第11話 いつかあなたの思い出になる 前編



「奥方様と」

「旦那様って」


 書庫をこっそり覗き込みながら、リピテとヘレックは顔を見合わせた。

「本当に仲良しよねぇ……」



 若くて見た目もいい、金もあるのに、浮いた話のひとつもない。そんな当主に、リピテとヘレックはこの一年あまり、ずっとやきもきしていた。

 それが、いきなり小旅行に行ってきたと思ったら結婚して帰ってきたのだ。

 快活で気さくで可愛い幼妻である。


 このレイテーク城に新たな住人が加わってから、もうじき二ヶ月ほどが経つ。



「何の用事だ」

 気配を察知したのか、アルラスの声が飛んでくる。訝しんでいるのか、その口調は厳しい。


「いえ!」とリピテが首を振った。

「ずいぶん根を詰めてらっしゃるので、軽食などはいかがかと思って……」

「必要ない。気遣いありがとう」

 アルラスは心持ち口角を上げて頷くと、そのまま視線をリンナの持つ資料に戻してしまった。


「奥方様が来てから改めて思ったんですけど、わたしたち、旦那様から距離置かれてますよねぇ……」

 ぱたん、と書庫の扉を閉じて、リピテが唇を尖らせる。

 あまりはっきりと否定することもできず、ヘレックは曖昧に「まあ、そうかも……」と目を逸らした。



「ヘレックさんは、ここに来る前は魔術研で研究をなさってたんですよね? いつもおふたりが何を話されているのか、分かる?」

「いや、全然……そもそもあの二人、僕たちが近づくと黙っちゃうし」

「や、やっぱり!? 私もそんな気がしてて」


 リピテが勢いよく頷いて、こちらを見上げる。と思ったら、すぐに萎れたように項垂れてしまった。


「とはいえ、きっと二人のお話を聞いても、わたしにはちっとも理解できないんでしょうけどね……」

 眉を下げる同僚を見ながら、ヘレックは腕を組んだ。何気ないような口調で切り出す。


「リピテちゃん、確か都にあるアールヴェリ大学の学生さんだよね?」

「はい。今はちょっと休学して、出稼ぎ中です……」

 肩を落として答えたリピテに、ヘレックはそっと耳打ちする。


「少し前に、奥方様のお名前に何だか聞き覚えがあると思って、申し訳ないと思いながらも調べてみたんだ」

 人差し指を立てて、書いてあった情報を思い出す。


「エディリンナ・セラクタルタ。飛び級で入ったアールヴェリ大学を首席卒業。同大学の研究院に進んで、卒業してからも凄まじいペースで論文を出している。そんで評価も高い」

「それって、奥方様……とってもすごい方じゃないですか!?」

 驚愕するリピテを眺めて、こんなに人の目は丸くなるものなのかと少し感心する。


「旦那様もさ、俺と大して変わらない歳だろうに、自分でこの城のシステムを構築したって」

 俺なんかとは能力がまるで違うんだよ、とへレックはぼやいた。「そんなこと」とリピテは声を上げかけたが、同じような劣等感には覚えがあったのだろう、口を噤んでしまう。


 ヘレックはくるりと体を反転させ、夫妻が話し込んでいる書庫に背を向けた。

「あーあ」と聞こえよがしに呟くと、リピテがぱたぱたと足音をさせてついてくる。何かあったのか、と視線で問われて、ヘレックはため息をついた。


「僕、あと半年くらいで雇用契約が満了なんだ」

「あ、そっか……ヘレックさん、わたしより早くここに来たんですものね」

 ヘレックは力なく頷いた。暦を半年分めくっては、近づきつつある満了の日を確認する毎日である。


「……もしかしたらさ、契約が終わっても、ここに置いてもらえないかって心のどこかで期待してたんだ」

 リピテが、ふと口を噤んだ。


 お互いの境遇は、やや似ている。

 リピテは苦学生で、学費が払えず退学を考えていたところを、アルラスに拾われたという。

 ヘレックも似たようなものだった。学校を卒業して研究所に入ったものの、自分のやりたいことで成果が上げられずにいた。そんな中、アルラスに声をかけられたのだ。うちの城を実験台にしてみないか、と。


 アルラスは、身を置く場所を見つけられない自分たちに、居場所を与えてくれた。


「僕、ここに来て良かったって心底思ってるよ。旦那様のことが好きだし、勉強になることもたくさんあった」

「わたしもそうです。でも、」

 二人は廊下の中ほどで立ち止まり、無言で視線を合わせた。



 この城での雇用期間は、最大で二年間。

 雇用期間を延長することは原則ない。

 契約が切れたら、この城へは一切立ち入ってはならず、あらゆる手段での連絡を禁じられる。



「奥方様みたいに、本当に優秀な人じゃなきゃ、この城には置いてもらえないのかな……」

 リピテの声は沈んでいた。ヘレックも思わず視線を落としてしまう。

 自分がもっと優秀で、アルラスの話にも難なくついていけるような人間だったら、この城にずっといられたんだろうか?



「おやおや、若人ふたりで項垂れて、どうしたんです」


 前方からふらりと現れた執事に、二人は顔を上げた。ロガスは小脇に封筒を抱えて、届いた郵便物をアルラスに渡しに行くところのようだ。


 微笑んで首を傾げる執事に向かって、リピテが「ロガスさぁん」と甘え声をあげた。

「旦那様になんとか言って、わたしたちの契約を延長してもらえるようにしてください」

「ははは、無理ですね」

「全く検討しなかった、一秒も考えなかったよこの人!」

「ロガスさんばっかりこのお城でずっと働いてて、ずるいです」


 ロガスは口を閉じて微笑んだ。

 ちらと、彼が窓の外を見やる。その視線に釣られて、へレックも顔を横に向けた。


 ガラスの向こうには広々とした中庭。中庭を越えた先には石造りの城が何棟にも渡って続いている。

 そのどれもが、既に使われることなく荒れ果てていた。


 何も言わずに荒れ庭を眺めてから、ロガスはこちらに向き直った。

「申し訳ありません。私も、本当はお二人にずっといて欲しいですよ。でも、旦那様は、昔から自分の意見を曲げることのない方でしたから。……私が口添えしても、効果はないと思います」


 へレックは黙ってその言葉を受け入れた。リピテは不満を隠しきれない様子で、眉根を寄せてしまう。

「ロガスさんは、旦那様のことを昔から知っているんですよね?」

「ええ、小さな頃から」

「じゃあ、どうしてロガスさんだけっ」

 やめておいた方がいい、と目配せをする。リピテは咄嗟に口を閉じた。


 どうしてアルラスはこんな古い城で、一人で暮らしているのだろうと考えたことはある。

 でもそれはきっと、自分たちが触れてはならない事情だ。へレックは肌感覚でそう悟っていた。


(奥方様なら、僕たちの知らない旦那様の事情とかも、みんな知っているんだろうけどなぁ)

 あの二人は、いつもどんな話をしているのだろうと、また考える。きっと自分には分からないような、魔術の真髄の話をしているんだろうな……。



 ***


 何の気なしにノートの端に落書きをしていたら、手元に影が落ちた。目を上げれば、アルラスが腕を組んで呆れ顔をしている。

「何だ、その化け物は」

「博士の絵を描いてみました」

「……わかった、ここが頭か?」

「それは腕です」


 わざわざよく聞こえるように、アルラスが大きなため息をついた。やれやれと首を振る。

「君には絵心というものがまるでないんだな」

「全体的に心ない人に言われたくないです」

 貸してみろ、とアルラスが身を屈めると、リンナの落書きの横に手早くペンを走らせる。


 ものの数秒でできた博士のイラストは、リンナが本来描きたかったものとほぼ同じである。

 微妙な出来なら文句を言ってやろうと思ったのに、これが普通に上手い。何も言えずにしかめ面になったリンナの顔を覗き込んで、アルラスは「品評してくれないのか?」と得意満面である。


「……はいはい、とっても上手!」

 両手でアルラスの肩を押しのけながら白状すると、アルラスが声を上げて笑った。


 紙上に並んだ二人の博士を見下ろして、彼は首を傾げる。

「にしたって、今日びこんな頭が真っ白の博士なんてそうそう見ないぞ」

「博士って言ったら白髪でしょう」

 常識、と指を振る。アルラスはもの言いたげな顔になったが、反論はやめたらしい。



 イーニルから、博物館襲撃に関する調書がまとまったと連絡が来たのは昨日のことである。今日にでも、その書類が城に届くことになっていた。

 一連の事件の裏にいると目されている『博士』。ここのところ、リンナの関心はその正体に向いている。


「一体、何の目的で、博士は古い魔術のことを探っているんでしょうか」

 顎に手を添えて、リンナは小さな声で呟いた。

 博士は犯罪者である。目的のためなら、人を傷つけることを厭わないという。


「君みたいに、呪術に魅せられたんじゃないのか」

 アルラスが机に寄りかかりながら答える。湯気の立つコーヒーをひとくち啜って、「そういえば」と彼はこちらを見た。



「そもそも君は、どうして呪術なんてものに興味を持ち始めたんだ?」



 リンナは無言で微笑んだ。手にしていた万年筆を机に置いて、肘をつく。

 顔の前で指先を絡めながらつぶやく――「何となく、です」。


 追究しようとしたのか、アルラスは机から腰を離して身を乗り出しかけた。



 そのとき、「失礼いたします」と書庫の入り口で明朗な声が響いた。

 視線を向ければ、ロガスが柔和な表情でこちらを見下ろしている。

「奥方様宛に郵便が届いております。騎士団のイーニルさんという方からだそうです」

 ああ、と声を上げて、リンナは素早く立ち上がった。階段を駆け上がり、ロガスから封筒を受け取る。

「ありがとうございます」と言いながら封筒の厚みを確認するリンナに、執事は微笑んで頷く。



 それから、ロガスは背筋を正してアルラスに視線を向けた。目を細めれば、年齢の刻まれた目尻に皺が浮く。


「……リピテとへレックから、『雇用契約を延長してもらえないか』と要望がありましたよ」

 空気が変わったことに気づいて、リンナは封筒を抱いたまま目を瞬いた。


 日の当たる階下で、アルラスの表情が一瞬にして抜け落ちたのが分かった。

「駄目だ」

 頑なな声で彼が答える。

「契約は最大で満二年。それ以上の滞在は決して認めない。引きずり出してでも、ここを出て行ってもらう」


 鋭い光がその目に宿っているのを眺めながら、リンナは息を飲む。

(そっか、あまり長い間一緒にいると、老けないことに気づかれるから……)

 それにしてもアルラスの口調は険しいものだった。ほとんど睨みつけるような視線で、アルラスはロガスを見据えている。


「二人には、それはできないと伝えておけ」

「旦那様がそう仰るならば、私からは何も反論はございません」


 姿勢だけは恭しく一礼して、ロガスはくるりと踵を返した。リンナは意外な思いでその横顔を見る。

 あんなに真剣に切り出したのに、あっさりと引き下がってしまうなんて。ロガスは、誰が聞いたって納得していない口ぶりだった。



 いきなり勃発した諍いに、リンナは動揺を隠しきれずに首を竦める。ぴりついた空気が、こちらの肌まで刺すみたいだ。

 さっさと書庫を出ていったロガスの背中と、勢いよく椅子に腰かけたアルラスを見比べる。どちらを宥めるべきかと迷って、リンナはつんのめりながら廊下へと駆け出した。


「ロガスさん!」

 呼びかけると、執事は普段のような穏やかな表情で振り返った。「どうされましたか」と言いかけて、リンナの顔色から用件を察したのだろう。

 ロガスは中庭の方に指を向けて小首を傾げた。


「少し、歩きながら話をしませんか」



 ***


「元々、私の母が旦那様に仕えていたのです。その頃は、この城では生活していなかった時期ですけどね」

 聞けば、アルラスはおよそ五、六年ごとに、住まいと肩書き、名前を変えているのだという。三十年ほどで一巡し、元の屋敷に戻ってくる。


「当時から、雇用契約は二年までという決まりがありました。母もその例に漏れず、旦那様に仕えて二年が経った頃に屋敷を辞したと聞いています」

 ロガスの母は、身辺になかなか問題を抱えた女性だったらしい。

「親の代からの借金を抱えたひとだったそうです。良くない連中につきまとわれて、再就職先を見つけるのにも苦労したと。それなのに、これまた良くない男に引っかかって、」


 ロガスは言い淀んだ。あまり明言したくないのだろうと悟って、リンナは努めて何とも思っていない表情を作った。


「結論からいえば、母は、旦那様のお屋敷の前で、まだ乳飲み子だった私を抱いたまま息絶えていたんだそうです」


 アルラスの住む城のセキュリティは、恐らくその頃から堅牢だったのだろう。かつての勤め先を頼るも、門の中に入ることもできずに雪の中倒れていたという。


「『旦那様はとても親切な方だから』と、手紙に書いてあったんですって」

 年月のあらわれたロガスの横顔に、静かな労りと悲しみが滲んでいた。


「旦那様は、私の養父なんです。……今となっては、その逆どころか、祖父と孫にだって見えますよね」

 正直にいえば、驚いた。アルラスは不老不死だと頭では分かっていても、咄嗟に理解ができない。この初老の執事を、アルラスが、育てた?




 中庭は荒涼としていて、落葉しきった裸の枝々がもの悲しく目に映る。冷たい風が吹き寄せるたびに、どこかで隙間風が唸るような音を上げる。

 誰も、この庭を華やかな空間に仕上げたりはしないのだ。


 この城に客人は来ないし、二度しか見れない春のために花を餓える者もいない。

 もし木を植えても、その幹が太く長く伸びる頃には、植えた人間は既にいない。手入れされずに放っておけば荒れるばかりの庭である。


 アルラスは種を蒔かない。



「私の知る旦那様は、使用人とは一線を引いた態度を取る方です。母の件があったからとは明言しませんが、『いざというときに頼られても困る』と仰ったこともありました」

 ロガスの視線は、今もアルラスがひとりでいる書庫の方を向いた。彼の言わんとすることはリンナにも分かった。


 アルラスは、リピテやへレックに対して友好的ではあるが、気さくで親しげな態度を取ることは決してない。あくまで雇用主として礼節を保った対応をするし、相手にもそうした言動を言外に要求している。

 その態度が、リンナには、あえて二人を突き放すような、ことさらに冷淡な様子に見えるのだ。きっと二人も同じような感覚を抱いている。


「たとえ二年でここを出て行くにしても、その二年の出会いをもっと楽しんでほしいと思うのは、息子の我儘でしょうか?」

 ロガスの言葉に、リンナは小さく「いえ」とだけ答えた。何と返事をしたらよいのか分からなかった。


 また風が吹く。戻りましょうか、と声をかけられて、リンナは頷いて応じた。


 元来た道を歩きながら、リンナはふと、頭上に差し交わす枝のひとふしに目をとめた。

 枝先の蕾が、赤みを帯びて膨らんでいる。


「ロガスさん」

 声をかけると、彼は肩越しにこちらを振り返った。呼び止めておいて、何と言おうとしたのか分からなくなる。

 閣下って困った人ですよね。可哀想な人よね。私の知ったことじゃないわよ。力になってあげたいです。


 結局、リンナは石畳の上に立ったまま笑いかけるにとどめた。

「……ここのお食事、毎日おいしいですよね」

「ヘレックが飛び跳ねて喜びますよ」


 目を細めて、ロガスは破顔した。

「ぜひ、彼に直接言ってやってください」


 厨房の方から煙が立つ。夕餉の準備が始まったのだ。少ししたらリピテが夕食に呼びにくるだろう。

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