第24話「真面目な話」

 五十郎は目眩めまいを覚えた。


 『そうだよ』だと? なんでもないことのように言いやがって……理不尽を受け入れているというのか?

 いや、こいつのことだから、理不尽のなんたるかを知らないだけかもしれない。わかっていないだけかもしれない……


 何度かまばたきをして平衡感覚を取り戻すと、五十郎は前のめりになりながら言いつのった。


「おまえ……あんな連中に死んでほしがられて、『はいわかりました』って殺される気になるなんて……どうかしてるぞ?」

「どうして?」

「どうしてって……」


 祇園の声が、ともすれば質問に聞こえないほど平坦な一方で、五十郎の声は上擦うわずった。五十郎は調律代わりに咳払いを挟むと、さとすように続けた。


「……おまえはなにも悪くないだろ? おまえは連中に利用されただけじゃないか。やつらがおまえに死んでほしいって思うのは、やつらの都合だ。そんなの、無視すりゃいいだろ。なんで、そうしない?」

「変なの」


 祇園は体育座りをしたまま、花みたいに首を折った。


「なにがだよ!? おまえのほうがずっと変――」

「あなた、わたしを殺しにきたアサニンなのに、わたしに生きたら? って言ってる」

「……茶化ちゃかすなって!?」


 当然、そんなことは百も承知の五十郎であったが、他人に指摘されると恥ずかしさにえない。相手が当のターゲットであればなおさらだ。

 この部屋に机があったなら!

 五十郎は心中そう叫ぶと、どこかに叩きつけたくてならない握り拳を震わせながら、努めて静かに、


「……真面目に答えろ。おれは真面目な話をしてるんだから」


 と言った。


「真面目な話?」


 祇園が反対側に首を折る。五十郎は祇園の目を――なにかを映していながら、なにも見ていないような目を直視しながら、発声練習さながら、一文字一文字を読み上げるように告げた。


「どうして?」


 今度の『どうして?』は少し食い気味だった。五十郎は懇切こんせつ丁寧に説明する。


「さっき言ったとおりだ。おまえはなにも悪くない。おまえは生まれてからずっと、大人の都合に振り回され続けただけの被害者だ。はじめて会ったときに言っただろ、おれはそういうのが嫌いだってよ。だから、おまえの答え次第でキャンセルすることにした」

「『七草』になるんじゃなかったの?」


 五十郎はぴんと来た。


 ……こいつ、この感じ! また、無意識に『忍法五車ごしゃの術』を使ってやがるな!? いいだろう、受けて立ってやる! 脊髄反射に気をつけるんだ、五十郎!


「別の方法でなる。そもそも、おまえにわなきゃそのつもりだった」

「『おまえを殺して屈辱を晴らさないかぎり、おれの誇りは傷ついたままだ』って言ってたのに」

「そんなことも言ったな……」


 ほとんど脊髄反射で、五十郎はそう返していた。しかし、それは『忍法五車の術』の術中にまったことを意味しなかった。むしろ、その逆だった。

 祇園の発言は五十郎を挑発するためのものにちがいなかったし、かつての五十郎なら効果抜群、怒り心頭に発すること請け合いであったが、いまはそうではなかった。

 我ながら不思議だったので、五十郎は話しながら言葉を探すことにした。


「いまでも、その気持ちはないわけじゃあないけどさ……それ以上に、この依頼に嫌気が差したんだよ。この依頼のためにおまえを殺したら、おれも身勝手な大人と同じだ……あの日の自分を裏切ることになる。それに……」

「それに?」


 言葉が見つかった。暮れなずむ空の下、高層ビルの飛石を、寿司折みたいにげられて運ばれた、あの記憶のなかに。あのとき、祇園に言われた言葉……


「……それに、誇りが傷ついたままってわけでもない。誇らしい気持ちってやつは、新たに生まれもするものだからな」


 五十郎は、いつのまにか視線をらしてしまっている自分に気づいた。なにやら恥ずかしい気がしたが、当然、祇園は気にした風もなく、


「そうなんだ」


 と言った。


「そうなんだよ」


 五十郎は頷いた。


「じゃあ、借りは?」


 今度の祇園の発言は、いまの五十郎にも効果抜群だった。


「か、返すよ……」

「どうやって? わたしを殺して返すんじゃなかったの?」

「ど、どうやってって……」


 五十郎は腕を組み、一生懸命考えた。こんなに考えたのは、忍学の試験以来ではないかと思われた。

 たっぷり数分をかけてから(このあいだ祇園は、五十郎をじっと見つめたまま静止していた)、五十郎は躊躇ためらいがちに口をひらいた。


「……おまえが自立できるようになるまで、生活の仕方を教えてやる。炊事洗濯から、ゴミの捨て方まで。どうせ、やったことないだろ?」

「……」


 どうやら、『忍法五車の術』は終わったらしかった。

 五十郎は畳みかける。


「だから! ……おまえに死んでほしいって思ってるやつらのことなんか忘れて、好きに生きたらいい。おまえならできる。やつらがいくらアサニンを放ったって、おまえにとっちゃみんな、風のまえの塵と同じようなものなんだから」

「……」


 いつしか祇園は、体育座りのまま、その白くて丸いお餅みたいな膝を見つめていた。検討しているのだろうか? その心を知るすべはない。


「それでいいだろ?」


 五十郎は回答を迫った。祇園は顔を上げ、いつもと同じ表情――つまり無表情で、しかし、いつになくはっきりと答えた。


「よくない」


 その響きが、祇園にしては極めて珍しく、あまりにも明確な拒否の意思をはらんでいたので、五十郎は面食らった。


「ば、ばかな……な、なにがよくない? なんで……」


 五十郎が鯉みたいに口をパクパクさせてあえぐ一方、祇園はなんでもないことのように答えた。


「死んであげたいから」


 ――どこかで、扉がひらく音がした。

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