第23話「おかえりなさい」

 あたかも、昼下がりの乗客まばらな山手線内回りの電車が、車内で立つ五十郎の脳を揺らしているかのようだった。脳のしわの奥から、いろいろな考えがこぼれ落ちてくる。


 鈴木は、『りずに祇園の暗殺を試みた連中』に雇われた依頼代行業者で……

 中折れ帽の天然者たちは、『祇園を監視することにした連中』に雇われた忍者だった。

 だからあのとき、『忍法猫遁きゃっとん』の使い手はおれに襲いかかったんだ。おれは祇園にとって、『らざる刺激』だったから。

 鈴木はそれを知っていたからこそ、おれを『あの路地』にいざなった。中折れ帽の天然者たちが、『要らざる刺激』たるおれを探していることを見越して……

 そして鈴木の読みどおり、中折れ帽の天然者たちはおれのまえにあらわれた。

 ……でも祇園の言ったとおり、いまはもう、やつらはおれから手を引いているのだろう。

 祇園が『あの路地』まで、おれを助けにきたからだ。『天堂五十郎』よりも、『天堂五十郎に危害を加えること』のほうが、祇園にとって『要らざる刺激』だと知れたから……

 そういえば、盗撮されてSNSにアップロードされていた動画を投稿者に削除させようとしたとき、すでに削除されていたな。いまにして思えば、あれも『祇園を監視することにした連中』の仕業にちがいない。祇園にとって『要らざる刺激』が増えかねないから……

 ……?

 待てよ?

 じゃあ……どうして、あのひとはいまも無事なんだ?

 あのひとは『要らざる刺激』じゃあないのか?


 気がつくと、五十郎は祇園の住むタワーマンションのエントランスにいた。電車を降りた記憶も、改札口から出た記憶もなかったが、無意識にいつもの道を辿たどっていたらしい。

 五十郎は雑念を追い払うように、かぶりを振った。

 いまは祇園本人のことを考えるべきときだ。直接、確かめなければならないことがある。

 五十郎は決意も新たにエントランスの自動ドアを通り抜けようとして、額をガラス面にぶつけた。


「!?」


 オートロックだ! 普段は祇園がなにもせずに通過していて、五十郎はそのあとを付いていっていたから気づかなかったが、どうやらこの自動ドアは、なんらかの生体認証で解錠され、開放されるタイプのオートロックらしい。

 五十郎はおのれの間抜けにあきれながら、以前視界に入った祇園の部屋の表札(当然、氏名は書かれていなかった)を思い出し、部屋番号を操作盤に入力して呼び出しボタンを押した。反応はなかった。


「……?」


 もう一度押す。反応はない。


「おい!?」


 いま一度! しかし反応はない!

 五十郎は言い知れぬ嫌な予感を覚えながら、隣の部屋番号を操作盤に入力して呼び出しボタンを押した。隣の部屋――金城の部屋からは、すぐに反応があった。


「あら、天堂さん! おかえりなさい! でも、鐘音ちゃんの部屋は隣ですよ? まちがえちゃったんですか? もう、天堂さんったら、うつけなんですから!」


 う、うつけ!?

 と思いながら五十郎は、


「いや、インターホンを押したんですけど、あいつ、いないみたいで……」


 と訴えた。なぜ胸騒ぎがしているのか、わからぬまま。しかし、その原因に思いを致す時間は与えられなかった。金城がすぐに、こう答えたからだ。


「えっ? ついさっき洗濯物を取りにいきましたけど、鐘音ちゃん、いましたよ? 体育座りしてました。かわいいですよね!」

「えっ?」

「とりあえず、あけますね!」


 呆然とする五十郎を嘲笑あざわうように、自動ドアがあいた……


 祇園の部屋に戻るなり、


「おい!? おまえ、なんで――」

「おかえりなさい」


 いつもと変わらず体育座りをしている祇園を追及しようとした五十郎であったが、思いがけず挨拶をされて、出鼻をくじかれた。


「お、おう……た、ただいま……?」


 妙なイントネーションになった。その挨拶を口にするのが、あまりにも久しぶりだったからだ。


「聞こえたから。合ってるよね?」


 祇園がその細い顎をしゃくって、ほかの壁より新しい壁のほう――金城の部屋のほうを示しながら言った。急に『おかえりなさい』と言われて、目をぱちくりさせている五十郎に説明したつもりらしい。


「お、おう……って、そうじゃない!」


 五十郎は我を取り戻し、気を取り直して追及した。


「おまえ、なんで出ないんだよ!? インターホン! 鳴らしたのに!」

「インターホン?」

「鳴ってただろ!?」

「うん」

「聞こえてたんじゃないか! なら、出ろよ!?」

「どうやって?」

「どうやって!? どうやってって……ど、どうやって……? ……」


 そう聞き返されたとき、五十郎は立ち尽くしてしまった。祇園のことをまたひとつ、知った気がしたからだ。


 祇園はインターホンの出方を知らない。おそらくは長いあいだ、この部屋で暮らしているにもかかわらず。

 『おかえりなさい』もいまさっき知ったようだ。おそらく、『いってらっしゃい』は知らないのだろう。

 そういえば、ホットドッグの食べ方も知らないようだった。はじめてホットドッグを買ってやったとき、ケチャップの塗り方どころか食べ方さえも、五十郎のやり方を見てから、同じようにしていたではないか。あれは真似ていたのだ――知らなかったから。

 それに、なにかにつけて『はじめて』だと言う……

 

 祇園は生まれてこの方、必要最低限のことしか教えられてこず、経験してこなかったにちがいなかった。


『なぜかって? やつは、ミサイル防衛と防衛戦のためだけに……反撃のためだけにつくられた忍者だったからさ』


 よみがえる鈴木の言葉……

 つまり、祇園は……長い年月を生きてこそいるが、その実、ほとんどなにも知らない……


 ……五十郎はバックパックを部屋の隅に置き、自分の寝袋のうえに腰かけた。

 祇園はすでに、『時間が過ぎるのを待つ』作業に戻っている。

 五十郎は、これまでとはちがう気まずさを感じていた。鈴木の話を聞いたあとだから……いや、天堂五十郎が祇園鐘音のことを『知った』からだろう。

 それでも、確かめなければならないことが……聞かなければならないことがある。


「……おまえがさ」

「うん」

「『殺される気がある』っていうのはさ……クソどもが、おまえに死んでほしがってるからなのか?」

「クソども?」

「昔、おまえを雇ったやつらだよ。用忍棒として」


 それまで壁を見つめながら返事をしていた祇園が、やおら振り向いて、


「調べたんだ。頑張ったね」


 と言った。


茶化ちゃかすな」


 五十郎は若干の気恥ずかしさを覚えながら、返答をうながした。すると祇園は、


「そうだよ」


 と、こともなげに言った。

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