第11話「観ましたよ、動画!」

 翌朝!

 五十郎が目を覚ますと、祇園はすでに起床していた。あいかわらず体育座りをして、壁のほうを見ている。

 五十郎が洗面所で顔を洗いながら、祇園の覚醒に気づかず眠りこけていたおのれを恥じていると、


「おはようございます!」


 場ちがいに明るい声がした。リビングに戻ってみると金城で、二段重ねの膳を抱えている。それぞれの膳の上には、昨夜と同じく一汁三菜いちじゅうさんさい……


「朝ご飯、つくりすぎちゃって! よかったら、鐘音ちゃんと食べてくれませんか?」


 金城は昨晩と同じく、有無を言わさぬ勢いで膳をえはじめる。

 これは五十郎の予想の範疇はんちゅうだった。昨日の祇園の『朝ご飯を持ってきてくれるなら』という発言は、金城が習慣的に朝食を用意している可能性を示唆しさしていたからだ。もっとも、二日連続とは恐れ入ったが……

 しかし、金城が去り際に言ったことは、五十郎の予想どころか、想像の域さえ超越ちょうえつしていた!


「そういえば、天堂さんって凄いんですね!? 観ましたよ、動画!」

「……え? 動画?」


 五十郎は味噌汁をすすりながら、なんのことかと思いを巡らせる。心当たりはまったくない。


「もう、とぼけちゃって! これですよ、これ!」


 すると、金城はスマートフォンを取り出し(いまでもスマートフォンを使うひとはいる。i窓あいまっどは自撮りができないからだ)、指先をすいすい動かしてから、五十郎に画面を見せた。

 五十郎は味噌汁を噴き出した! 祇園はかわした! 金城は「あらあら」と言いながら、布巾で拭いた!

 スマートフォンの画面に映っていたのは、昨日の芝生公園での五十郎の醜態しゅうたい――つまり、祇園が五十郎を四手で倒したときの動画だったからだ! SNSに投稿されたものらしい! すでに結構な再生回数と高評価! 祇園の一本背負いが決まった瞬間はご丁寧にも編集されており、中央には赤く大きな『K.O.』の二文字が躍っている!


「ば、ばかな!? これは一体!?」

「男のひとが撮ってた」


 と祇園!


「おまえ、気づいてたのか!? なんで止めなかったんだよ!?」

「なんでって?」

「なんでって、って……」


 五十郎はそれ以上なにか言うのをやめた。こうなったら最後、なにを言おうが『いいわ(どうでも)』『いいよ(どうでも)』『いいじゃない(どうでも)』の大海に流れ着くに決まっているからだ。

 ちなみに金城は、五十郎と祇園が口論をはじめると見るや、「あらあら! それじゃあ、ごゆっくり! 食器は昨日と同じところに!」と笑って、去っていた。

 五十郎は憤懣ふんまんやるかたない思いを晴らすように、朝食にがっつきながら考える。


 あの動画はなんとしてでもSNSから削除させなければ!

 元のデータも消去させなければならない!

 いやしくもアサニンたる者が、どうして素顔をインターネットにさらしたままにしておけようか! それに、負けっぷりが酷すぎて恥ずかしい!

 クソ……! もうあの公園には行きたくなかったのに……!


 こんなことを考えながらもりもり白米を咀嚼そしゃくしていると、金城が再びやってきた。今度は膳ではなく、黒いカゴと白いカゴを持っている。白いカゴには数枚の衣服が畳まれた状態で入っている。どこかで見たようなカゴだ。


「あっ、お構いなく!」

「はあ……」


 金城は洗面所に入っていき、すぐに出てきた。その手には、洗濯物の入った黒いカゴと、空の白いカゴがあった。金城はそのまま部屋から出ていった。

 五十郎は努めて静かに、味噌汁の椀を膳の上に置いた。


「おかしいだろ!?」

「なにが?」

「なにがって……おまえ、食事の用意も洗濯も金城さんにやらせてるのか!?」

「ご飯は『つくりすぎちゃった』って言って持ってくる」

「毎食つくりすぎるわけないだろ!?」

「習慣なんじゃない」

「どういう習慣だよ!?」

「死んだ家族の分もつくっちゃうとか」

「え……? ……亡くなってるのか? ご家族……」

「さあ」

「……」

「……じゃあ、洗濯は?」

「好きなんだって」

「……」


 五十郎はさすがに申し訳なく思った。さりとて、居候いそうろうにすぎない五十郎が金城の厚意を無下むげにするのは、筋がちがう……どうしたものか。


 ……まあ、いいか。


 五十郎はそう思い直し、食事を再開した。彼には、この奇妙な居候を長くつづけるつもりはないからだ――『つもり』は。


 数時間後! つまり、昨日と同じくらいの時刻に、五十郎は祇園と例の芝生広場を再訪していた!


「撮ってたやつはいるか?」

「見える範囲にはいない」


 ふたりはホットドッグをかじりながら、辺りを見回す(ホットドッグは、キッチンカーのまえを通ったときに、例の卑猥ひわいな男性店主から『昨日、いいものを見せてもらった礼だ』と押しつけられた)。

 しかし、昨日と比べて妙に利用者が多いことが、背の低い祇園にひとりひとりの顔を見定めさせる作業を困難にしていた。

 五十郎は溜め息をつき、ホットドッグを口のなかに押し込むと、芝生広場の中央へと歩きだした。祇園も、餌を食べる小動物のように一定のリズムで小刻みに口を動かしてホットドッグを食べながら、ついていく。


「しかたないな……」

「諦めるの?」

「まさかだろ。できれば、もう二度とここではやりたくなかったが……」


 肩を落とし、腰に両手を当てながら歩いていた五十郎は、右足を支点に半回転すると、祇園に向かい合い――構えた。祇園は立ち止まり、両の手のひらでホットドッグを口のなかに押し込んだ。

 祇園は構えはせず、問う。


「もう不意打ちはいいの?」

「もういい。これからは正々堂々戦って、その果てにおまえを殺す」

「そう」


 かくしていくさがはじまった!

 ――そして終わった! 今回の手数は双方五手! 勝者は祇園であった。

 しかし今回に限って、五十郎のターゲットは祇園だけではなかった。


「い、いるか……!?」


 五十郎はまたしても芝生のうえに大の字になりながら、祇園を見上げて尋ねた。祇園は白く細い右腕をもたげ、人差し指で一点を示した。その先を見ると、ひとりの男性がびくっとして、悪戯いたずらがばれた子どものような顔をしていた。その手には、横向きにされたスマートフォンがあった。


「おまえか……!」


 五十郎はあえて芝生広場で戦うことで、盗撮者をおびきだしたのである! ネックスプリングで起き上がると、盗撮者にずんずん迫ってその胸倉を掴み、


「おまえ、よくも勝手にこのおれを撮ったうえ、晒し者にしてくれたな!? さっさと動画を削除しろ! 元のデータも消すんだ、いまここで、いますぐに! さもなけりゃあ、おまえを晒すぞ! ネットにじゃあない……野にだ! 知ってるか? 野晒し、その意味を! ああ!?」


 と凄んだ! 忍者アサシンの脅迫だ! 祇園ならいざ知らず、忍者ならぬひとの身に耐えられるものではない! 


「わ、わかった! 勝手に撮ってアップして、悪かった! 謝るよ! すみませんでした!」


 盗撮者は涙ながらに首を振り振り、謝罪した――が、


「で、でも……」


 なにか言いたげに逆説の接続詞を付け足した。


「なにが『でも』だ!? ヘチマはないぞ!?」

「い、いや、ほかにも撮ってるやつがいるって教えようとしただけですぅ!」

「……え?」


 五十郎は盗撮者を解放し、周囲を見た。そのときはじめて、五十郎は気づいた……芝生広場にひとだかりができていることに! 彼らのなかには、スマートフォンを構えている者たちもいることに! その中心に、五十郎と祇園がいることに!

 なんたることか、昨日に比べて妙に多かった利用客はみな、動画を観て、ふたりを目当てにやってきた者たちだったのだ! いまはみな、五十郎の剣幕に恐れ入って棒立ちになっているが、何人かは先の戦を撮っているにちがいない!


「ど、どいつもこいつも――――――!」


 一難去ってまた一難だ! しかも今度は人数が多い! ひとりひとり脅迫して回らなければならないのか!? すでにスマートフォンをしまっている者もいるかもしれぬ!

 そのとき!


「いいんじゃない」


 と祇園が言った。五十郎はかっとなって、叫んだ。


「また『どうでも』か!? おまえがどうでもよくても、おれはそうじゃないんだよ!」


 祇園はいつもと同じように柳に風と受け流しながら、しかしいつもとはちがうことを言った。


「そうじゃなくって」

「……なに?」

「わたしたちの動きをいろんな角度から見れるから」

「……」


 思いがけず、祇園が『どうでも』と続けなかったことが、五十郎から毒気を抜いた。

 五十郎はちょっと落ち着いて、祇園のいつもと同じように端折はしょりすぎている発言を吟味ぎんみした。


 ……なるほど確かに、様々な角度から撮った動画があればあるほど、戦後の検討ははかどろう。自分の課題や、祇園の癖――そんなものがあればだが――も見つけやすくなるだろう。そうしたら、よりはやく祇園を殺す最後の一手に辿り着けるかもしれない。

 しかし、動画のアップロードだけは許せない。恥ずかしいこともあるにはあるが、それ以上に、用忍棒斡旋所の用忍坊ようにんぼうが動画を視聴し、自分の殺しの技を分析しでもしたら、商売上がったりになりかねないからだ。


 こんなことを考えて、五十郎が葛藤かっとうしているあいだに、祇園は芝生広場の中央――つまり、五十郎と祇園を取り巻く人垣の中央に歩み出ていた。

 祇園は観衆に向かって、スピーチするように言った。


「そういうわけだから、みんな、わたしたちを撮ってもいい。その代わり、撮った動画はちょうだい」


 ざわめきが生じる。それを制するように、祇園は右手の人差し指を立てると薄い唇にあて、小首を傾げてみせた。ざわめきは潮の引くようにしずまった。

 五十郎だけがわかっている。

 これは『忍法五車ごしゃの術』だ。


「ただ、わたし、命を狙われてるから」


 どよめきが生じる。今度は制することなく放置して、祇園はつぼみのひらくようにゆっくりと、唇をひらいた。たちまち、無数の口が閉じた。


「ここにいることがばれちゃったら、もう来れなくなっちゃうから。だからみんな、動画のアップロードはしないでね」


 そして祇園は、五十郎を見た。もはや五十郎に否やはなく、


「……撮影した動画は、個人的に又は家庭内そのこれに準ずる限られた範囲内において使用してください」


 ただ、そう締めくくった。


 見事な情報収集であった。まさに忍者の仕事である。労せずして戦後の検討のための動画を得つつ、違法アップロードの芽を摘んだのだ。五十郎も、今度ばかりは素直に祇園に感心したし、少しは感謝しなければならないと思ったし、祇園はなにもかもがどうでもいいわけでもないんだなと反省した。

 だが、それは早計というものだった。

 祇園が観客のひとりの、


「あの、撮った動画はあなたに送ればいいんでしょうか?」


 という質問に対し、五十郎を指差して、


「彼に送って」


 と言ったからだ。


「なんでそうなる!? おまえが言い出しっぺだろ!?」


 五十郎は拒否反応を示した! 連絡先の交換など、依頼人としかしたことがないからだ! こんな不特定多数の男女(そう! 女性もいるのだ!)と仕事以外の理由で連絡先を交換するなど、未知でしかない!

 しかし、祇園の答えは残酷ざんこくにして無慈悲むじひであった。


「わたし、持ってないもの」


 祇園は携帯情報端末を持っていないのであった。


 しかたがないので、五十郎は渋々i窓にkypeけわいぷをインストールし、その場にいた者たち全員を『友達』に登録して、撮った動画を送ってもらった(五十郎は『友達!?』と思った)。

 それから、『はじまりの盗撮者』を呼んで、彼がSNSにアップロードした、昨日の動画の削除に立ち会おうとした。

 『立ち会おうとした』というのは、実際のところ、立ち会う必要がなくなっていたからだった。『はじまりの盗撮者』は、彼がアップロードした動画を削除すべくSNSにアクセスすると、不思議そうに言った。


「あれ……? 削除されてら」

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