第4章「『祇園』を暗殺する理由」

第19話「まさにペットだ!」

 ふたりが祇園の部屋に戻ってからほどなくして、


「こんばんは! 晩ご飯、つくりすぎちゃって!」


 お定まりの言い訳をお供に、インターホンを押すこともノックすることもなく、金城が入ってきた。彼女が抱える二段重ねの膳の上では、例によって例のごとく、一汁三菜いちじゅうさんさいが湯気を上げている。

 金城はいつものように、ふたつの膳を向かい合わせに置くと、


「ごゆっくり!」


 と、にこやかに両手の親指を立ててから去っていった。

 横になっていた五十郎は、のそのそと起き上がって膳のまえに座る。まるで囚人のようだ。

 体育座りをして『時間が過ぎるのを待って』いた祇園も寄ってきて、膳のまえに座る。まるで懐いていないペットのようだ。

 料理に舌鼓したづつみを打っていると、金城が黒いカゴと白いカゴを持って戻ってきて、洗面所にあるカゴと入れ替えて帰ってゆく。

 五十郎は思った。


 ……祇園が懐いていないペットのように見えたけれど、よく考えずとも、おれも同じだな? 食事は出してもらっているし、服も洗濯してもらっているし、寝る場所まで用意してもらっている。

 まさにペットだ! 本当に飼われているかのようだ! ちがうのは鑑賞されていない点だけじゃあないか!

 こんなことでいいのか? あらためて自分を客観視すると、さすがに情けないし、恥ずかしい。『七草』になろうって男のありさまじゃあないんじゃあないか?

 だってそうだろ? 仮におれが生きて『七草』になったとして、過去に女性(しかもふたりの!)に飼われていたなんてことが発覚したらどうなる? 『七草』じゃあなく『あな草w』と嘲笑あざわらわれること必至だ。

 どうにかしなくちゃならない。


 五十郎は食事を終え、箸を置いて手を合わせると、立ち上がった。


「ちょっと、金城さんと話してくる」

「なにを?」


 祇園が箸を止め、見上げる。珍しいことであったので、五十郎は日頃、なにを質問してもろくな答えが返ってこないことに対する仕返しをしてやろうと思い、らすことにした。


「なんでもいいだろ」


 できるだけなく言うと、祇園は、


「うん」


 と頷いて、食事を再開した。


「……」


 いいのかよ! クソッ、なにやら不満……!


 十数秒後!


「あら、天堂さん。どうかしましたか?」


 五十郎は金城の部屋の玄関ドアのまえで、彼女と対面していた。


「ええと、その……」


 半ば勢いで来たので、五十郎はなにをどう話すべきか、ちゃんと考えていなかった。緊張もしている。これまでの彼の人生には、若い女性と話す機会などなかったからだ。


「いつもありがとうございます。食事とか……」


 五十郎はとりあえず礼を述べた。すると金城は、驚いたように左手を口に当て、


「やだ、わざわざそれを言いに!? 気にしないでくださいな!」


 右手でなにかをあおぐような仕草をしながら笑って、続けた。


「わたしも助かってるんです、いつもつくりすぎちゃうから! 天堂さんが来てくれたおかげで、『もっとつくりすぎちゃってもいいんだ』って思えるようになったんですよ。普通につくってさえ、たくさんできちゃう料理にも挑戦できるようになったんです! 煮込み料理とか!」


 そもそも、なんでつくりすぎるんだよ!?

 とは言えぬ! 万が一、祇園の言うとおり、習慣で亡くなった家族の分までつくっていたとしたら気まずいからだ。

 五十郎は話題を変えた。


「それに、洗濯までしてもらって……」

「好きなんです、洗濯! 部屋の乱れは心の乱れっていうでしょう? それと同じで、服の汚れは心の汚れ! だから、洗濯してると心が洗われるんです! ふたり分なら二倍の白さ、三人分なら三倍の白さに!」


 そんなに心、汚れてるんですか!?

 とは聞けぬ!


「そ、そうですか……」


 いや、こんなことを聞きにきたわけではない。

 五十郎は自らを叱咤激励し、勇気を振り絞って言った。


「……その、おれにもなにか手伝わせてくれませんか?」


 なにかしら手伝ってさえいれば、飼われていることにはなるまいと考えての申し出であった。愛玩動物ペットは手伝わない!


「えっ? いいんですか?」


 きょとんとする金城に、五十郎は頷いてみせた。


「はい……これから長いこと、お世話になりそうなので」


 そう……きっと、長い時間がかかる。それでも、やると決めたからには……

 と五十郎が決意を新たにしていると、金城は腕を組み、右手の人差し指の背を顎に当て、小首を傾げ、綺麗に整えられた眉を八の字にしてから、困ったように言った。


「そうじゃなくって……鐘音ちゃんはいいんですか?」

「は?」


 五十郎には質問の意味がわからなかった。


「……いいんですかって、なにがですか? あいつは関係ない――」

「えっ? だって天堂さん、鐘音ちゃんとお付き合いしてるんでしょう?」


 五十郎はのけぞった。金城は最初に会ったときからいまに至るまで、祇園と五十郎の関係を誤解したままだったのだ! 五十郎は水気を払う犬みたいに首を振った!


「し、してない! してません!」

「えっ? じゃあ、おふたりはどういう関係なんですか?」

「お、おれとあいつの関係は……」


 五十郎は考える。


 いまさら、兄妹きょうだいや親戚では通るまい。金城さんとは長い付き合いになるだろうから、下手な嘘はいずればれそうだし、そうなったら面倒臭い……

 よし。


「そ、そうですね……し、心中を誓いあった仲……?」


 もちろん、五十郎は心中――もとい相討ちをまぬがれるすべを探すつもりではあるが、これはこれで、まるきり嘘とも言えない。だから少なくとも『下手な嘘』ではないはずだった。

 五十郎は恐る恐る、金城の様子をうかがった。彼女は手を合わせ、目を輝かせていた。


「まあ……! お付き合いなんて段階、とっくに超えていたんですね!? おふたりには死をもってしても分かちがたいきずなが! あたしのお手伝い程度で、どうしてそれがほころびましょうか! 素敵……!」


 ……誤解が深まったような気もしなくはなかったが、金城が納得してくれたようなので、五十郎はよしとした――どうでもよし、と。


「……まあ、そういうことなんで、なにか手伝いをですね……」

「あっ、そうでしたね! ごめんなさい、あたしったら! それじゃ、明日の夕方にお買い物に付き合ってもらってもいいですか? ふふっ、たくさん買えそうです!」


 なにやら楽しそうな金城に別れを告げ、祇園の部屋に戻ると、ちょうど祇園は食事を終え、体育座りになったところだった。

 五十郎が二客の膳を重ねていると(膳の片付けはいつしか五十郎の役割になっていた)、祇園が振り向いて言った。


「わたし、あなたと心中するの?」


 五十郎は膳を落としそうになった。


「き、聞いてたのか?」

「聞こえちゃうんだよね」


 五十郎は忍者の聴覚を忘れていた! 彼でさえ、聞こうと思えば聞ける距離! いわんや『七草』をや!

 祇園が続ける!


「心中って、恋人とか家族がすることじゃないの?」

「国語辞典によれば、そうともかぎらない! それに、あれは言葉のあやで……相討ちを誓った仲とは言えないだろ!」

「それもそっか」


 祇園はそれきり黙って、壁のほうに向いた――つまり、時間が過ぎるのを待ちはじめた。『心中』の件はどうでもよくなったらしい。

 五十郎はなにやら釈然しゃくぜんとしない思いごと膳を抱え、まとめて玄関のまえに置いた……


 翌朝!


「今日も別行動だ」


 五十郎は朝食を終えると、バックパックを背負い、重ねた膳を持って歩きだした。祇園が体育座りのまま、


「そう」


 と返事をする。それで昨日のことが思い出されたので、五十郎は振り返って言った。


「夕方までには戻る。今度は気をつけるから、探さなくていい」


 今日は索敵さくてきおこたるまい――五十郎がそう決意しながらドアノブに手をかけたとき、


「もう大丈夫だと思う」


 と祇園が言った。『思う』という語尾に反し、どこか断定的な、力強い調子だった。


「え?」


 五十郎が再び振り返ると、祇園は付け足した。


けてはくるかもしれないけれど、襲ってはこないと思う」

「……なんで?」

「そういうものだから」


 そういうものとは、どういうものなのか? なぜ祇園にそれがわかるのか?

 謎が謎を呼ぶが、ひとつずつ片づけてゆくしかない。

 五十郎はそう思った。そのための別行動でもある……


 ……一時間後!

 五十郎はひとり、新宿区歌舞伎町の雑居ビルのまえにいた――やはり油断できなかった依頼人、鈴木と四度相見あいまみえるために!

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