第9話「それは秘密」

「ホットドッグをふたつ」


 ふたりがセレクトショップを出る頃には昼時になっていたので、五十郎は近くの公園――サッカーグラウンドくらいの広さで、半分は芝生広場になっており、もう半分に遊具や、金網に囲まれたバスケットボールのコートがある――に停まっているキッチンカーで昼食を買おうと提案した。

 祇園は断らなかった。どうでもいいのだろう。五十郎が『さっきのびにおごる』と言ったら、『なんの?』と聞き返されたのと同じように。

 当然、五十郎は祇園に詫びたいわけでも、祇園と公園でランチデートにきょうじたいわけでもない。これもまた、祇園を殺すための策なのだ。

 五十郎はキッチンカーの男性店主からホッドドッグをふたつ受け取ると、一方を祇園に渡しながら、


「さっきからずっと、気になっていることがある」


 と言った。


「なに?」

「おまえ、本当に殺される気があるのか?」


 五十郎はケチャップの赤いボトルを取り、先端をソーセージに向け、なぞるようにケチャップをつけると、ボトルを祇園に渡す。祇園は受け取る。これで祇園の両手はふさがった。


「うん」


 続いて、五十郎はマスタードの黄色いボトルを取り、先端をソーセージ――


「じゃあ、なんでけたり反撃したりするんだ、よッ!」


 ではなく祇園の目に向けると、ボトルを思いっきり握り潰した! 黄色い刺激物が祇園の目を潰すべく、光線のごとくほとばしる! 


 どうだ、マスタードの目潰しは! 勝った! 死ね!


 すかさず五十郎は、ホットドッグとマスタードのボトルを持ったまま右足を後ろに下げ、必殺のときを待った! いかな祇園といえど、目にマスタードが飛散すれば、思わず前傾するにちがいない。

 その瞬間に、顎を蹴り上げてやる!


「体が勝手に動いちゃうんだって」


 五十郎はその声を、前蹴りで鳩尾みぞおちえぐられながら聞いた。


「こんなふうに」


 祇園は蹴り足を戻すと、落ちてきたホットドッグをキャッチし、ケチャップのボトルの先端をソーセージに向け、なぞるようにケチャップをつけてから、ボトルをキッチンカーに返した。ホットドッグにはすでに、マスタードがついていた。

 一体なにが起こったのか?

 五十郎がマスタードビームを発射した瞬間、祇園はホットドッグを真上に投げて盾にしながら、反撃の前蹴りを繰り出したのである。


「ば、ばかな……」


 ホットドッグとマスタードのボトルを持ったまま膝から崩れ落ち、悶絶する五十郎に、


「兄ちゃん、マスタードでやっちゃいけねえよ」


 と声をかけた者があった。見れば、キッチンカーの男性店主である。

 ケチャップならよかったのか? そう思いながら五十郎が耳を傾けると、男性店主はニヤニヤしながら言った。


「いくら彼女の艶姿あですがたが見てえからってよ。目に入ったら痛えなんてもんじゃねえぞ、マスタードは」

「は?」

「黄色いしな。やっぱり、かけるなら練乳なんかがいいんじゃねえか?」


 ややあってから、五十郎は男性店主の言わんとするところに思い当たった!


「ち、ちがう!」


 必死の否定も逆効果! 男性店主はいよいよ面白がっていわく!


「いいってことよ! ソーセージを見てムラムラしちまったんだろう? うちのは太くて長えからな!」

「ひ、卑猥ひわいすぎる!」


 こんな卑猥な野郎が公共の場でホットドッグを販売していていいのか!?


「なにが卑猥なの?」


 と祇園!


「説明させる気か!?」


 いたたまれぬ!

 五十郎はマスタードのボトルを返却すると、右手をキッチンカーの端末にかざして電子決済を済ませ、足早に立ち去ったのだった……


 数分後、ふたりは芝生広場のそばのベンチに座っていた。

 といっても、ぴったり並んで座っているわけではない。ベンチの両端にひとりずつ座っていて、あいだにはひとり分の空白がある。当然、五十郎の提案だ。

 このクソ女と恋人よろしく寄り添って座るなど、我慢ならない。

 祇園は『いいよ』と言った。『どうでもいいよ』の略だろう。


「さっきの話だがな、おかしなところはまだあるぞ」

「卑猥な話?」

「ちがう!」


 五十郎は一拍置いて、自らを落ち着かせるためにホットドッグを噛んだ。米粉こめこパンのもちもちした食感が咀嚼そしゃくうながし、脳を活性化させる……ような気がする。


「……そのまえの話だ。本当に殺されるつもりがあるのなら、なぜ用忍棒ようにんぼうを雇っていた?」


 ちらっと横の祇園をうかがって、五十郎は息を呑んだ。祇園がこちらを見ていたからだ。しかし、その視線は五十郎からはややずれている。追ってみると、彼が持っている齧りかけのホットドッグだった。


「用忍棒?」


 祇園は聞き返しながら、五十郎と同じようにホットドッグを噛んだ。


「とぼけるな。いただろう、『猫遁きゃっとん』の使い手が!」

「あのひとはわたしが雇った用忍棒じゃない」

「……は?」


 それが祇園にとってどうでもいいことであるのは、彼女がホットドッグをめつすがめつしながら答えたことからあきらかであったが、五十郎にとってはそうではない。なにせ、彼が殺した忍者だ。


「じゃあ、誰が雇ったんだよ?」

「知らない」

「あいつは何者なんだ? 名前は?」

「知らない」

「……」


 ホットドッグの残りを口のなかに放り込みながら、五十郎は考える。


 『忍法猫遁』の使い手は、どう見ても祇園を守ろうとしていた。祇園を守らんとする何者かが、祇園の同意を得ないまま勝手に雇った用忍棒なのか? 

 五十郎は祇園を横目で見た。


 ……それにしても、用忍棒が必要なタマか?


 いや、もしかしたら祇園には弱点があるのかもしれない。だからこそ、『猫遁』の使い手が用忍棒としてつかわされたのかもしれない。もしそうだとしたら、やつの雇い主を突き止めることが、祇園を殺す糸口に繋がるかもしれぬ……覚えておこう。


「これでわかったでしょ」


 不意に、祇園が言った。沈思黙考ちんしもっこうしていた五十郎には、なんのことかすぐにはわからぬ。


「……なにが」


 祇園はホットドッグの最後の一口を齧るついでに見えるくらい、どうでもよさそうにいった。


「わたしにはちゃんと、殺される気があるんだって」

「……」


 自ら用忍棒を雇っていないことがその証左しょうさだと言いたいのだろう。

 攻撃されると勝手に体が動いてしまうという主張も、これだけ不意打ちが失敗しつづけると、信憑性しんぴょうせいを帯びてくる。

 そもそも、殺される気なくして、どうしてアサニンたる五十郎を連れ帰り、自由にさせようか。

 してみると、祇園には本当に殺される気があることになる……


「……なんで?」


 五十郎は死んだほうがマシだと思ったことこそあれ、殺される気になど、一回しかなったことはなかった(言うまでもなく、その一回は昨晩だ)。死んだら、すべてが無駄になってしまう。

 だから、疑問が口をいて出た。


「え?」


 祇園が漏らした声は、意想外いそうがいの色を宿していた。五十郎がはじめて聞く声色こわいろであった。


「それは……」


 祇園は虚空を見た。

 五十郎には、隙だらけに見えた。


 五十郎は左踵でベンチの脚を破壊! 同時に体重をかけ、ベンチをシーソーのごとく五十郎のほうへ傾かせる!

 すると祇園は、投石器の石みたいに、ぽーんと空中に投げ出された!

 五十郎は真上を通過する祇園目がけ、立ち上がりながら右の拳を突き上げる!

 祇園は五十郎の右前腕を蹴って三角跳びを決め、これを回避。五十郎のまえにふわりと着地した――思案気しあんげにしたまま。


「ク、クソッ!」


 またしても不意打ちは失敗したが、もはや引っ込みはつかぬ! 五十郎は構え――祇園に真っ向勝負を挑んだ!

 一手! 二手! 三手――四手!

 はじめての四手目だ!

 しかし、そこまでだった。

 祇園が、五十郎の渾身こんしんの右ストレートを半身になってかわしざま、彼の右腕を取り、一本背負いを決めたからである。


 ち、畜生! ……されど四手目!


 五十郎が芝生の上で大の字になったまま、敗北感と屈辱感と、宣言どおり『学んだ』ことによる達成感がないまぜになったどどめ色の感情に襲われていると、近くから歓声と拍手が聞こえた。

 なにかあったのか? と思い、顔を音源に向けると、


演武えんぶってやつか!? はじめて観た!」

「凄かったな!? はやすぎて、ほとんど見えなかったけど!」

「見えそうで見えなかった!」

「パンツの話じゃねえよ!」

「ママ! あの子、かわいい!」

「男の子もかわいいわよ?」

「ゲリラ・マーケティングか!?」

「もしそうだとしたら、商品・サービスがなんであったとしても買ってしまいそうです!」

「青春だな……」


 などと言いながら、拍手しつづけるひとびとがいた。バスケットマンたち、母子おやこ連れ、サラリーマンたち、キッチンカーの男性店主……


 五十郎は赤面した! 彼らには、祇園はただの少女にしか見えないだろう。だから彼らは、大の男がただの少女に負けたと思っているにちがいない!

 このクソ女は、ただの少女じゃないのに! 『七草』なのに!

 五十郎は起き上がろうとしながら腕をぎ、


「ち、散れ! 見世物じゃないぞ!」


 と叫んだ――つもりだったが、背中から芝生に叩きつけられたせいで声は出なかったし、薙いだつもりの腕はダメージによって震えていて、招かれざる観客からは手を振っているように見えたらしい。逆に笑顔で手を振り返される始末だった。


 さ、最悪だ!


 五十郎が落ち込む一方、祇園は歓声も拍手も、衆人環視さえあってなきがごとし。地に伏す五十郎をなんの感慨もなさそうに見おろすと、五十郎の『……なんで?』にようやく回答した。


「……それは秘密」

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