第28話「『忍法火遁の術』」

 タワーマンションのエントランスから漏れる光のなか、停車中の自動運転タクシーの助手席から、精緻せいちを極めた芸術品を扱うように――つまり滅多なところにれないように、酔い潰れた金城を降ろして支えたとき、そういえば、と五十郎は思った。

 なぜ金城が無事なのか、不思議に思ったことがあった――鈴木の話を聞いたときのことだ。

 五十郎は金城に肩を貸して歩かせ、祇園が生体認証であけたエントランスの自動ドアを一緒に通り抜けながら、そっと考える。


 中折れ帽の天然者たち――『祇園を監視することにした連中』に雇われた忍者たちは、祇園にとって『らざる刺激』を排除する。なにがきっかけで祇園が企業秘密を漏らすか、わかったものではないという理屈で。

 それなのに、毎日祇園の衣食の世話を焼いている金城は、いまも元気に暮らしている。元気すぎるくらいだ。

 五十郎はそれが不思議でならなかったが、期せずして、今日の外食時の会話から説明がつけられるような気がした。

 祇園は放置していると餓死を試みるが、忍者の本能はそれを許さず、やがて祇園の体を勝手に動かして、近くの『栄養』へと直行させる。途中に障害物があれば『忍法祇園梵鐘ぎおんぼんしょう』で消し去り、『栄養』に辿り着けばむさぼる。

 この破壊行為と略奪自体、『要らざる刺激』だし、その被害者も『要らざる刺激』だ。おまけに、被害者は放っておけばどんどん増えてゆく。それをいちいち排除するのは、物理的にも社会的にも現実性がない。『祇園を監視することにした連中』は、さぞかし頭を悩ませたことだろう。

 しかし最初の被害者の金城は、なにを思ったか、祇園が餓死を試みないように食事をきょうしはじめた。『祇園を監視することにした連中』はこれ幸いと、金城を見逃しているのではないか……


 ……そう考えることもできる。しかし……


 エレベーターのなかで、五十郎は階床かいしょう表示灯から真横の金城に視線を移した。うつらうつらしている。そして酒臭い。


「着きましたよ、金城さん! 大丈夫ですか? 離しますよ? 離しますからね!?」

「ヤダッ! 離さないで! ずっと一緒にいて!」

「なに言ってんですか!?」


 世迷よまごとを並べながら軟体動物みたいにまとわりついてくる金城を引っぺがし、生体認証で解錠した玄関ドアをあけ、彼女をなかに放り込んで閉めたときには、五十郎は肉体的にも精神的にも疲れ切っていた。それもあって、五十郎は思った……どうでもいいか、と。

 それに、いまは金城よりも祇園のことである。忘れないうちに聞いておきたいことがあったのだ。

 五十郎は祇園の部屋に戻ると、はやくも壁に向かって体育座りをしている祇園に尋ねた。


「おまえさ、自殺したくてもできないって言ってたけど、自害しなきゃならないときはどうするんだ?」

「どんなとき?」


 祇園は五十郎を見上げ、質問を質問で返した。五十郎はすぐには二の句が継げなかった。まさか、そこから説明する必要があるとは思わなかったからである。


「どんなときって……敵に捕まりそうになったり、捕まったりしたときだよ」

「わたしは捕まらない」


 確かに、祇園が虜囚りょしゅうに身をやつすさまは想像できないが、五十郎が言っていることはそういうことではない。


「……そりゃそうかもしれないけど……忍法修行のときに教わっただろ? 『忍法火遁かとんの術』とか、そういう自害用の忍法……それを使っても死ねないのか?」

「『忍法火遁の術』?」


 祇園は復唱しながら、こてんと首を傾けた。


「急にかまととぶるな! ついこのあいだ、おまえの目のまえで『忍法猫遁きゃっとん』の使い手が『忍法火遁の術』で焼身自殺してただろ!」

「ああ、あれ」

「あれよ!」


 五十郎は息を切らしながら頷いた。この問答にかくも手間を要するとは思ってもみなかったからだ。自害のための忍法は、忍者であれば天然者と養殖者とを問わず必修の忍法である。それなのに、なぜ話が通じない?

 その答えは、すぐにあきらかになった。


「教わってない」

「……は?」


 祇園の回答を理解するには、若干の時間を要した。


「……『忍法火遁の術』を?」


 念のため、自身の理解が合っているか確認する。


「うん」

「……じゃあ、なにかほかの忍法を教わったのか? 自害用の――」

「教わってない」

「……え?」


 ――数分後!

 ふたりは祇園の部屋の床に正座し、あいだに一本の体温計を置いて向かい合っていた。当然、体温計は祇園の部屋にあったものではなく、急遽、五十郎が最寄りのドラッグストアで買ってきたものだ。なんのために?


「よし。じゃあ、はじめるぞ」

「うん」

「『うん』じゃなくて『はい』!」

「はい」


 祇園に『忍法火遁の術』を教えるためである!

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