第27話「おまえを殺すのはやめた」

 数十分後!


 五十郎と祇園は、自動運転タクシーの後部座席にいた。助手席では金城が寝ている。『和牛のしょう』で飲みすぎて、酔い潰れたのだ。

 五十郎はしばらく視界に窓外の夜景を流していたが、やがて観念したように口をひらいた。自動運転タクシーの車内ドライブレコーダーに録音されぬよう、草に伏せたときに用いる、三尺四方にしか聞こえぬ忍者の声音で話す。


「おまえさ……もしかして、自殺しようとしたのか?」


 金城の話のことだ。


「うん」


 祇園は忍者の声音で肯定し、


「でも、失敗した。体が勝手に動いちゃって」


 と続けた。五十郎は思わず振り向いた。


「それじゃ、おまえ……殺される気があるっていうより、死にたいみたいじゃないか」

「なにかちがう?」


 祇園は、シートに載せられた人形かぬいぐるみみたいにまえを向いたまま、問うた。


「ぜ、全然ちがうだろ。おれは、おまえが『殺される気がある』って言ってたのは、殺し殺される忍者の習いとか、おまえが昔のことで『命を狙われても仕方ない』って思い込んでるとか……そういうのが理由だと思ってたんだぞ。だから、普通に生きたっていいだろって言ったんだ。ほかの生き方だってできると思ったから……でも、死にたいっていうのはもう、なにもないだろ」

「だから、『ほかになにもない』って言った」


 五十郎は思い出す。確かに祇園は、そう言っていた。

 だが、まさか餓死をこころみるほど死にたいと望んでいたとは、思いもよらない。なにせ五十郎に言わせれば、祇園はなにも悪くないのだ。ひとを死に追いやる要因のひとつは罪悪感だという。祇園には、そんなものを覚える必要はないはずだ。

 ついでに言えば、祇園は『七草』だ。その気になれば、なにひとつ不自由なく暮らせるはずである。


「な、なんでそんなに死にたいんだ?」


 口を突いて出たのは、自殺志願者に対して、理解のない大人がするような質問だった。


「もう、生きる意味がないから」


 祇園はよどみなく答えた。その答えは、ある意味では一般的といえば一般的だったから、五十郎は妙な安心感を覚えた。

 しかし、


「でも、死ぬ意味はある」


 続いた言葉は五十郎の想像を超えていた。


「わたしはたくさんの誰かのために生まれた。そのたくさんの誰かがいま、わたしに死んでほしいと思ってる。わたしが生きてるだけで、迷惑なんだって。なら、死んであげたい」


 五十郎は、祇園がなにかを欲するのをはじめて聞いた気がした。だが当然、そんなことに思いをせたところで、祇園の言葉は変わらない。

 五十郎はなぜかすがるような思いになって、


「い、生きる意味はどこに行ったんだよ? 昔はあったんだろ?」


 と聞いた。祇園は、


「消えちゃったみたい。核ミサイルと一緒に」


 と答えた。


「でも、それも忍者の習い」


 そう呟く祇園の向こうでは、窓の外の景色が高速で流れ、移り変わっている。

 そのとき五十郎に去来きょらいした感情は、同情と呼ぶには過ぎ、哀れみと呼ぶには足りぬものであった。

 国防のため、忍者として生まれ育ち、恐るべき忍法を修め、これをもってお役目を果たし、『七草』の称号を得たる者。

 と思いきや、たちまち無実の因果で厄介者と成り果てて、死を望まれながら死ねぬ者。

 それが祇園鐘音である。その唯一無二の境遇のすさまじさに、完全な意味で同情できる者などいようはずもない。

 しかし五十郎は、祇園の人生のごく一部に、おのれを重ね合わせていた。


 祇園は忍者になりたくてなったわけではない。周りの都合で、そう生まれ育っただけだ。

 祇園は自ら死のうと思うに至ったわけではない。周りの都合で、死を望まれているだけだ。

 その『都合』が、祇園の人生を支配している。

 五十郎も、忍者になりたくてなったわけではない。親の都合で、忍学に入れられただけだ。

 その『都合』が、五十郎の人生を支配している……


 比べてみると、なんと落差のあることか! しかし、落差など五十郎にはどうでもよかった。

 どうでもよくないのは、五十郎が『都合』を憎み、こばんでいる一方、祇園は『都合』を無条件に受け入れている点だった。

 祇園は、生まれたときからいまに至るまでずっと、誰かの『都合』に振り回されている。つまり、祇園にとってはそれが自然なのだ。自然なものを、どうして憎んだり拒んだりできようか。

 あまりにいびつ! 恐るべきは、祇園をそう『つくった』国防の窮鼠きゅうそ! その生い立ちを、五十郎は哀れまざるを得なかった。

 こんなふうに、五十郎が寄せては返る同情と哀れみの波間で揺れていると、


「どうしたの」


 不意に祇園が彼のほうを向いて、その小さな口をひらいた。


「あなたのやることは変わらないでしょ。わたしは『よくない』って言った。あなたは、わたしに借りもある。だから、あなたは依頼をキャンセルしない」


 家を出るまえの会話のことを言っているのだ。


「ターゲットがたまたま、死にたがっていることがわかっただけ。そうでしょ?」


 自動運転タクシーの電子音声が「まもなく目的地に到着します」と告げる。


「……そうだな。おれのやることは変わらないみたいだ」


 窓の外を一定の速度で流れていた景色が、足を緩める。


「やることはな」

「なにか変わることがあるの?」


 五十郎は一瞬、はぐらかそうかとも思ったが、祇園に追及されることも、それからのがれられないこともよく心得ていたから、正直に言うことにした。


「この依頼のために、おまえを殺すのはやめた」

「じゃあ、なんのためにわたしを殺すの?」


 自動運転タクシーが停車する。電子音声が「目的地に到着しました」と告げる。助手席の金城が「ううん……」と寝ぼけた声を漏らす。

 五十郎は祇園を見つめ、


「おまえのために、おまえを殺してやる……おまえが死にたいって言うのなら。おれはおまえに、借りがあるからな……」


 と言った。祇園は、


「そう」


 とだけ言った。

 自動運転タクシーのドアが、ゆっくりとひらかれた。

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