第6話 呪いで人を救いたい


 王家の後ろ盾というものの凄まじさに、リンナは改めて舌を巻いた。


「転移装置のある街、およびそこから短時間で移動が可能なすべての街に対し、エルウィ・トートルエの捜索指示が発令されました。指名手配の手続きももうじき済むそうです」

 嫌そうな顔で報告してきたイーニルに「ありがとうございます」と応じて、リンナは少し唇を尖らせる。アルラスが現れてから二時間もしないうちに、この手際である。


(最初に私が頼んだときは、「見つかるかは分からないがな」って言ってたのに……)

 複雑な思いを抱えながら、リンナは慎重に病室の入り口をくぐった。



 啜り泣く少女の横で、三歳ほどの男の子がきょとんとした顔をしている。二人の前には真っ白なベッドがひとつ。目を閉じたまま微動だにしないのは、恐らくふたりの父親だ。

「……このひとは……?」

 病室に入ってきたリンナを見て、少女がイーニルに視線を向けた。イーニルは少し躊躇ってから、「専門家です」とだけリンナを紹介した。


「初めまして、エディリンナといいます。……お父さんの容態を、少しだけ見させてもらっても良いかな」

 泣き腫らした目で、少女が道を譲る。まだ十一、二くらいだろう。歳の離れた弟に手招きをして、ぎゅっと抱き寄せる。



「怪しい動きをみせたら、私の全責任で、即座にあなたの頭を撃ち抜くぞ」

 耳元で囁いてきたイーニルを黙殺して、リンナは枕元まで歩み出た。


 眠っているのは、襲撃された保管庫の近くを担当していた警備員だという。事件発生から丸一日経つが、外界からの刺激に反応する様子は一切見られないそうだ。

「当院で可能な検査はすべて行いましたが、致命的な損傷のようなものは何一つ見つけられませんでした。しかし、――患者の誰もが息をしておらず、脈もないのです。しかし、全員が生きている。それは確かです」


 医師の説明を聞きながら、リンナは患者の片手をそっと持ち上げた。触れた手のひらは温かく、眠っている人の手に触れたように、少ししっとりとした感触がある。

 しかし、医師の言うとおり、脈拍はない。口鼻の前に手をかざすが、呼気を感じない。


「これは……」とリンナは患者の顔を覗き込んだまま呟いた。

 ずっと手首の内側に親指を押し当てたまま、彼女は目を伏せる。指先に意識を向け、ともすれば勘違いにも思えるような感覚を探す。

 黙り込んだまま動かないリンナに、イーニルが不審がる声を上げた。「何をしている」と尖った詰問に返事もせず、リンナはじっと患者の顔を見つめ続けていた。


(この呪いは、)

 ゆっくりと、本当にゆっくりと、動脈が浮いて、沈んでゆく。わずかな脈動が、親指の下で緩慢に一巡りした。



 業を煮やしたイーニルが銃に手を伸ばしかけた頃、リンナは静かな声で結論づけた。

「身体の時間が、極端に遅らされているんだわ」



 言われて患者の脈を取り始めた医師が、しばらくして息を飲む。

「本当だ……信じがたいほどゆっくりですが、確かに脈拍がある。一般的な脈拍の十倍から二十倍ほどの時間をかけてですが……!」

 まさか、と声を漏らして、イーニルが患者のそばに膝をついた。手袋を外して、患者の首元へ、揃えた指先を当てる。


「脈がある……!」

 驚愕の眼差しでこちらを見上げてきたイーニルに、リンナはにこりともせずに応えた。


「でも、それだけではないんです。身体の時間を遅らせるだけじゃ、意識を失ったまま目覚めないことの理由にはならない。別の呪いが一緒にかけられています。それを突き止めなければ、この呪いを解くこともできません」

(意識を奪う呪い……? それとも体が動かせないようにされているの? どれもあまり聞いたことがない呪いだわ)


 顎に手を添えたまま考えこむリンナを、病室の誰もが呆然として眺めている。その視線の質が変わりつつあることに気づかないまま、リンナは険しい顔で被害者の姿をじっと観察していた。



「……彼らは、眠らされているんじゃないか? 君が俺にやったみたいに」

 それまで病室の入口で静観していたアルラスが、おもむろに口を開く。嫌味混じりなのは気にせず、彼の言葉を何度か反芻する。

「眠り……」

 口の中で繰り返して、リンナは息を飲んだ。

「それだわ!」

 指をさして大きな声を出したリンナに、アルラスがちょっとうるさそうに顔を振る。


「呪いは、複数の効果を持たせれば持たせるほど複雑になって、思った効果を持たせるのが難しいんです。眠りの呪いなら、時間を遅らせる呪いと干渉しあうことなく発動できると思います」

 饒舌になったリンナに、一同は呆気に取られたような表情になった。「つまり……?」とイーニルが苦し紛れに問うが、その声はリンナの耳には入らなかった。


「身体の時間を遅らせてから、眠らせる――ちがうわ、眠らせてから時間を遅らせたのね。その方が効率が良いもの」

「目撃者の口を封じるのに、都合が良いという意味だな」

 アルラスだけが、合点がいったように小さく頷く。「はい」と短く応じて、リンナは改めて被害者の顔を見下ろした。


「もし、十年間眠るようにと呪いをかけられてから、身体の時間を十倍に引き延ばされたと仮定して、――この人は、百年ものあいだ、老いもせずに眠り続けることになる。百年後に目覚めても、事件を知る者は誰も残っていません」

 思わず一瞥した先で、アルラスの口元は薄く弧を描いていた。が、その苦笑はすぐ普段の仏頂面に取って代わられた。



「しかし、どうしてそんな面倒なことを? 口を塞ぎたいなら、目撃者を全員殺してしまう方が早いでしょう。人を呪い殺すなど、呪術師の十八番のはずです」

 釈然としない様子で、イーニルが食ってかかる。示し合わせたわけでもなく、リンナとアルラスは顔を見合わせた。


「……死の呪いは、もう滅んだんですよ。人を呪い殺せる呪術師は、この世に一人もいないんです、今は」

 言葉尻にわずかな含みが混じったことに気づいたのだろう。アルラスの両目が意味深に細められる。





「もう少し、時間をください。使用された呪いが分かっているのなら、解呪できる可能性があります」


 立ち上がった拍子に頭がくらりとしたが、子どもたちが見ていると気づいて何とか踏みとどまる。寝不足だ。

「……お父さん、助かるんですか?」

 潤んだ瞳で見上げられ、リンナは何とか口角を上げた。

「全力を尽くすね」とだけ応えて、彼女はイーニルを振り返った。


「図書館の一角をお借りしたいです。監視はつけて頂いて結構です」

 ひと晩まともに寝ていないうえ、ろくな食事も摂っていないせいか、全身が重い。しかし、何かに突き動かされるようにリンナは歩き出した。


 やはり被害者は呪いを受けていた。その事実が意味することに、リンナは首筋の毛が逆立つような思いを覚える。


 これほどまでの呪術を使える人間が、この街にいた――あるいは今もなお、すぐ近くにいるのだ。



 ***


 机の三方に本の山をつくり、リンナは額に手を当てて長い息を吐いた。誰も聞いていないと思って、愚痴などを一言ふたこと、小さな声でひとりごつ。

 図書館は閉館時間を過ぎているものの、これまた権力を振りかざし、リンナは未だキャレルのひとつに陣取っていた。暗い閲覧室の中、リンナのいる机だけがデスクライトでぽっかりと光って浮いている。


 明かりの消えた図書館は、本棚の間を見透かせば、まるで吸い込まれるような漆黒である。物音ひとつ立てても、あっという間に雲散霧消する。

 恐ろしいのに、身動きすることもできない、不思議な重みのある空間だった。


 いったん資料から顔を上げて、リンナは背もたれにだらしなく寄りかかる。

(エルウィは、私に、あの呪文札をわざと拾わせた……)

 腕を組んで、遠い天井を仰いで思案する。疲労のせいか、目の前がちかちかとした。暗がりに黒々とした梁の影を認めながら、リンナは長い息を吐く。


(エルウィは、博物館に侵入して呪術を使った人間と、繋がりがあるんだわ)

 彼自身が侵入犯である可能性は薄い。何故なら、高度な呪術を構築、行使する脳はエルウィにないからである。けれど少なくとも、エルウィは犯人と何らかの関わりがあるはずだ。


(でも、あの呪文札は贋作だった……)

 エルウィ自身は呪文札が贋作であることに気づいていたのだろうか? その可能性は低い、と結論づける。ほんの僅かな表記の違いだ。エルウィが気づけるとは思えない。

 しかし、いつかは誰かが気づくはずだ。

(複製を作る際に、誤って転写したのだろうか?)


 件の呪文札は価値のある品だという。出るところに出れば、破格の値で売れるはずだ。利益を上げるために、いくつも複製を作って売りさばこうとした――と考えるのが妥当だ。

 その全てを追って回収するのは至難の業だし、それは自分の役割ではない。


(既に本物は、どこかに行ってしまったってわけ……)

 深々とため息をついたところで、ようやく目眩が治まった。

 再び資料に手を伸ばす。意識の戻らない患者たちを目覚めさせることが、すべての解決に繋がるはずだ。


(五人は、犯人にとって不都合な何かを見た。犯人の顔? つまり、見れば誰なのかすぐに分かるような有名人、あるいは特徴的な容姿をしているとか……)

 考えても詮無いことである。答えは今なお眠り続ける五人が知っている。


 彼らにかけられた呪いを解くべく、解呪の呪文の構成は大詰めに入ろうとしていた。

 上に向かって大きく伸びをして、首を回す。解呪の目処がついたら、次は実証である。

(実験動物を用意しなきゃ……どうしよう)


 まだまだやることは山積している。休んでいる猶予はない。



 ペンを取り上げようとして、手元が狂った。高い音をさせて、ペンが床に落ちて転がってゆく。「ああ……」と声を漏らしながら、リンナは腰を浮かせた。


「――もう何時だと思っているんだ」


 頭上から声が降ってきたのは、リンナが机の脇にかがみ込んだときだった。ペンがひょいと拾われ、机の上に戻される。


 アルラスは随分と立腹のようだった。

「昨晩は深夜まで取り調べを受けたあと独房で気絶、昼間はろくな食事も摂らずに動き続け、今晩は徹夜する気か? この調子では、被害者を起こす前に君が死ぬぞ」


 音を立てて隣の椅子を引いたアルラスが、どかりと腰掛けて腕を組む。咄嗟に頭が回らず、リンナは呆けたまま彼を見つめ返した。


「俺は何徹してもどうせ死なないがな、普通の人間がどれくらい無理をしたら死ぬかは知っている」

 言って、アルラスが半ば強引にリンナの腕を掴んだ。


「でも」とリンナは踏ん張って食い下がる。

「解決が一日遅れるごとに、『呪術は悪いものだ』というイメージが固まっていきます。私はそれが、」

「呪術のイメージなんぞ既に落ちるところまで落ちている。今さら一日二日で大して変わらん」

 あまりの言い草に、リンナは思わず絶句した。それを隙と見てとったか、アルラスは立ち上がる。


「一旦、布団に入って寝なさい。どうせ身体の時間が止まっているんなら、被害者はすぐには死なない」

 子どもに言い聞かせるみたいにため息をついて、彼は手近な資料とノートをまとめ始めた。


「待ってください。私、まだ元気です」

「いや? とてもそんな顔色には見えないが」

 苛立ちを露わにしたリンナを一瞥して、アルラスは飄々と言ってのけた。


「休んで元気になってから話をするか、今から長時間にわたる説教を受けるか、早く決めるんだな」



 ***


 寝巻きに着替えて枕に頭を触れさせた瞬間、すこんと意識が落っこちた。


 そんなつもりではないのに、寝てしまった。

 息を飲んで目を開けた瞬間、既に部屋は明るく、遅めの朝である。



 居間のよく陽の当たる窓辺で、公爵閣下は優雅に新聞を読みながらコーヒーを堪能していらした。

「よく眠れたみたいだな」

 リンナの顔を見て、アルラスが開口一番に言う。髪をひとつに束ねたまま、彼女はちょっと欠伸を噛み殺した。


「研究が佳境に入れば、十日は寝ないことだってあります。一日くらい平気ですよ」


「馬鹿言え」とアルラスが呆れ顔になる。

「実際布団に入れればこれだけ寝るんだ、誤魔化しているだけで、本当は疲れているんだろう」

 答えに窮している間に、目の前に手際よく朝食を並べられてゆく。アルラスが向かいの椅子に腰かけ、深々とため息をついた。


「それで? すべて洗いざらい話してもらおうか」

 どうやら、話すまで解放するつもりはないらしい。

 すべて話せとは言っているが、しかし、警察から既に事情は聞いているはずだ。それでもリンナ自身の口から話させたいらしい。


 水気のあるレタスを頬張りながら、リンナは事の発端を思い返していた。気持ちいい歯ごたえに対して、心中はどうにも重い。

「……おととい、古本屋に立ち寄ったあと、店の前で知り合いと遭遇しました。あなたが転移ステーションに連絡をしている間です」

 元婚約者、とは言えなかった。その理由は自分でも分からない。


「そのときに、彼が呪文札を落としていったんです。だから、それだけ届けようと、あの晩……」

 アルラスは頬杖をついて聞いていたが、少し黙ってから「彼」とだけ反復した。

「エルウィ・トートルエだな」

「……はい」

 目を伏せて頷いたリンナに、アルラスはあっさりと言ってのけた。


「なるほど、男と会うとなれば、わざわざ俺に呪いをかけてまで脱走したのもよく分かる」

「ちょっと! そんなんじゃないです!」

 思わずリンナは声を大きくして反論した。アルラスはわざとらしく『物わかりのよい表情』で頷く。


「元婚約者だと聞いた。好いた男がいるのに、結婚を無理強いして悪かったな」

「確かに結婚を無理強いされたのは不本意極まりないけれど、私がエルウィに特別な感情を持っているわけじゃありません。理由があるから『元』婚約者なんだって、賢い閣下ならご理解できますよね? わざとらしく拗ねたふりをするのはやめて頂いていいかしら、腹が立つわ」


 肩を怒らせて反駁するリンナを眺めて、アルラスがひょいとお手上げの姿勢を取った。

「そんなにまくし立てて、よっぽど後ろめたいことがあるらしい」

「……はい?」

 いま鏡を見たら、ひょっとして額に青筋が浮かんでいるかもしれない。苛立ちを隠しきれずにリンナは腕を組んだ。


「もしかしてあなた、本当に拗ねているの?」

「……はっ? まさか」

 一拍おいて、アルラスが一笑に付す。


 彼は壁に掛かっているハイセンスな絵画がいきなり気になりだしたらしい。真剣に現代芸術を鑑賞している横顔を眺めながら、リンナはため息をついた。


「そうよね、ここで肯定されたら、流石にちょっと気味が悪いですもん」

「なんだと!?」

「え? なんで今わたし怒られたんですか」

「それは……」


 ……お互いに顔を見合わせ、これ以上この話題に深入りするのはやめようと目線で合図する。

 ごほんと重々しく咳払いをして、アルラスは姿勢を正した。

「とにかく、こうなったら乗りかかった船だ。俺もできる限り手伝おう。何か手伝いが必要なことはあるか」

 資料の整理とか……と、アルラスがいくつかの作業を指折り数える。

 手伝いが必要なこと? 渡りに船である。

 リンナは笑顔で人さし指を立てた。



「作った呪文の効果を試したいので、できるだけたくさんのネズミを用意してきてください!」

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