第29話「これで死ねる! 忍法火遁の術」

「『忍法火遁の術』は、火をもってこの世からのがれる忍法――焼身自殺の忍法の総称だ。火をおこす方法はいろいろある。天然者のなかには、手や指の腹や爪をったり、火打石みたいに歯を打ち合わせたりするやつもいるらしい」

「そうなんだ」


 あいかわらず、祇園の部屋には照明器具はない。タワーマンションの高層階なので、夜になると外の光も届かない。

 だからふたりは、日の入りとともに寝て、日の出とともに起きる江戸時代の庶民のような生活を送っていたが、今日はちがった。天堂五十郎先生の祇園鐘音に受けさせたい授業、『これで死ねる! 忍法火遁の術』の実施が決まったからだ。

 そういうわけで、いまふたりは、暗い部屋の中央で床に正座して向かい合い、i窓あいまっどの情報ウインドウを宙に浮かべて照明代わりにして、ひそひそと話している。


「あなたはどうやって熾すの?」

「おれは――というより忍学出身者は、体温を一気に上げて体の内側から火を熾す」

「そうなんだ」


 五十郎は優越感をいだかずにはいられない! 


 おれはいま、祇園鐘音に忍法を教えているのだ! 『七草』の祇園鐘音に! 


 祇園に出会ったときからいまに至るまで、煽り倒されどおし、投げ倒されどおしであったことも、感慨の隠し味になっていた。

 こんなふうに、五十郎が格別の思いを噛みしめていると、


「どうやるの?」


 祇園が前のめりになっていざってきたので、五十郎はのけぞった。


「ま、待て! 近い! はやるな! 順を追って説明するから!」

「? うん。はい」


 五十郎は手をかざして祇園を制しながら、複雑な気持ちになった。祇園がなにかに興味を示す姿を見たのは、これがはじめてだったからだ。その対象が焼身自殺の忍法とは、つくづく救いようがないと思わざるを得ない。

 しかし五十郎は、それを承知のうえで誓ったのだ。祇園のために祇園を殺すと。今宵、祇園に『忍法火遁の術』をおさめさせれば、その誓いは果たされる……間接的ではあるが。


「いいか、よく聞け……病気じゃあないのに、体温が上がるときってあるだろう」

「ない」

「普通はあるんだよ! 混ぜ返すな!」

「はい」

「……とにかく、体温が上がるときがあるんだよ。興奮したときとか、恥ずかしいときとか。おれたちの『忍法火遁の術』は、その応用だ。感情で体温が上がったときのことを思い出して、血肉をたぎらせるんだ。見てろ」


 五十郎はふたりのあいだに置かれていた体温計を手に取って、くわえた。瞑目めいもくし、


「むっ」


 ちょっと念じてから、電子体温計を取る。


「もちろん、死のうってときにはもっと上げる」


 そして、ひるがえして液晶を祇園に見せた。


「41℃」


 祇園は表示を読み上げ、


「すごい」


 と、すごくなさそうに言った。しかし五十郎には、祇園が心底『すごい』と思っていることがわかっている。祇園は嘘をかないからだ――『忍法五車ごしゃの術』を使っているときはともかく。

 だから、五十郎は照れ臭くなってかぶりを振った。


「別に、すごかない……忍学出身者なら、みんなできる」

「でも、わたしにはできない」

「……すぐにできるようになるさ。まずは、感情で体温が上がったときのことを思い出すところからはじめよう」

「だから、ない」

「え?」

「さっき言ったでしょ」


 確かに、祇園は冒頭で『ない』と言っていた。あれも嘘ではなかったのだ。しかし、数十年も生きていて、そんなことがあろうか?

 五十郎はそう思い、


「……ばかな。ひとつくらいあるだろ? 興奮するほど楽しかったこととか、夢中になったこととか、ムカついたこととか、怒り狂ったこととか……真っ赤になるくらい照れたこととか、恥ずかしかったこととか……あ、あるよな? ……ない?」


 と追及したが、自分で言っていて、祇園にはないかもしれないと思った。どれも、まるで想像できない。


「ない」


 実際、ないようだった。天堂五十郎先生の祇園鐘音に受けさせたい授業、『これで死ねる! 忍法火遁の術』は開始数分で暗礁あんしょうに乗り上げた。

 どうしたものかと五十郎が腕を組んでうなっていると、祇園が、


「あなたはなにを思い出しているの?」


 と質問し、


「例が欲しい」


 と付け足した。たいへんやる気のある生徒である。その質問は、五十郎にとってあまり答えたくないたぐいのものであったが、こうもやる気を出されては、そうも言っていられない。

 五十郎は頭をきながら、


「さっきは……忍学時代のことを思い出していた。いまでも、思い出すだけで頭に血がのぼる……ありがたいことにな」


 と話していたが……次第に、なにやら情けなくなってきた。比較するような、また比較できるようなものではないとわかってはいても、祇園の境遇に比べれば大したことはないような気がしたのだ。

 これは参考にならないかもしれないと思われたので、五十郎はもうひとつ、例を挙げることにした。


「あとは、そうだな……はじめてひとを殺したときのこととか……?」


 しかし、これも祇園の参考にはならなかったらしい。


「ほかには?」

「ほかにはって……はじめてひとを殺したとき、体が熱くなったり冷たくなったりしなかったか?」

「冷たくなるのは死んだほうでしょ」

「……」


 五十郎が自分と天然者たる祇園との価値観のちがいを再認識していると、


「ほかには?」


 と祇園にかされた。いよいよネタ切れが近い! 五十郎は首をねじ切らんばかりにかしげながら、ほとんど苦しまぎれに言った。


「そ、そうだなぁ……あとは……はじめてちゃんとした焼肉屋に行ったときは、テンションが上がったな。多分、体温も上がってたんじゃないか? いまとなってはいつものことだけれど、はじめて真の上カルビを食べたときの感動は忘れられない。焼いてなお柔らかく、タレなくして甘く、肉汁はとめどなく……」


 ついさっき焼肉を食べたばかりなのに、語っているうちに桃色がかった大理石とも見紛みまごう霜降り肉が思い出されて、喉が鳴った。その音を聞きつけたか、祇園が首を傾げながら言った。


「そんなことを思い出しながら自殺できるの?」

「……さあ? したことがないからわからん」


 ……沈黙が訪れた。当初抱いていた優越感はどこへやら、五十郎は失意のなかで項垂うなだれた。


 おれがもっと上手に教えられれば、祇園は『忍法火遁の術』を修めて、焼身自殺を遂げられたかもしれないのに。祇園を死なせてやれたかもしれないのに……

 ……祇園に謝ろう。


 そう思って五十郎が顔を上げたとき、祇園は瞑目していた。


「でも、なんとなくわかった。『』ならわかる」

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