第10話「時間より先に」

 芝生広場で一戦まじえ、招かれざる観客たちに散々持てはやされたあと、ふたりは祇園の部屋に戻った。五十郎の提案である。肉体的にも精神的にも疲労困憊窮ひろうこんぱいきわまって、今日はもう祇園に挑戦する気が起きなかったからだ。忍者たる者、休めるときに休まなければならない。


 しかし、戻ったはいいものの、五十郎は気が休まらなかった。

 彼が床に寝転がり、半透明の情報ウインドウを呼び出して、アサニンギルドのデータベースにアクセス、『祇園鐘音 七草』『祇園 七草』『祇園鐘音』などのキーワードで検索するも、なにひとつ情報が表示されず、がっかりしているあいだも……

 インターネットの検索サイトにアクセス、『祇園鐘音 七草』『祇園 七草』『祇園鐘音』などのキーワードで検索するも、『平家物語』の冒頭ばかりが表示され、うんざりしているあいだも……

 後方ではずっと、祇園が壁のほうを向いて体育座りをしていたからだ。まるで、そういうオブジェのようである。

 五十郎はつとめて無視しようとしていたが、さすがに気まずさが付きまとって離れない。

 さりとて、殺そうとしている相手と世間話をするのも変な感じがする。そもそも、相手は見た目こそ少女だが、実際は年上の女性で、おまけに『七草』だ。なにを話せばいいのかもわからない。

 それでも、祇園が体育座りをしはじめて数時間が経ち、すすの向こうの太陽も沈んで、照明器具のない部屋が暗くなってくると、気まずさに耐え兼ねて、


「なあ。ないとは思うが……気をつかってるんだったら、その必要はないからな。ここはおまえの家なんだから、いつもどおりに過ごしてくれ」


 と話しかけざるをえなかった。

 祇園は、


「うん」


 とだけ言った。


「……もしかして、それがいつもどおりなのか?」

「うん」

「……なにか見えるのか?」

「壁が見える」

「……なんで、ずっと壁を見てるんだ?」

「壁を見てるわけじゃない」

「じゃあ、なにを?」

「なにも見てない」


 五十郎は、禅問答みたいになってきたな……といぶかしみながら、なおも尋ねた。


「じゃあ、なにしてるんだよ?」

「時間が過ぎるのを待ってる」

「は?」

「時間なら、いつかわたしを殺せるかもしれないから」


 そのとき五十郎は、目のまえで体育座りをしている少女は『七草』なのだという事実を、改めて思い知らされた感じがした。自分はとんでもない忍者に手を出してしまったのではないだろうか?

 だが、もはや出口はまえにしかない。


「……いや、おまえはおれが殺す――時間より先に」


 五十郎は強がった。祇園は五十郎を見て、言った。


「期待してる」

「こんばんは!」


 そのとき、一条の光が暗い部屋を裂くと見るや、まるでその裂け目から入ってきたかのように、目にも音にも明るい存在があらわれた。

 金城だ!


「晩ご飯、つくりすぎちゃって! よかったら、鐘音ちゃんと食べてくれませんか?」


 金城はそう言いながら、片手に持ったハンディライトを床に置くと、逆の手のひらの上に載せていた二段重ねの膳をひとつずつ、床にえた。『食べてくれませんか?』と言いながら、拒否されるとは思っていないらしい。


「はあ……」


 五十郎は祇園を見た。いつのまにか、膳のまえに正座している。まるで給餌きゅうじにありついた小動物のようだ。


「あっ、食べ終わったら、食器は朝と同じところに置いておいてくださいね! それじゃ、ごゆっくり!」

「あ、はい」


 礼を言うもなく、金城は去っていった。光が去って闇が再来した部屋には、ふたりと、一対の膳の上で湯気をあげる一汁三菜いちじゅうさんさいだけが残された。

 祇園は当然のように食事をはじめた。

 ちょうど空腹を覚えてきた五十郎にとって、この差し入れは渡りに船であったが、違和感はぬぐえない。

 ただの隣人が一日のうちに、朝食のみならず夕食までもきょうするとは、いかなる心算あってのことであろうか?

 そもそも、おかずをつくりすぎることはあるかもしれないが、米を炊きすぎるなどということがあるのか? しかし、サバイバルの経験はあっても、一般的な自炊の経験がない五十郎には、ありえないとも言えぬ。

 いずれにせよ、腹を満たさないわけにはいかないので、五十郎も食事をはじめた……無言で。


 食事を終え、食器を玄関のまえに置くと、五十郎は廊下でひとり、深呼吸をして心を落ち着かせてからリビングに戻り、極めて重要な話を切り出した。


「なあ」

「なに」

「風呂を借りてもいいか?」

「うん」


 重要な話はものの数秒で終わった。五十郎は、緊張していた自分が恥ずかしくなってきた。女性の家で風呂を借りることなどはじめてだし、どこかいかがわしい感じがしたからだ。

 しかし、よくよく考えてみれば、祇園は見た目こそ幼いが実年齢はずっと上だから、こんなことは些末事さまつじなのかもしれない。それはそれで、なにやら悔しいが……

 こんなことを考えながら、五十郎はバックパック片手に、はじめて洗面所に入った。

 案の定、洗面所も浴室も照明はかない。リビングと同じで、ここにもなにもないのだろうと思っていると、意外や意外、カゴがふたつあった。色はそれぞれ黒と白。黒いカゴは空で、白いカゴには数枚の衣服が畳まれた状態で入っている。

 浴室のドアをあけると、一見して清掃が行き届いていることがわかった。祇園が掃除しているのか? 想像できない。カウンターの上には、いかにも高級そうな女性向けのシャンプー、リンス、ボディソープが鎮座している。


「……悪いが、シャンプーとかも借りるぞ」


 洗面所で声をあげると、


「うん」


 と返事があった。

 そのとき、五十郎は凄まじい脱力感を覚えた。


 なんだ、この一連のやりとりは!? おれは誰の家に泊まりにきてるんだ!? ここは、にっくき祇園の家だぞ!?


 どうも妙な塩梅あんばいだと思いながら服を脱ぎ、浴室に入り、シャワーを浴びる。気持ちよいと思う暇もあらばこそ、五十郎は浴室内を観察し、祗園の入浴状況をシミュレーションする。

 しかし、入浴中の祇園を殺せるイメージは湧かなかった。祇園には不意打ちは通用しないということを、この一日で嫌というほど思い知らされた――もとい『学んだ』からだった。

 それとは別に、はからずも浮かんできたものがある。

 それは大理石の彫刻のように無駄がなく、白く、しなやかで、すべすべとしていそうな、それでいて弾む柔らかさを孕んだ、果実の皮みたいな肌……昼間に見た、あの……

 ……五十郎は妙な気分になってきたので、考えごとをやめ、暗がりのなか、髪と体を洗って浴室を出た。シャンプーもボディソープも、花のような妙にいい匂いがした。リンスは使ったことがないので、使わなかった。

 リビングに戻ると、入れ代わりに祇園が洗面所へ消えた。


 ひとりきりになると、五十郎はどっと疲れた感じがして、思わず長い溜息をついてしまった。朝から晩まで他人と一緒に過ごすなど、忍学を卒業して以来、はじめてのことだったからだ。

 祇園があがってくるまでは落ち着いた時間を過ごすことができそうだ――

 そんな五十郎の淡い希望は、すぐに打ち砕かれることになった。

 祇園が戻ってきたからだ。

 しかも、服を着ていない! つまり裸である! 白磁の肌が夜目にもしるく!

 五十郎はのけぞって、後頭部を壁にしたたかに打ちつけた! 右手で後頭部を、左手で両目を押さえながら、


「な、な、な、なにしてんだ!? 戻れ! せめて隠せ!」


 と訴えたが、祇園は、


「昼も見たでしょ」


 どこ吹く風!

 どうやら、祇園には羞恥心しゅうちしんというものがないらしい。くノ一だからだろうか? 五十郎にはわからない。忍学には女子はいなかったからだ。

 五十郎は観念して、自ら視界をさえぎったまま尋ねた。


「……わ、わかった。それで?」

「洗濯物があったら、黒いカゴに入れておいて」


 祇園はそれだけ言うと、洗面所に戻った。ほどなくして、シャワーの音が聞こえてきた。


 ……着てからでいいだろ!!!! 

 

 五十郎は声ならぬ声を上げながらまえのめりに倒れると、祇園がなんとも思っていないふうなのに(というより、間違いなくなんとも思っていないのに)、いちいち思い出したり動揺したりしている自分に嫌気が差し、足をバタバタさせた。


 ターゲットと食事をしたり、服を買いに行ったり……ターゲットに風呂を借りたり、セクハラしたり、されたり……おれはなぜ、こんなことをしているのだろう? 『七草』になるのではなかったのか? いや、そのためにこんなことをしているのだ……


 わかりきった自問自答さえ、せざるをえぬ夜だった。

 それがけ、いよいよやることもなく、日中の連戦の疲れもあって眠くなってきた五十郎は、そこはかとなく嫌な予感を覚えながら、あいかわらず体育座りをしている祇園に尋ねた。


居候いそうろうの身というか……誘拐ゆうかいされた身でこんなことを聞くのも心苦しいんだが、布団はないのか?」

「うん」

「なんでだよ!?」

らないから」

「なんで!?」

「なくても寝れるもの。あなたも寝れるでしょ」

「そ、そりゃそうだが……」


 いつなんどきでも、ところ構わず眠る技術は、忍者のたしなみではある。


「じゃあ、いいじゃない」

「……」


 しかし、それはあくまでも必要に迫られたときのための技術ではないのか。ベッドなり布団なりで寝たほうが、体力の回復には――

 などと五十郎が言いつのろうとしたときには、祇園は体育座りのまま頭を下げ、入眠していた。まるでそういう野生動物のようだ。

 五十郎は部屋の隅で横になると、情報ウインドウを呼び出し、通販で寝袋を買った。


 こうして、あまりにも長い一日が終わりを告げた――いや、一日目が。

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