を予想することができるはずだ――忍学を首席で卒業した、この天堂五十郎の学習能力と演算能力をもってすれば! そしていずれは祇園のせんを読みきり、カウンターでとどめの一撃クー・デ・グラを叩き込んでやる!

 実際、いまの右肘打ちは読めていた! このあと、おれは左の手刀を打ち下ろす。祇園は左手で捌きざま、左足でおれの足を払いにくるはず!


 十一、十二、十三、十四手! 十五、十六、十七、十八、十九手! 戦は続く! 見物人たちは湧く!


 しかし、祇園の二十手目は五十郎の予想したものではなかった。

 戦は選択の連続である。長引けば長引くほど分岐は増え、先々の予想はますます困難になる。

 五十郎の十九手目の右後ろ回し蹴りをしゃがんで避けるかに思われた祇園は、蹴り足から遠ざかるように同心円状を移動し、五十郎が蹴り終えたときには、その背後を取っていた。

 祇園が五十郎の右足を掴み、後方に投げ――


「――うおおおお!」


 次の瞬間、祇園が後方に投げ飛ばしたのは、五十郎の右の靴だけだった。その主は、咄嗟にまえに飛び、前方回転受け身を取って、いまは片膝立ちで祇園のほうを向いていた。

 五十郎は息をつき、芝生の上で大の字になった。確かな手応えを感じながら。

 途端に拍手喝采!

 この芝生広場で五十郎と祇園が戦いはじめてから十一日目にしてやっと、五十郎がノックアウトされることなく戦が終わったからである! 手数も史上最多!


「新記録!」

「アウト・オブ・バウンズ!」

「ガラガラポン!」

「『男子、三日会わざれば刮目して見よ』とはまさにこのことですね!」

「『三国志演義』!」

「会ってないの、二日だけどな!」


 男性陣は、やんややんやとはやし立てながら五十郎の周りに集まると、口々に祝辞を述べた。五十郎は上体を起こし、彼らを見回して、


「まだ、はじまったばかりだけどな……ありがとう。あんたたちのおかげだ」


 と礼を言った。彼らのアドバイスに従って、祇園のことをよく知ったからこその戦果だったからだ。

 すると、サラリーマンたちが言った。


「礼を言うのはこちらのほうですよ。つまり、わたしたちはウィンウィンです」

「何度倒されても挑戦しつづける五十郎さんの姿を見ていると、何度断られてもアポなし訪問営業をしつづけようという気持ちになれますよね!」

「そ、そうですか……」


 五十郎は、さすがに一度断られたらアポなし訪問営業は控えたほうがいいのではないかと思ったが、口には出さずにおいた。

 男子大学生たちも続く。


「ぼくたちも、いま就職活動中で、採用試験を受けては落ち、落ちては受けの繰り返し。祈られつづけて数ヶ月、さては仏が天職か、即身仏になるべきかと相談していたところ、これぞ仏のおぼし、たまたま諦めずに頑張りつづける天堂さんを見て、踏みとどまることができました!」

「内定を、諦めない!」

「天堂さんが諦めていないのだから!」

「そ、そうか……」


 五十郎は妙な重荷を背負わされた気がした。もとより諦めるつもりはないが……

 しかし、これではっきりした。どうやら五十郎は、金城同様、彼らにもよい影響を与えているらしい。

 こんなことははじめてだったが、五十郎は前向きに受け止めることにした。祇園に「『はじめて』は『いい』」と教えたからには。

 だから五十郎は宣言した。


「……ここからだ。あんたたちにも、見せてやる。諦めずに頑張った先にあるものを」

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