第20話「クソでございます」
祇園が言ったとおり、道中、五十郎が襲撃に遭うことはなかった。尾行されてもいない……はずだ。五十郎は一応、尾行を
もっとも、いまやそこまでする義理もないかもしれなかった。このただの鉄板みたいなドアの向こうにいる男には。
「よう、天堂五十郎くん! キャンセルしにきたのか? 電話でいいんだぞ」
ドアをあけるや、その男――鈴木の声がした。コンクリート打ちっぱなしの部屋の中央で、なにもない事務机に両足を投げ出して椅子に座り、タブレット端末を操作している。また、ゲームをプレイしているのだろう。
五十郎は無言で事務机のまえまで歩くと、鈴木を見おろして言った。
「現場に行ったら、襲われた」
「ほう? そりゃ、災難だったな。誰に襲われたんだ?」
鈴木はタブレット端末を操作したまま、問う。
「わからない」
「そうかい。で? 今日はなにをしに――」
五十郎は鈴木の発言を
「だが、あんたはわかっていたはずだ。おれが現場に行ったら、何者かに襲われるであろうことは……だから、現場に行くよう誘導した。ちがうか?」
いまにして思えば、おかしなことだった。鈴木が『忍法
鈴木はタブレット端末を操作しながら、肩を竦める。
「人聞きの悪いことを言うな。おれはおまえに『どう調べる?』って聞かれたから、現場を確認するべきだって答えただけだぜ」
「死にかけたんだぞ」
「そういう仕事だろう?」
「『そういう仕事』だった場合、依頼人がどんな運命を
『そういう仕事』――アサニンを
五十郎の疑念を察したか、鈴木はタブレット端末を事務机に伏せ、両足を事務机のうえからおろすと、彼を見上げた。
「あのな……仮におれがおまえを誘導して現場に行かせ、誰かにおまえを始末させたとして、おれになんの得がある? ないだろ? そんなことより、昨日のおまえの話な。裏が取れたから、祇園暗殺の理由を教えてやるよ」
「裏が取れた? 取れたのは別のものだろう?」
「おお、おまえが情報を漏らしていないと知れて、胸のつかえも取れたわ」
笑いながら胸をさすってみせる鈴木だったが、
「取れたのは許可だろ? 本当の依頼人からの」
五十郎がそう告げると、一時停止ボタンを押したように表情を凍らせた。
「……なに?」
五十郎はその氷像を砕きにかかる!
「本当の依頼人は別にいるんだろ? あんたは依頼代行業者だ。ギルドやアサニンにツラを晒したくないという、肥え太った卑怯な臆病者の人間不信と我が身可愛さに付け込み、暗殺の依頼代行を買って出て、マージンを取るクソども!」
「急になにを言いだすかと思えば……頭でも打ったのか? 襲われたときによ」
五十郎は皮肉を無視して続ける。
「だからあんたは、おれに依頼をキャンセルさせたがった。本当の依頼人じゃないあんたには、キャンセルする権限がないからだ。おれにキャンセルさせて、また別のアサニンへの依頼代行を請け、小遣い稼ぎをするつもりだったんだろ? いままでと同じように……祇園の暗殺は、いままでにも何度か失敗していると言っていたものな? ところが、おれがいつまで経ってもキャンセルしないものだから、
「なるほど、筋は通っているが……前提がまちがっているぜ。言っただろ? 依頼をキャンセルするかしねえかをおまえに
「言ってない」
「ボコられて、記憶障害でも起こしたか? つい昨日言ったばかりだぞ」
記憶障害を起こしているのはどちらか、はっきりさせるべきときだった。
「そうじゃない……おれはあんたに、あの紛らわしい写真でターゲットを誤認したとは一度も言ってない。アサニンとして恥ずかしかったからな……!」
「……フッ!」
「笑うな!」
鈴木の
「……それなのに、あんたはおれがターゲットを誤認したことを知っていて、その詫びだと言いだした。なぜか? 理由はひとつ! あんたは、おれにターゲットを誤認させるためにあの写真を見せたからだ。祇園は見た目だけなら『女、子ども』だからな。それだけで依頼を断るアサニンもいるだろう。あんたら依頼代行業者は、アサニンに依頼を請けさせてはじめて金をもらえる。あの写真は、そのための小細工だったわけだ。あんたが言ったように、後日、アサニンに依頼のキャンセル権を委ねる口実にもなる……おい、手を机の上に置いたままにしろ!」
五十郎は、鈴木がタブレット端末に手を伸ばそうとしたのを見逃さなかった。
仲間でも呼ぶつもりだろうか? そうはいかない。
五十郎は鈴木の両手の動きを注視しながら、仕上げにかかった。
「わかったか? わかったら……本当の依頼人を教えろ。祇園暗殺の理由は、そいつから直接聞く。あんただって、ギルドに通報されたくはないだろ?」
脅迫である! アサニンギルドは依頼代行業者を許さない。彼らが介在することで、依頼人とアサニンの立場がフェアでなくなるし、マージンの分、本来アサニンに支払われるべき報酬が減るからだ。依頼代行業者として通報されたら最後、文字どおり、死ぬまでギルドのアサニンに命を狙われることになる……
鈴木は肩を竦め、首を振り、
「わかった、わかった……よくわかったよ」
タブレット端末に手を伸ばした。
「言ったぞ! 手を机の上に置いたままに――」
五十郎は鈴木の手を押さえ……
「おまえが勉強のできる子だってことは……」
……ようとしてバランスを崩し、事務机に倒れ込んで、胸を
「!? な……」
なぜおれは、急にバランスを崩した?
五十郎は不思議でならなかったが、いまはそれより気になることがあった。両足首に違和感がある!
五十郎は両手で事務机を叩き、飛び
「だが、想像力は足りねえな」
……こうとして再びバランスを崩し、今度は床に倒れ込んで、背中を
いま五十郎は、両足首を支点に弧を描くように倒れた――つまり!?
五十郎は急いで上体を起こし、自分の両足首を見た。
「う、うおおお!?」
すると案の
「おまえがはじめてだと思ったか?」
「な、なに?」
鈴木がタブレット端末片手に立ち上がる。
「ここで、おれに喧嘩を売った忍者だよ……そんなわけないだろ」
五十郎は彼の足首を掴む手に、左右の手刀を振り下ろした。
床から生えた三本目と四本目の灰色の手が、それらを受け止め、そのまま彼の両手を掴んだ。
哀れ、五十郎は
「いままでに何度もあった。あの紛らわしい写真を見てターゲットを誤認した挙句、祇園に返り討ちにされたアサニンが戻ってくるや、逆ギレして襲いかかってきたり……そういうアサニンを尾けてきたのか、どこの馬の骨とも知れねえ忍者が襲いかかってきたりな。それでも、おれはこうしてピンピンしている。その意味を?」
鈴木は事務机を回り込むと、その縁に腰かけて、タブレット端末を操作しはじめた。
ようやく、五十郎は『その意味』がわかった。彼を捕まえたる四本の手は、新手の忍者のものではない。
げにげに、生える毛の一本とてなく、くすむ染みの一点とてなく、通う血の一滴とてなく、生じる変形の一ミリメートルとてなし。無機にして灰の
「きさま、天然者か……!」
「さっきおまえが邪魔したせいで、このありさまよ。まさか、ここでおまえに追及されるとは思わなかったから、ついクエストをはじめちまった。相手の懐でするもんじゃあねえんだぜ、追及ってやつは……このゲーム、サービス開始時からずっとトップランカーだったんだがな。このクエスト失敗で、それも終わりだ……金も時間も、すべてが無駄になっちまったよ。諸行無常だよな?」
「……」
なにが楽しいのか、鈴木は笑いながら言った。五十郎はぐうの音も出ない。いまは
「おっしゃるとおり、おれは依頼代行業者だ。クソでございます」
鈴木はタブレット端末を帽子代わりに胸に当て、お辞儀した。五十郎は長座体前屈みたいなポーズのまま、『鈴木』の出方を
「だが、検便の結果が悪かったら、生活習慣を変えるだろう? それと同じで、クソにはクソの信用があるものでよ。そいつを裏切ったと知れたら、お役御免になっちまう。だから、本当の依頼人を教えてやるわけにはいかねえ……
さりとて、おまえを殺すのもできれば避けたい。襲われたわけじゃあねえから、言い訳が立たねえし……依頼代行業者だと見抜かれたから殺したと知れたら、笑い草のあまりにお役御免になっちまう。
そこで、だ。最初の約束どおり、祇園暗殺の理由は教えてやる。とても詳しくな……それで手打ちにしねえか?」
形勢不利だからめったなことは言えないので、五十郎は代わりに片眉を上げてみせた。鈴木は鼻を鳴らした。
「不満げだな。だがね、祇園暗殺の理由を知りゃあ、おまえは満足すると思うぜ」
「……どういう意味だ?」
鈴木は肩を竦め、揺らした。
「理由を知りゃあ、本当の依頼人が誰かなんて、どうでもよくなるからさ」
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