第14話 ほんとにラブラブ新婚夫婦?

「初めまして、ティメリト・セラクタルタといいます。本日はお招きいただきありがとうございます」

「初めまして。アルラス・リュヌエールです」

 ここ五、六年ほど使っている偽名を名乗って、アルラスは努めて愛想良く微笑んだ。

 猫かぶりを当てこするようにファランが生温かい目を向けてくるが、見えないふりをする。


「ティムで結構です。……お義兄さん、で大丈夫ですか?」

「もちろん。君の話は以前から聞いているよ」


 リンナから聞くよりも早く、彼のことは知っていた。

 セラクタルタといえば、その筋では有名な家柄である。公にはなっていないが、セラクタルタ領は国防の要のひとつ。その土地と砦を代々管理してきたセラクタルタ家は、軍部とも縁が深い。

 目の前にいるティムも、セラクタルタの男児として真っ当に、王都の騎士学校の学生だという。

 リンナと同じ色合いの髪を短く刈り込んで、いかにも生真面目そうな青年にみえた。体格に恵まれており、アルラスよりも更に目の位置が高い。


「ティム、また大きくなったんじゃない」とリンナが笑顔で弟に駆け寄った。

「久しぶり。姉さんは変わらないみたいで、よかった」

「学校での調子はどうなの? 現場実習はどうだった?」

 アルラスは、彼女からこんなに優しい声掛けをされたことは未だかつて一度もない。

 夜中にうっかり泣きついてしまった件に関しては、覚えていないことになっているのでノーカウントである。


 思い返しただけでじわりと頬が熱くなってきて、アルラスはつい遠くの木立などを一生懸命眺めてしまう。



 相槌を打ちながらティメリトを見上げるリンナは、いつになく柔らかい表情をしている。呪術書を見ているときのらんらんと光る目つきではないし、こちらを見るときのように意味深な視線でもない。


(やっぱり、俺は未だに警戒されているんだろうな)

 無理もない。元はといえば、この弟を人質にして彼女を連行したのである。弟を危険な前線に送り込むか、名誉ある花形の役職につけてやりたいか、と。


 今でもあのときの判断を誤ったとは思っていないが、たまに、もっと別の出会い方をしていればと考えてしまうことはある。


 もし別の出会い方をしていたら、こんなに懐に抱え込んでしまうこともなかったはずだ。



 リンナを眺めて、ふと目を上げると、一歩下がったところでファランがにやにやと頬を緩めている。一体どんな顔を自分がしていたのか分からず、アルラスはばつの悪い思いで目を逸らした。

 気配に気づいたのか、リンナがファランに視線を向ける。

「ファランで……さんも、お久しぶりです。お変わりありませんか?」

 殿下、と危うく口を滑らせかけた。じろりと視線を向けると、リンナの口元が引きつる。

 諸々が面倒になるので、ファランの肩書きは内密である。アルラスの遠縁の親戚の、どこぞの御曹司ということになっている。


 何もかも隠し事ばかりで大変だ。アルラスは来客を許可したことを既に後悔し始めていた。


 とはいえ、今更追い返す訳にもいくまい。

「……立ち話も何だ、昼食を用意してあるので中へ入ろうか」

 リンナが姿勢を正して頷く。彼女の緊張が伝わってきて、こちらまでどきどきするようだ。

「お邪魔します」と折り目正しく一礼して、ティムは門扉をくぐった。



「僕が案内しますよ。小さな頃からよく遊びに来ていて、もう僕の城みたいなものだし」

 ファランが我が物顔で先導するうしろを、ティムが早足で追う。

「そうなんですか? 都から相当遠いですけど……」

「転移装置を使えば、一瞬でしょう」

「転移装置なんて料金が高くてそうそう使えないですよ!」

「ものすごく身銭を切ってるんだ」

 旧都の駅で合流してから、二人は意気投合したらしい。まさか相手が王子とはつゆ知らず、ティムが声を上げて笑う。

 


 その様子を眺めながら、アルラスは肘で軽くリンナをつついた。

「君とは似ても似つかないな」と囁くと、リンナがいつになく険しい目を向けてくる。

「どういう意味ですか?」

 睨みつけられ、アルラスは困惑しつつ肩を竦めた。耳元で付け加えておく。

「君とは違って、人付き合いができて常識がありそうという意味だが」

 こちらを見上げる目に呆れが混じる。


「私だって、最低限の常識くらいありますけど」

「いや、初対面の相手に呪いをかけるのは……いたっ」

 明らかに偶然ではない強さで肩が当たり、アルラスは大げさによろめいた。

「それを言うなら閣下だって、社会性のなさはピカイチだと思いますよ。友達いないし」

「昔はいたんだって」


 ほんとに? と言いたげな顔でリンナが片眉を上げる。あんまりにも信用のない目つきに、思わず苦笑する。

「ほら、ヘレックもリピテもファランも俺のこと好きだろう」

 冗談めかした口調で言ってみたが、随分勇気のいる一言だった。リンナは少し黙ってこちらを見上げてから、「そうね」とだけ応えてくれた。



 ***


 玄関ホールに足を踏み入れて、ティムがふと口を噤む。

 この城にほとんど来客はないが、新しく雇った人間などは皆同じような反応をする。

 至る所に輸送レールを張り巡らせ、家事や城内警備を自動化した城である。極限まで人手を減らすためにアルラスが作り上げたシステムだ。誰もが『こんなのは初めて見ました』だとか言う。


 が、彼はこれまでの新顔とは異なった反応を示した。

 背筋を伸ばしたまま顎に手を添え、数秒考えてから、小さな声で呟く。


「これは、南部戦線の砦と同じ輸送システムですね?」


 ぎょっとして、アルラスは体ごとティムを振り返った。それまで楽しげだったファランの目つきが変わる。

「南部戦線に行ったんですか」

「実習での配属先が南部でした。……向こうの砦でも、武器や、その……捕獲した魔獣をコンテナに入れて、こうした輸送網で運んでいました」


 どうします、とファランが視線だけで問うてくる。アルラスはゆっくりと傍らのリンナに目を向ける。どちらかといえば、知られたくないのはこちらに対してだった。




 この国は一方を山に、残りの三方を壁に囲まれている。

 魔獣の生息域と人の居住区を分けるための、巨大な砦である。


 もっとも、壁といってもその大半は簡易な柵だった。監視用の結界を構成するためのものであり、その点検のため担当者が年に一度の頻度で巡回する程度だ。


 一方で、魔獣による襲撃が激しい地点においては、局所的に防衛のための砦が築城されている。この百年あまりのあいだ、目眩がするほどの予算を注ぎ込んで維持され続けている防衛拠点である。


 そのうちのひとつが、南部戦線。

 毎年の予算会議にて恒例行事のように槍玉に挙げられる、大規模な砦のひとつだった。


 武器や弾薬にかかる金はともかく、人件費がかかる。国内で最も危険な戦線とあって、誰も来たがらないうえ、人員の損耗が激しい。

 砦が背負うものは国家機密だった。配属されるのは信頼のおける優秀な人材のみで、そのうえ口止め料として多額の給金が上乗せされる。人件費もかさむ。


 そうした問題を解決するため、各地にある砦では省人化、自動化が進められてきた。そのための実験場が、ここ、レイテーク城である。

 南部戦線では、数年前からレイテーク城と同じシステムが導入されていた。



 ……といった事情を迂闊に説明するには、すぐ横にいるこの勘の良い女が懸念材料だった。なにせ、気付かなくて良い可能性に、ぽんと一足飛びに思い至る女である。



 アルラスは大きく息を吸うと、胸を張ってきっぱりと言い張った。

「技術提供だ」

「技術提供?」

 予想通り、勘の良いリンナが眉を寄せて食いつく。

「そうだ。数年前のコンペで勝った」

「コンペ……公爵なのに、国の事業に技術を提供してお金を貰う側なんですか? 運営側に回るのかと思っていました。南部戦線って王家の管轄ですよね?」


 適当な言い訳をした挙げ句、リンナにしっかりと怪しまれた。ファランの眼差しも心なしか呆れている。

 アルラスは渋い顔で口を閉じた。もうこれ以上何も言わない方が良いかもしれない。


 リンナが腕組みをして下から覗き込んでくる。

「ほんとですか? 何か隠してませんか?」

「なにも……」

 あまりに鋭すぎて全身に穴が空きそうだった。

 当然ながら『砦自動化コンペティション』は開かれていないし、そもそも南部戦線を築いたのは百年ほど前のアルラス自身である。


(余計なことを言うんじゃなかったな……)

 思わず天を仰いでしまう。ティムが南部戦線に行っていたのは予想外だが、上手く誤魔化せなかったのはこちらの落ち度だ。



 つまり、とティムが顔を上げる。

「じゃあ、お義兄さんが砦の輸送システムを作ったということですか!? すごいです!」

 目を輝かせてこちらを見る義弟だけが救いだった。素直に感心してくれるティムの肩を叩いて、アルラスはしみじみと頷く。どこかの姉とは違って、純粋で爽やかで良い男だ。


「なにか食べたいものがあったら、何でも言いなさい」

「え? ああ……はい」

 あまり心は開いてくれていないらしい。



 ***


「それにしても、いきなり結婚なんて驚いたよ。どうして相談してくれなかったの、姉さん」

 応接間で一息ついてから、ティムは眉をひそめて身を乗り出した。リンナは平然と答える。

「相談してから決めていたら、うんと時間がかかっていたわ。だって騎士学校にいるあなたに連絡を取ろうと思ったら、手紙を送るしかないじゃない」

「まあ、確かに姉さんが決めたんなら、おれが口出しするようなことではないけど……」

 渋い顔で応えた弟に、リンナはにこりと微笑みかける。


 アルラスが弟の来訪を許可したのには驚いたが、彼があっさりティムを気に入ったのは想像通りだった。だって、こんな姉でも慕ってくれるような、素直で良い子なのだ。誰だって気に入るに決まっている。自慢の弟である。


「前触れもなしに、結婚したなんて事後報告をされたら、心配になるよ。姉さんのことだから、悪い人に騙されたんじゃないかとか、脅されているんじゃないかとか、嫌な想像までしてしまったり」

 視界の端で、アルラスとファランが気まずそうに顔を見合わせる。その気配を感じながら、リンナは「そんなことないわ」と首を振る。


「アルラスは良い人よ」

「分かるよ。おれも今こうしてお義兄さんと会ってみて、信頼のおけそうな人だと思ってる。……でもさ、でもだよ」

 ティムは片手を出して遮ると、深々とため息をついた。ちら、とアルラスを見やり、猜疑心の抜けきらない表情で少し黙る。


「閣下。一体、どんな手段で、姉に結婚を了承させたんですか」


 アルラスをじっと見据えて、ティムは低い声で問うた。無作法な発言に、リンナは「ちょっと」と弟を咎めようとした。

「姉さんは、元々どこかに嫁ぎたいって焦っていた訳じゃない」

 しかし、ティムが強い口調で続けると、今度はアルラスの方が片手で合図をする。止めなくて良い、と。


 弟の視線が向いて、リンナは思わず姿勢を正した。……ティムが、こんな顔をするのは初めて見た。

「姉さんは、おれが物心ついたときから、いつも呪術が一番でした。周りの人にはそれほど関心を示さないし、それに、たぶん、……あんまり男性も得意じゃない」

「うそ、ばれてた?」

 うまく隠していたつもりなんだけど、とリンナは口元に手を当てた。


「お金や地位にも興味がないし、姉さんは史上稀に見る面倒なひとだから、少し優しくしただけで結婚を了承したりしないはずです。いくらお義兄さんが格好良くても、無理です」

「さいご褒めてた?」

「正直予想以上だった」

 素直である。


 気を取り直すように咳払いをして、ティムは改めてアルラスを見た。

「聞いたから信用できるわけでもないですが、……馴れ初めから、聞かせてもらっていいですか?」


 ファランが動揺を隠しきれない表情で身を乗り出す。リンナも咄嗟にアルラスの表情を窺う。


 この男、下手をすると、この局面で『街角でぶつかったときにドキッと』などと言いかねない。


 しかし、ここでファランやリンナが口を挟むのは不自然である。戦々恐々とする二人をよそに、アルラスは泰然と口を開いた。


「元々、彼女の研究に関心を持っていたんだ。俺が抱えている課題のひとつに、呪術的アプローチを試してみたいものがあって、それで連絡を取ったのが最初だ」


 だいたい嘘だ。しかし、顔色一つ変えずに答えたアルラスは、いかにも堂々として見えた。思わず感心して、リンナはまじまじとアルラスの横顔を眺める。


「その打ち合わせのために、セラクタルタ邸を訪問させて頂いた。もちろん、単なる仕事の相談だけのつもりだったが、思いのほか『議論が白熱』したり、『めったにない刺激』を受けたり、『彼女の聡明さに舌を巻いた』りするうちに、『目が離せない』と思えて……」


(話だけ聞くと熱烈なのに、なんだか妙に棘を感じるわね?)


 じろりと視線を向けると、アルラスは満面の笑みで見返してきた。妙に圧のある笑顔である。

「運命的な出会いだったな?」

「……はい」

 爪先でアルラスの足を探りながら頷く。しこたま踏んでやろうと思ったのに、アルラスはすいと足を遠ざけてしまった。


「ふーん」とティムはいまいち納得いっていないように腕を組む。

「姉さんも、即決だったんだ?」

「……まあ、どちらかが死ぬまでこの人と一緒にいるのかな、とは思ったかしら」

「うーん……」


 明らかに怪しまれている。ちらと顔を見合わせて、リンナはそれとなくアルラスとの距離を詰めた。拳六つ分くらいは開いていたので。


 互いに様子を窺い合い、妙に気詰まりな空気が流れる。膠着状態に差し掛かったところで、応接間の扉が叩かれた。顔を出したのはロガスである。

「失礼いたします。簡単ながら昼食の用意をしてあるのですが、いかがでしょう?」

 柔和な微笑みで、その場の空気がふっと緩む。ロガスはファランの立場のことも把握しているそうだが、緊張の色のない態度である。

 安堵の表情で、アルラスが「今いく」と頷く。



 食堂へ向かう道すがら、リンナは踵を浮かせてアルラスに顔を寄せた。

「助かりましたね」

 そっと耳打ちすると、彼はわざとらしく不満げな顔を作ってみせる。

「君がもっと頑張ってくれないと困るんだが」

「ええ、私だって努力してますよぉ」

「目が泳ぎっぱなしだったぞ」

「うそっ」

 前をゆくティムには聞こえないよう、ごくごく潜めた声で言い合う。


「だいたい、仲の良い夫婦ってどんなものなの?」

「君のご実家ではどうだったんだ」

 聞かれて、リンナは思わず黙り込んだ。ティムの背中を眺めながら、小さく呟く。

「うちは、あんまり子どもの前でイチャつくような両親じゃなかったですから」

「そうなのか……まあ、世の中色々な家庭があるからな」


 気を遣わせたことがありありと分かる返事に、リンナは苦笑した。そんなつもりではなかったけれど、不仲に聞こえてしまっただろうか。


「閣下は、ご両親が国民の前で手を振っているタイプのお育ちですか?」

「そうだぞ。俺たちも振るか?」

「誰に、何を!?」

 反射で食いついてから、大きな声を出してしまったと気づいて口を塞いだ。


「馬鹿、声がでかいぞ」

「だって閣下が変なこと言うから……」

 と、視線を感じて口を閉じる。



 数歩先のところで、驚いたように二人がこちらを振り返っていた。ティムは真ん丸な目を瞬かせている。

「二人とも……」とファランが呟く。


 間を置いてから、ファランは安心したようににこりと微笑んだ。

「……仲良しですね!」


 いつもの癖で『そんなことない』と言いかけて、すんでのところで飲み込む。


「そうなんです。ここに来て、アルラスと一緒に過ごせて、毎日とても楽しいです」


 気恥ずかしさを押し殺し、胸を張って答えた。耳が熱いのを自覚しながらも、撤回はしない。

 呆然と立ち尽くしていたティムの顔に、ゆっくりと笑顔が浮かぶ。どこか寂しげな表情にもみえた。


「それなら、良かった」


 静かな口調で呟いて、ティムはふっとアルラスに視線を移したようだった。瞬間、愕然と目を見開く。

「お義兄さん!? 何でそんなに顔が赤いんですか!」


 腕を組んだまま、アルラスは堂々たる態度で応えた。

「これはだな、とても照れている」

「結婚したのにこの程度の文言で照れ……? やはり怪しい……」

 ティムが再び疑惑の眼差しに戻ってしまう。せっかく良い感じだったのに、アルラスのせいで台無しである。


 傍らにいる夫の脇腹を強めに小突くと、頭上から「すまん」と呻き声が聞こえた。

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