第10話 家族会議をしてみたい


「こちら、本日のメインディッシュの仔牛のステーキです。ソースは北アヴェイル地方の赤ワインを使っております」

「まあ、素敵……」


 しゃちほこばった仕草で、ヘレックが皿をリンナの前に置く。


 適度な広さの食堂には、リンナを含めて五人のみ。薄暗い部屋に間接照明が配置され、どこからともなく優雅な弦楽器の音色が流れてくるムーディーな空間である。

(なんだか、思ったよりちゃんとしている……)


 正直、もともと城にいるのが四人のみという時点で、リンナはもう少し気楽な夕食の席を想像していた。そのうえ、ヘレックが警備と食事の支度を兼任し、専属の料理人はいないと聞いていたのだ。見慣れた家庭料理が並んでいると思っていたが、これは予想外である。


 視界の端では、飲み物のボトルを構えたリピテが粛然とした態度で立っている。思っていたよりもディナーだ。セラクタルタ邸の普段の夕食より余程かしこまっている。



 ただ、ひとつだけ気になる点があった。指摘すまいと思いながら、リンナは違和感を押し殺して平然と振る舞う。


「……ヘレック?」

 躊躇いがちに、アルラスが小さな声でヘレックの方を振り返った。「はい、何でしょう旦那様」と声を潜めてヘレックが屈むが、会話はまあまあ丸聞こえである。


「そんなに気合いを入れずに、普段通りの食事で良いと言わなかったか?」

「いえ、しかし……せっかく奥方様がいらしたんですし、せめて最初だけでも、と」

 どうやら今日は特別仕様らしい。毎日フルコースで夕食が出てくる訳ではなさそうだ。


「まあそれは良いとして」とアルラスが頷く。口元を手で隠し、彼は心底怪訝そうに囁いた。


「メインディッシュと名乗るなら、一番最初に出してきちゃ駄目だろう」

 ズバリと突っ込んで良かったのか? リンナは恐る恐るヘレックの顔色を窺った。


 リピテとヘレックの口から、矢継ぎ早に「ばれた」「まずい」と声があがる。二秒ほど動揺してから、ヘレックは嘘くさい咳払いをした。それから、いかにも気障なふうを装って表情を作る。


「せっかく奥方様がいらしたんですし、せめて最初だけでも、と」

「本当の本当に『最初だけ』取り繕おうとしていたんだな」

「流石は旦那様、ご名答……」

 あとは全部、大した名前のついていない料理です、とヘレックが打ちひしがれた様子で項垂れる。




 ぱちん、と壁のスイッチにリピテが触れると、頭上の照明が点灯した。一瞬目がくらむが、食堂が一般的な明るさになっただけだ。リピテはさっさと間接照明の数々を回収して部屋の隅に集めている。

 何事もなかったかのように、食卓の上に皿が並べられてゆくのを眺めながら、リンナは大きく頷いた。

 どうやらこちらが日常風景らしい。



 ヘレックが大きなお盆を持って厨房から出てくる。器になみなみと注がれたスープが湯気を立てており、スパイスの利いた香りが漂ってきた。

 目が合うと、ヘレックがにこりと微笑む。


「こちら、『わくわく洋裁ハウス駅前店のオーナー謹製おいしいスープ』です」

「まあ、地元に根ざしたご当地の料理なんですね」

「いえ、オーナーが旅行先で飲んでおいしかったスープを再現したレシピだそうです」

「じゃあご当地は関係ないか……」

 腕を組んでしまったリンナを見て、向かいのアルラスは愉快そうである。リンナが反応に困っているさまが面白いらしい。


「名のない料理を無理やり紹介しなくていいんだぞ」

「いえ、本日はすべての品をご紹介させて頂きます」

 それから、『商店街の老舗パン屋の絶品バゲット』『レタスとその他の葉っぱをちぎったの~お手製ドレッシングがけ~』などいくつかの品々が並べられる。


 ヘレックがあんまり真剣な顔をしているので、彼が堂々とふざけていると気づくのに時間がかかってしまった。


 見ればリピテは終始くすくすと笑いを堪えきれない様子だし、ロガスの口角も上がったまま戻らない。

「さて、夕食にするか」とアルラスが合図をすると、一緒の食卓についた全員がカトラリーを手に取った。



 自分で「腕前は確か」と言うだけあって、ヘレックの料理はなかなか素晴らしいものだった。素人の域を超えている。


 素直にそう伝えると、ヘレックは顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。耳まで赤くして恐縮する同僚を見てリピテがころころと笑う。


「おこがましいとは思うんですが、わたし、こうして皆さんで揃って食事を取っていると、何だか実家にいた頃を思い出して楽しくなるんです」

 リピテは開けっぴろげな笑顔で一同を見回した。


 リンナもつられて笑顔になる。

「ご家族は仲がよろしいの?」

「はい! 今はちょっと、不景気の煽りで実家の会社が倒産しちゃって一家離散なんですが」

「えっ、事情が重い……」

 あまり笑って聞けない身の上話が飛び出して、リンナは絶句した。


 必死に言葉を選ぶリンナに、ヘレックが目配せをする。

「奥方様、これリピテの持ちネタなんですよ」

 瞬間、リンナ以外の全員が一斉に笑い出すので、リンナは憤慨して唇を尖らせた。


「なに、つまりさっきのは嘘なんですか?」

「いえ、一家離散は本当です」

 ぱち、と片目をつぶられて、リンナはすっかり脱力してしまった。



 ***


 部屋に案内すると言われて、廊下をもう随分歩いた気がする。

「君の部屋だが、元々は俺の叔母が降嫁するまで使っていた部屋でな、客室として使っている時期もあった。二百年以上前とはいえ、王女が使っていた部屋だ、不足はあるまい」

 言いながら、アルラスは奥の扉を開けた。入るよう合図されて、おずおずと足を踏み入れる。

「わ、本当に広い……」

 広々とした一室を見回して、リンナは目を丸くした。


 全体的にクラシカルな印象の部屋だが、決して古めかしい訳ではない。現代的な照明や通信機器が取り付けられているし、どうやら冷暖房も完備されている。


「家具なんかは、状態がいいものは当時のものをそのまま使っている。貴重なものもあるから、あまり乱暴に扱わないでくれよ」

「私が室内で鉄球でも振り回すと思ってます?」

「まあ君に家具を壊すほどの腕力があるようには見えないが、一応な」

 それはそれで舐められているようで不服である。


 部屋に入って正面、高い位置に大きな窓があり、そのすぐ下に、壁に向き合う形で広い机がある。夜更けとあって今は幕が下ろされているが、昼間にはさぞかし明るくなることだろう。

 机の脇、日光が当たらない位置には背の低い本棚が置かれ、大きくはないがキャスター付きのワゴンまで添えられている。

 椅子も作業にちょうど良い大きさで、悔しいが色々と理想的な作業空間であった。


「文具や資料など、必要なものがあったら何でも言いなさい」

「じゃあ文鎮に使うので、でっかい金の延べ棒が欲しいです」

 無言で脳天に手刀が落ちて、リンナは首を竦めた。



 改めて室内を見回すと、続きにもう一部屋ある。覗きに行ってみれば、これまただだっ広い寝室である。

「このベッド、そこらの草原ぐらい広いですよ」

「どんなに君の寝相が悪くても落下するのは至難の業だろう」

 布団に手を当ててみるが、ふかふかと柔らかくて申し分ない。正直この半分の幅でも十分なくらいに大きなベッドである。寝ようと思えば横に三、四人は寝れそうな……。


 と、そこでリンナは「ん?」と眉をひそめてアルラスを振り返った。

「まさか閣下もここで寝るから、こんなに広いんですか?」

「違うが」

 即答されて、リンナはすぐさま胸を撫で下ろした。どう考えても同衾なんて嫌である。


「俺の部屋は、ここの一つ上の階の、反対側の角部屋だ」

 アルラスは顔を上げ、部屋のある方向を指さした。

「それだけ離れていれば、閣下の大音量いびきも聞こえなくて安心だわ」

「君の強烈な歯ぎしりも聞こえてこないから、俺もさぞかし安眠できるだろうよ」

 一瞬、互いに睨み合う。が、ここでやり合っても不毛だとすぐ判断して、リンナはさっさと矛先を下ろした。



 用は済んだとばかりに、アルラスがさっさと部屋を出ていく。扉を開けたところで振り返り、こちらに指をさした。


「じゃあ、疲れているだろうから今夜はちゃんと寝るように。ヘレックなんかには、一緒の部屋で寝泊まりしていると誤魔化しておくから――」


「おや、一緒の部屋で寝泊まりなさらないのですか?」

 いつものようにアルラスが口やかましく言いかけたところで、穏やかな声が割って入った。

「うわ!」とアルラスが珍しく情けない声を上げる。


 湯気の立つカップをおぼんに三つ乗せて、ロガスがにこにこと立っていた。

「ぜひ、お二人の馴れ初めを聞かせていただきたく存じまして」




 ***


 城の裏手は森である。広大な農地が広がるセラクタルタ領で育ったリンナには、フクロウの声が物珍しく思えた。

 これで暖炉の火でもついていれば雰囲気も完璧なのだが、このレイテーク城では冷暖房は魔術によって管理されているらしい。暖炉はもう何十年も使用していないそうだ。


 リンナがアルラスの私室をのんびりと観察する一方で、隣では緊迫した会話が繰り広げられていた。


「そのだな、今回は仕事で外出したんだ」

「なるほど」

「それで、出会ったのが、彼女だ」

「つまり、つい数日前までは面識もなかったということですか?」

「そうだ。いや……あった」


 ここまでぎこちないアルラスは初めて見た。ほかほかと温かい蜂蜜酒を口に運びながら、リンナは目だけで二人を見比べる。どういう関係なんだろう? ただの雇用関係にしては仲が良さそうだ。


 長椅子に深く腰かけたまま、リンナは向かいに座っている執事を観察した。


 ロガスは、穏やかながら茶目っ気のある好々爺といった雰囲気で、アルラスが一体なにをそんなに怯えているのか分からない。


(実は、とっても怖い人とか?)

 しかし、ロガスの口調に尖ったところは一切ない。人の弱みを握って相手を強請るような人にも思えない。


「おふたりは、どういった馴れ初めで?」

「は……恥ずかしいから、答えたくない」

 アルラスはきっちりと腕を組んで、断固として答えない姿勢である。リンナもそれに乗じて、「プライベートのことなので」と強弁する。


「うーん……」とロガスはのんびりと首を傾げた。怪しんでいる様子に、リンナとアルラスは慌てて距離を詰めてぴったりとくっついた。

(下手に怪しまれたら、閣下の秘密がバレちゃうかもしれないものね)


 そう思ってアルラスを見上げると、彼は何やら冷や汗をかいている。この焦りようはただごとではない。自分には分からないが、よほどの難敵なのだろう。否が応でも身が引きしまる。



「そうだ、挙式はいつごろになさいますか?」

「えーと……」

「来年! 来年くらいに挙げる予定です。ねっ」

「そうだ。来年やる」

 二人揃って大きく頷くと、ロガスは皺の刻まれた顔をさらにくしゃくしゃにして笑った。


「なるほど、それでは早めに準備をしなければなりませんね。招待客の候補としてリストを作っておきますので、二、三日ほど頂いてもよろしいでしょうか? 会場も、今のうちにいくつか押さえておきましょう」


 えっ、あの、とアルラスとリンナは口々に呟く。ロガスのやる気ときたら、放っておけば司会進行の原稿まで作りそうな勢いである。


「そこまでしなくても良い」とアルラスが苦し紛れに声をかけるが、ロガスは「とんでもない!」と目を剥いた。


「旦那様はよくても、奥方様にとっては人生で数少ない晴れの日なのですよ」

「いえ、私も適当でいいです! 何なら式を挙げなくてもいいくらい」

 ロガスが、むっと眉根をよせた。「そのようなことを」と窘めるような口調で言いかけ、考え直したのかため息をつく。


 貝のようにむっつりと黙り込んでしまったアルラスを見て、ロガスは目元をゆるめた。困った子どもを見るような、愛情のこもった苦笑にも思えた。それがアルラスにとってはますます居心地が悪いようで、さっきから隣で彼は小さくなる一方だ。



「古い考えかもしれませんが、婚姻というものは、少なからず家と家の繋がりを結ぶという側面があると私は思っております」

 年上の薫陶だろうか、と瞬きをしたリンナの目の先で、ロガスは一切の予備動作なくさらりと言い放った。


「ですから私も、息子として、父の新たな伴侶にきちんとご挨拶しとうございます」


 何かを察知したのか、アルラスが素早くリンナの手からカップを取り上げた。直後、リンナは勢いよく立ち上がる。


「むすこ……?」


 礼儀を気にする余裕もなく、ロガスを指さしてアルラスを見た。彼はいったん眉間を揉んでから、「俺の息子だ」と疲れ果てた顔でロガスを示す。リンナは絶句したまま座り直した。


 言いたいことがありすぎて、咄嗟に言葉が出てこない。やっとこさ、間の抜けた一言を放つ。

「祖父くらいの年齢の連れ子がいるとは、私、聞いていないんですが……」

「言っていないからな」


 しれっと答えてはいるが、アルラスはこの数分で疲れ果てているようだ。彼は腕を組んだまま、深々とため息をついた。


 息を吐ききったのち、アルラスは顔を上げてロガスを見た。しっかりした目つきになって厳しく告げる。

「ロガス、彼女をからかうのも大概にしなさい」

「おや、バレてしまいましたか」

 ほほ、と白々しく口元に手を当てて笑うと、ロガスは改めてリンナに向き直る。


 膝の上に手を置き、背筋を正してこちらを見る。

「驚かせてしまって申し訳ありません。父に良い人が現れたら絶対にやってやろうと小さな頃から決めていた、六十年仕込みのジョークなんです」

「ず……ずいぶん長いこと温めておられたんですね」


 答えつつ、リンナは素早くロガスとアルラスの両者を見比べた。この二人が、親子?


 アルラスは不老不死だと頭では分かっていても、咄嗟に理解ができなかった。この初老の執事が、アルラスの、息子?


「今となっては、親子どころか、孫と祖父にだって見えますよね」とロガスが苦笑混じりに頷く。

 見れば見るほど奇妙である。アルラスはどう見たってまだ若い青年なのに、もう白髪混じりのロガスを育て上げたというのだ。

(なんだか頭が痛くなってきた……)


 こめかみに手を当てながら、リンナは呻く。

 そうなると、自然と浮かび上がってくる存在がある。つまり、ロガスには母親がいるはずだという点で……


「言っておくが、ロガスは養子だぞ」

 また余計なことを考えているんだろう、とアルラスが腕を組んだ。

「よ……養子?」

 リンナは目を丸くしてロガスを振り返る。「はい、訳あって」と当然のように頷かれ、リンナは思わず胸を撫で下ろした。


 アルラスは身動ぎすると、ひじ掛けに頬杖をついて足を組んだ。くつろいだ姿勢で、ひらりと片手でロガスを指し示す。


「要するに、ロガスは俺にかかった呪いのことを知っているという話だ。だから、ロガスの前では無理に夫婦関係を装う必要はない」

「む? その仰りようでは、まるでお二人がご夫婦ではないような言い方ですね」

「なに、役所に書類は出したぞ。夫婦だ」



 アルラスが肩を竦めると、「嘆かわしい」とロガスは額を押さえた。

「せっかく良い人に巡り会えたのかと思ったのに……」

「悪いな、俺はこの先まともな形で妻を迎える気はない」


 よよよ、とロガスが涙を拭うふりをする。アルラスは平気の平左で腕を組み、堂々たる態度である。

 親しげな二人の様子を眺めるうちに、リンナは自然と微笑んでいた。


 すとんと得心がいく。この二人は、間違いなく親子なのだ。

 小さなロガスと目線を合わせるアルラスの姿が目に浮かんだ。やわらかい子どもの手のひらを握って笑っている、今と変わらないアルラスの姿が。


(このひと、本当に不死なんだわ)

 瞬く間に傷がふさがった、あの一瞬のことを思い出す。無理して笑ったみたいな、こちらを窺うみたいな、怯えた目をしていた。


(そのくせ、ちょっと優しすぎるのね)

 初老になった息子を見る眼差しに、愛おしさが溢れている。ロガスが何か言うたびに、アルラスが体を揺らして笑う。



 リンナはぬるくなった蜂蜜酒を一気に煽ると、机の上にカップを戻した。もう、と明るい声を出して身を乗り出す。


「息子がいるなんて言うから、私てっきり、前にも奥さんがいたんだと思っちゃいましたよ」


「ん? 以前に妻はいたぞ」


「そうですよね、どう見ても初婚……前妻がいた!?」


 頷いて返事をしかけて、リンナは弾かれようにアルラスを振り返った。

 心臓がいやな跳ね方をして、血の気が引く。そんなリンナの心中にも気付かず、アルラスは平然と水差しを取り上げながら答えた。


「そりゃ妻の一人くらいいるだろう、これでも王子だったんだぞ。あの頃は今と時代も違うし、十九のときには結婚していた」

「え、いやでも、そんなこと一言も……」


 動揺を隠しきれないリンナに、彼はひょいと片眉を上げる。

「政治的な力関係で選ばれた相手だ。当時俺は軍の駐屯地を転々としていたし、一緒に住んでいた期間もほとんどない」


 案ずるな、と合図をされて、リンナは鼻白んだ。別にアルラスに妻がいようがいまいが、自分には関係ない……はずだ。

 それなのに、釈然としないのはどうしてだろう。


 目を伏せるリンナを一瞥して、ロガスは目を眇めた。

「前の奥方様の話は、初めて聞きました」


 非難まじりの口調に、アルラスはようやくリンナの顔色に目を留める。書類上の妻が暗い表情をしているのに気付いて、困ったように頭を掻く。

「もっと早く言うべきだったな、悪かった」


 いえ、と首を横に振って、リンナはアルラスに視線を向けた。

「前の奥様は、どんな人だったんです?」

「二百年も前のことだからな……正直ほとんど覚えていないんだ。俺の体が『これ』になってから、色々とごたついていたのもあって、いつのまにか愛想を尽かして出て行ってしまったみたいで」

「うわ、目に浮かぶ……」


 リンナは思わず口を覆った。

 当時の状況は分からないが、仕事や多忙を言い訳にしてちっとも家庭を顧みないアルラスの姿は容易に想像がつく。


「名前がな、たしか、えーと……」

 あれ、まずい、とアルラスが焦り顔になる。しばらく中空を睨みつけてから、彼は姿勢を正して結論づけた。

「……名前は咄嗟に出てこないが、顔は結構好みだった覚えがある」


 毅然と言い切ったアルラスをじろりと睨んで、リンナは鼻を鳴らす。二百年前の政略結婚とはいえ、ひどい扱いである。



「閣下って、女の人にほんとうに優しくないというか、扱いが下手というか……。モテ自慢をする割に女慣れしてない感じ。いわゆる女嫌いってやつなんですか?」


 聞こえよがしにため息をつくと、アルラスは無言で勢いよく水を煽った。手の甲で口を拭いながら、苦々しい口調で呻く。

「そんなことはないが……」


 それから彼は窓に顔を向け、「俺があえて近づかないようにしているのはある」と言い淀んだ。


 意味深な一言だ。リンナとロガスはきょとんとして顔を見合わせた。


「以前の妻のことを少しも覚えていないのも、そのせいだと思う。彼女が出て行った理由にも推測はつく。俺が徹底的に関係を断ったからだ」


 月の出ない夜に、窓の外はあかりひとつない。暖かい色をした照明が部屋の端々に置かれ、遠くで柱時計の振り子の音が規則正しく繰り返されている。

「例えば、俺がだれか女性と親しい仲になったとして、相手が俺に望むかもしれないものを、俺は叶えてやれない」


 低い声で呟き、アルラスはしばらく石像のように沈黙していた。

 伏せられた瞼が、ぴくりと震える。


「万が一俺に、子どもができたら――恐らくその子には、俺にかかった不死の呪いが遺伝する」


 さざ波の立つ水面のように静かな声だった。リンナは息もできずにアルラスの横顔を見つめていた。


「そんな子どもが生まれたら、俺みたいのが増えるだけだ。し、呪いのかかった子を身ごもれば母体にどんな影響があるか分からない」


 当然のように語りながら、その眼差しには隠しきれない寂しさが浮かんでいた。


 こちらに話す体を取っているのに、彼はまるで自分に言い聞かせているみたいだった。


「だから、俺はひとりで生きていかなきゃならない」

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