第25話「放っておけないから」

『死んであげたいから』


 祇園の色素の薄い唇が、旧世紀の病んだ歌詞のような言霊をつむいでから十数分後……


 五十郎は、いまや屋号それ自体が戦前から続く老舗しにせであることを示している高級焼肉店『和牛のしょう』のボックス席に、祇園と並んで座っていた!

 勿論、五十郎は好きこのんで祇園の隣に座っているわけではない。同行者がもうひとりいて、その人物の勧めに従わざるをえなかったのだ。その人物はといえば、向かいに座ってニコニコしながら、両手を合わせている。


「焼肉なんて久しぶり! 天堂さんはこのお店、よく来るんですか?」

「え、ええ、まあ……」


 金城だ!


 なぜ、こんなことに……?


 五十郎の内なる疑問に、彼の記憶が答える……


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 祇園が『死んであげたいから』と言ったとき、五十郎はどこかで扉がひらく音がしたような気がしたが、どうやら幻聴ではなく、実際に祇園の部屋のドアもひらかれていたらしい。

 直後、金城が入ってきて、空を覆う黒い煤さえも払いそうな明るさで『天堂さん! 迎えにきましたよ! さあ、買い物に行きましょう!』と言ったのである。

 五十郎はあまりの落差に狼狽ろうばいしたが、すぐに、こんな落差は序の口だと思い知らされることになった。

 祇園がおもむろに立ち上がって、『わたしも行く』と言いだしたのだ。

 金城が『あら! 鐘音ちゃんったら、いちゃいました!?』と笑う!

 祇園いわく『わたしはなにも焼いてない』!

 金城曰く『もう、鐘音ちゃんったら! でも、三人で買い物に行くのもなんですね……そうだ、なにか焼きにいきましょう! お肉なんかいいですね! 天堂さん、どこかいいお店、知りませんか?』!

 かくして、展開の激流に呑まれた五十郎は、ふたりを自動運転タクシーで行きつけの焼肉店へ連れてゆくことになった。

 さすがに、金城のまえで祇園の『死んであげたいから』の真意を追及するわけにもいかなかったので、五十郎は道中の車内でひとり、あの発言を吟味ぎんみしていたのだが……


 ……おかしくないか?

 だって、そうだろ? 祇園が本当に『死んであげたい』と思っているのなら、とっくに自殺しているはずじゃないか。

 祇園だって、『七草』であるまえに忍者なんだから、とらわれの身になったときに自害するための忍法を修めているはずだ。おれたち養殖者にさえ、『忍法火遁の術』の心得があるんだから。

 その忍法をもってすれば、容易たやすく自殺できる。あの日の『忍法猫遁きゃっとん』の使い手のように。

 それに……『死んであげたい』なんて思ってるやつが、焼肉なんかについてくるか?


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 ・

 ・


「……さん! 五十郎さんってば!」

「はい!?」


 金城のはずんだ声が、五十郎を『和牛の庄』に呼び戻した。


「注文はお任せしちゃっていいですか? わたしも鐘音ちゃんも、好き嫌いはないので!」

「お安い御用です」


 とは言ったものの、ひとり焼肉が常の五十郎にとって、誰かと焼肉を食べにくるなど初めての経験である。五十郎は緊張していた。


 ……でも、これはいい機会かもしれない。


 五十郎はそう思いながら、情報ウインドウを呼び出し、『和牛の庄』のメニューにアクセス、いつも注文している商品を選択する。


 数は……三人だから、全部三人前注文すればいいか。


「飲みものはどうします?」

「わたしは生中で!」

「……おまえは?」

「わたしも」

「……おまえ、自分がいくつに見えるかわかって言ってるのか?」

「分身して見える?」

「……もういい」


 五十郎が、常連のよしみで店員が黙認してくれることを祈りながら生中を二杯注文しようとしたとき、その手首を掴むものがあった。

 金城だ!


「天堂さんも飲みましょうよ!」

「え? いや、おれは」

「手伝ってくれるって言ったじゃないですか! わたしの飲酒を手伝ってくださいよ! それとも、嘘だったんですか!? わたしを騙したんですか!?」

「もう酔ってます!? わかった、わかりましたよ!」


 かくして、三人のまえに一杯ずつ、中ジョッキが置かれることになった! そのなかでは、クリーミーな泡を頂く金色の液体が、細かい気泡を矢継ぎ早に湧き上がらせている。

 そのうちのひとつが、高々とかかげられた! 金城の仕事だ! 次いで、いまひとつも掲げられた! 祇園だ! 意外にも勝手知ったるという感じ!


「お疲れさまでーす!」

「お、お疲れさまです……?」


 五十郎は戸惑いながら応じて、ジョッキをぶつけあった! 金城が飲む! 祇園が飲む! 五十郎も飲む!

 毒の味がした。忍学の授業の影響で、五十郎の味覚はアルコールを毒としかみなせなくなっているのだ。


「ぷはーっ! こいつはききますね!」


 金城が酒気をはらんだ息をついたときにはすでに、彼女が持つジョッキの中身は半分以下になっていた!


「こんな味だったっけ」


 と呟きながら、祇園もジョッキを傾ける! 顔に比してジョッキが大きすぎて、なにやら背徳的だ!


「昔はもっと美味しかった……みたいですよ! 麦とホップを使ってて……って、そんなことはどうでもいいんですよ! あっ、おかわりで!」


 金城がしたジョッキを置く! その目はわっている! 酔っ払いの目だ!


「で! ふたりはどこまで行ったんですか!?」

「どこまでもなにも……どこにも行く予定はないですよ」


 ちょうど、店員がハクサイのキムチとホウレンソウとモヤシのナムルを三皿ずつ運んできたので、五十郎は金城の生中のおかわりを注文しながら答えた。


「それは、ふたりでずっと一緒にあそこで暮らすってことですか!?」

「そうじゃなくて!?」


 店員がやってきて、テーブル中央に埋め込まれたロースターに点火する。


「あの世に行く予定じゃないの」


 と祇園!


「それは、死がふたりを分かつまでってこと!?」


 と金城!


「ち……ちがうとも言えない!」

「いいですね!? いいじゃないですか! 盛りあがってまいりました!」

「お待たせいたしました」


 店員が上タン塩の載った大皿を運んでくる。


「待ってました! って、なんか多くないですか? キムチも、ナムルも、お肉も」


 金城は小首をかしげながら、トングで手際よく上タン塩を網の上に載せていく……

 質問が途切れた! この隙を見逃す五十郎ではない!


「おれたちの話はいいから、金城さんの話も聞かせてくださいよ!」

「わたしの話~?」

「はい」


 五十郎にとって、降って湧いたこの外食は、金城から話を聞き出すにはまたとない『いい機会』であった。

 なにせ金城ときたら、五十郎のまえではいつも家事をこなしているし、家事を済ませるとすぐに帰ってしまうので、話しかける隙がないのだ。それ以前に、五十郎がどう話しかけようか思い悩んでいるうちにいなくなっていることも多かった。

 話を振られた金城は、ジョッキを傾けながら、なにか考えているのか、上のほうを見た。自然と、ジョッキの角度もどんどん急になってゆく。考えているだけの時間がもったいないと言わんばかりの飲みっぷり!


「生中、おかわり!」


 金城は店の奥のほうに向かって声をあげると、空のジョッキを置き、首を振った。


「わたしの話なんか面白くないですよ。もう何年も何年も、毎日毎日、ずーっとずーっと、なーんの意味もない同じ仕事を繰り返してるだけですから」


 その言葉には、酒精と万感の思いがこもっていた。五十郎の目には、金城が急に疲れ果てたように見えた。

 だが、さしあたって、五十郎が聞きたいことは金城の仕事の話ではない。ほかにある。


「いや……」


 五十郎は焼けた上タン塩を各々の小皿に取り分けながら、話題を変えようとした。

 そのとき!


「お待たせいたしました」

「ありがとうございます!」


 金城が注文した生中のおかわりが運ばれてきた! 金城がジョッキを傾け、置く! 金の波が砕ける! 祇園は上タン塩を食べている!


「昔はよかったなぁ。仕事にもやりがいがあって……それが、異動になっちゃって! きみにしかできない、って言われてもですよ、わたしがやりたいかどうかは別じゃないですか! そう思いませんか!?」

「思います!」


 金城の目は据わっている! 地雷を踏んだというか、地雷が勝手に向こうからやってきて、五十郎の足の下に滑り込んできた感じだ!


「ほんと退屈なんですよ、もうずっと、なにもかも……って、うまっ! おいしいですね、これ!?」


 これはもう、しばらくは聞き役に徹するしかないな……


 五十郎がそう思っていると、上タン塩に舌鼓したづつみを打っていた金城が思い出したように呟いた。


「……でも、最近はそうでもないかも。あ、生中、おかわりで。おふたりもおかわりでいいですか? いいですよね? 生中、三つで!」


 上カルビが載った大皿を運んできた店員に、金城が注文する。


「そうなんですか?」


 五十郎が聞き返すと、金城は両手の親指を立てた。


「そうなんですぅ~! 天堂さんが来てくれましたからね! っていうか、お肉、多くないですか?」

「お、おれ?」


 金城のことを聞いていたのに唐突に自分が登場したので、五十郎は驚きのあまり、どもりながら確認した。すると金城は、両手の人差し指を立て、五十郎に向けてからウインクした。


「おれです! 天堂さんは感想を言ってくれますから、ご飯のつくり甲斐もありますし! こうして久しぶりに外食もできましたしね! 家じゃ飲めませんよ、生中は!」


 そう言うと、金城は運ばれてきた生中のジョッキを傾けた。

 

 妙な気持ちだった。

 闇に生きる、血にまみれたアサニンのおのれが、誰かの日常にレギュラー出演して、どうやらよい影響をおよぼしているらしい。もはや忘れ去った遠い過去には同じようなことがあったのかもしれないが、記憶にあるかぎりでは、はじめてのことだった。


 ……しかし、いまの五十郎には感慨かんがいひたっている時間はあんまりなかった!


 ――それはともかく好機! いまこそ、聞きたいことを聞くべきときだ!


「それなんですけど……どうして、こいつに三食用意してやってるんですか?」


 五十郎は、隣で粛々しゅくしゅくと上タン塩を口に運んでは、ジョッキを傾けている祇園――まるで、そういう人形のようだ――を指差しながら聞いた。

 答えはすぐに返ってきた。


「放っておけないから」


 五十郎は瞬間的に自己嫌悪におちいってしまった。ちょっと共感してしまったからだ。実際に五十郎は、どうせ祇園は自ら焼きはしまいと、いまトングで祇園の分の上カルビを何枚か、網の上に載せてやってしまっていた。


「まあ、こいつ、世間知らずですしね。気持ちはわかりますけど、それにしたって――」


 世話を焼きすぎでは、と続けようとした五十郎を、金城はさえぎった。


「そうじゃなくって……放っておくと、大変なことになるんです」


 その目は据わってはいなかった。

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