第2話 ハネムーン? No! ただの移動


「そういえば、学生時代の友人に、男性の趣味が変わっている子がいたんです。今度紹介して差し上げましょうか」

「ほう。それはまたどうして」

「彼女、性悪を煮詰めたような救いようのないクズ男が大好きなの。きっと相性抜群だわ」

「結構。俺では君のご学友のお気に召さないだろうから」


 道中の馬車の空気は最悪であった。

 刺々しい雰囲気のなか、リンナは腕を組み足を組んだ。向かいに座っているアルラスを睨めつける。負けじとアルラスも顎を上げて高慢な顔つきである。


「け、喧嘩しないでくださいって三分前にも言ったじゃないですか!」

 ファランが半泣きで諌めるが、互いに態度を和らげるつもりはないようだった。



 各地に設置された転移魔術装置によって、国内には往年とは比にならない高速交通網が張り巡らされている。転移装置が設置してある場所同士ならば、国の端から端にだって一瞬で行けるのだ。

 都会なら更に鉄道が発達し、どの地点であってもほとんど徒歩を要さずに到着できるが、セラクタルタ領にそのような鉄道網はない。


 セラクタルタ邸から最寄りの転移ステーションまでは、馬車で半日はかかる。つまり、あと数時間はこの狭い馬車の中で顔を突き合わせていなければならない。非常に不本意なことに。

 通る者の多くない街道はろくに整備されておらず、小石や雑草で車輪がたびたび跳ねる。そのたびに馬車の中では乗客の体が揺れ、アルラスの機嫌は降下の一途を辿っていた。田舎道に慣れ親しんだリンナはその限りではない。



「……それで、そろそろ説明して頂いてもよろしいですか? その……あなたの素性について」

「ふむ」

 出発前にも同じことを聞いたのだが、『最高機密ゆえに誰が聞いているか分からない場では答えられない』という回答だった。

 既に邸宅からは小一時間ほど離れて、辺りには一面の畑が広がっている。が、休耕期ゆえに荒涼とした景観である。寒々しい光景はほぼ荒野も同然で、視界を遮るものは何もない。


「良かろう」と偉そうに頷いて、アルラスは指先で軽く馬車の壁を打った。それまで聞こえていた車輪の音や馬の呼吸音が、一瞬にして消え去る。何気ない動きながら、精度の高い防音魔術である。


(魔術の使用に慣れているのね)

 魔道具の普及により、自ら魔術を使用する人間もなかなか少ない。

 内心で見直しかけて、リンナは慌ててかぶりを振った。ちょっと魔術が得意だからといって、絆される訳にはいかないわ。



 不安げな顔をしているのはファランで、何度もアルラスを見やってはそのたび眉を下げている。

「叔父上……本当に良いんですか?」

「良いも何も、彼女は既に九割がたは事情を察しているぞ」

 水を向けられて、リンナは肩を竦めた。


「あのとき、俺を見て何と言った?」

 求められている答えはおおよそ察せられた。アルラスと名乗っている、この男の逆鱗に触れた一言である。


「ロルタナ・A・アドマリアス」

「よろしい。アルラスは幼名だが、現在はより目立たないそちらを名乗っている」

「やっぱり、あなたがロルタナなんですか? その、……二百年前に、兄を庇って死の呪いを跳ね返したっていう、あの有名な」


 そこまで言ったところで、ファランが立ち上がり「どうしてそう断定したんですか!」と悲鳴を上げた。


「エディリンナ嬢、あなたは自分がどれだけ荒唐無稽なことを仰っているか分かっていますか?」

「別に、私の中では荒唐無稽ではありません。簡単な話だわ」

 言いながら、リンナは人差し指を立てる。

「まずは、閣下が口を滑らせた『二百年』という単語」

「非常識にも客人に呪術を使って吐かせた情報、と言うべきだな」

 口を挟んできたアルラスを黙殺して、リンナは続けた。


「加えて、不死を示唆するような発言。それに、公爵位にあって、王子殿下から『叔父』と呼ばれる立場だけれど、まだお若い様子だわ。お若いようだけれど、どうにも老け……成熟したような雰囲気もおありですし、見た目通りの年齢ではないのかも、と」


 ファランが座り直したと思えば、顔を覆って深々と項垂れてしまう。「どうして分かるんですか」と呻いているのを聞きながら、リンナは「でも」と切り出した。


「決め手は、学生時代に聞いた噂です」

「噂?」

 アルラスとファランが同時に復唱する。その表情がやけに真に迫っていたので、リンナは思わず目を瞬いてしまう。


「教授が言っていたんです。ロルタナは今もなお不老不死で生き続けていると言う人がいるんだ……って」


 アルラスとファランが同時に顔を見合わせた。「まずいな」とファランが呟き、顎に手を添える。

「俺の葬儀を上げたあと八十年は、外で顔を出したことはなかったはずだ。肖像画だって出来のいいものは全て燃やさせた。たとえ俺の顔を街中で見たとして、それが『ロルタナ』だと判断する人間が、一体どこに……」

「しかし、そのような噂が出回っているとなると状況は危ぶまれますね。……エディリンナ嬢、その噂の出どころというのは」

「分かりません。教授も人から聞いた様子でしたし、顔の広い先生ですから……」


 言いながら、リンナは徐々に事情を把握しつつあった。

「……要するに、かの有名な王弟殿下が不老不死となって、二百年後の今もなお生きていることが公になるとまずいのですね?」

「察しが良くて助かるよ」

 嫌そうな顔で頷いたアルラスを眺めて、リンナは短く息を吐いた。


「ところがその最高機密が私にバレたから、人から隔離して監視下に置くために、結婚という体を取って監禁するおつもりなんだわ」

「大人しくしていれば軟禁程度にしてやろう」

「あら、おやさしい」

 聞こえよがしに鼻を鳴らすと、アルラスの口元がぴくりと動いた。が、らちが明かないと思ったのか反論はやめたらしい。



 他にも聞きたいことはたくさんある。

「閣下の素性は……まあ色々と聞きたいことはありますが、一応は分かりました。でも、そもそもは何が目的で私を訪ねていらしたのですか?」


 アルラスがファランに視線をやった。合図をされて、ファランが口を開く。

「元々は、リンナ嬢に、叔父上の呪いに関する助言を頂きたく……」

「こんな小娘に俺の呪いがどうにかできると思っていたのか!」

「思っていたから訪ねたんです……」

 壁に寄りかかって悄然と呟くファランは、この数時間で少し痩せた気がする。見ているだけでも可哀想になってくる姿だ。「まさかこんなことになるなんて」と何度も呟いている。


「事情はぼかして彼女を招聘するつもりだったのです。しかし、どうしてもある程度の期間は周囲との連絡を絶って頂くことになります。ですから、対外的には婚約期間とでも偽って生家を離れて頂き、ある程度の目処がつけばまた元の生活に戻れるようにと……」

「それが、『知ったからには生かしておけない』ところまで看破されるとは思わなかったのですね」


「誰が自白させたと思っているんだ、呪術を使ってまで」

 野次を飛ばしてくるアルラスを黙殺して、リンナはファランに同情の目を向けた。


「ファラン殿下も、二百歳のおじいちゃんの相手をするとなるとご苦労されますね」

「貴女の言うおじいちゃんとは一体誰のことだ? 俺はおじいちゃんになりたくて堪らないのに、ずっと今の姿のままなのだが」

「めんどくさい……」

 すぐに食ってかかってくるアルラスを受け流して、リンナはファランに体を向けた。



「けれど実際に閣下の言うとおり、二百年のあいだ解けない呪いを、私がすぐにどうにかできるとは思えません。本来なら、私が無理そうだと分かれば帰していただける予定だったのでしょうけど……」

 躊躇いがちに告げたリンナの言葉に、ファランは目に見えて落胆したような様子になった。「そうですよね」と小さな声で呟いて、しゅんと項垂れてしまう。



「……俺はこの百数十年、死の呪いを探し続けてきた」

 静かになった馬車の中で、不機嫌な声が響いた。

「ありとあらゆる処刑方法や毒物を試してきたが、どうやっても死ねん。あと試していないのは、死の呪いくらいのものだ」

 死の呪い、とリンナは口の中で繰り返した。


「呪術のなかでも、最も悪名高い呪いだ。かつ、非常に難しい術だと聞いている」

「死の呪いを使えた術者は一握りで、呪文などは口伝でのみ受け継がれていたって読みました」

「そう。つまり、現代において死の呪いの詳細を知る者は誰もいない。死の呪いは、この世から完全に消滅した」

 矢継ぎ早に話し出したリンナとアルラスを見比べて、ファランは目を白黒させている。


「どうだ、君――」とアルラスが指を指す。


「たった一度、俺を殺すためだけに、死の呪いを再現してみたいとは思わないか」


 その一言が、リンナの胸の中のむず痒いところを突くと分かっている口調だった。

「幾度となく歴史に刻まれた、特別な術師にしか使えない高度な呪いだ。興味がないとは言わせないぞ」

 挑戦的に向けられた視線に、リンナは唇を噛んで押し黙る。


「あなたのために、既に失われた死の呪いを再発明しろって仰りたいの?」

「いかにも」


 薄ら笑いを浮かべながら、アルラスが腕を組んだ。

「うちの書庫に、とてつもない数の蔵書がある。特定の分野に関してなら、大学の図書館なんかより余程揃っている」

 大学の広々とした図書館の光景を思い浮かべて、リンナはきょとんと瞬きをする。

「二百年前、呪いが規制される直前にかき集めた魔術書だ。当時の資料だから、今では呪術と呼ばれる術に関して記述されている。うち以外にはもうどこにも残っていないものも多いはずだ、呪術書は焚書でことごとく焼かれたからな」


 思わず、ごくりと喉を鳴らして唾を飲み込んでいた。

 彼の言葉の通り、呪術を専門的に扱った資料というものは、今やほとんど現存していない。それが、当時に出回っていた呪術書が、たくさん揃っている、と。


「どれも古語で書かれていて、俺には読めるが専門用語が多くてよく分からん。君なら、俺よりもあれらの内容を読み解けるのかもしれない」

 心臓が高鳴るのに気づかないふりをして、リンナはアルラスをじっと見つめた。


「つまり?」

「少しは夫のために頑張ってくれても罰は当たらないんじゃないか、という話だ」

「おっとのため?」

 いきなり出てきた単語に、リンナは大きく首を傾げた。


 まったく、仕様のない……と言いながら、アルラスは呆れたように肩を竦める。それを見ながら、リンナはようやくアルラスの発言を『夫』と理解した。

 何を言っているのかは分かったが、納得は全くできない。



 リンナは全身の毛を逆立てて唸った。

「家で話した結婚云々というのは、お母様のための言葉のあやであって、私たちは本当に結婚するわけではないと思っていました」

「いや?」

 挑発するように顎を上げたアルラスを睨みつけるが、意に介した様子はなさそうである。片手の指先で顎を撫でながら、彼は悠然と微笑んでいる。


「単なる知人同士では犯罪になることでも、家庭内のことなら黙認されることも多い」

「誘拐と監禁とか?」

「そうだな」

 誤魔化す様子もなく頷いたアルラスに、リンナは閉口した。


「例えば君が何らかの方法で脱走して、警察に訴えたとする。自分は監禁されていて、その相手は、呪いで二百年生き続けている化け物だ――とな。そんなとき、俺はあとから追いかけていって、一言弁明するだけで良い。『すまない、妻は少々動転しているんだ』と」

「最ッ低」

 リンナは顔をしかめて吐き捨てた。ファランが額を押さえて「最低すぎる……」と呟く。


「家庭内でも犯罪は犯罪よ」

「なに、明るみに出なければ何のことはない」

 アルラスは実に飄々とした様子である。こちらの事情などろくに聞き入れる気もないらしい。その姿を眺めながら、リンナはやり場のない無力感が肩に乗るのを感じていた。と同時に、硬い決意が腹の底に芽生える。





 いまいち正体の読めない薄ら笑いを見据えながら、抑えた声で、平坦に告げる。

「……私は、脅されてここにいます。『国家の最高機密』なんかに家族を巻き込みたくないから、大人しく連行に応じました。私は単なる虜囚に過ぎません。私が、死の呪いを作ることに尽力するとしたら、それは夫への愛ゆえなどではありません」


 そこまで言って、リンナは大きく息を吸った。

 どん、と窓枠を拳で叩いて、リンナは勢いよく人差し指をアルラスの鼻先に突きつける。虚を衝かれてアルラスの目が真ん丸に見開かれた。


「それはね――呪いを作って、あなたをとっとと殺して、私が自由の身になるためよ!」


 ファランがまた打ちひしがれたような顔で耳を塞ぐ。リンナも、アルラスの怒声に構えて腹に力を込める。

 ところが、いつまで待ってもアルラスが激昂する様子はなかった。いかにも尊大な公爵閣下の怒りを買いそうな発言にもかかわらず、だ。


 拍子抜けして目を丸くするリンナをしばらく真顔で見つめ、それからアルラスは心底たのしそうに破顔した。


「いいな、それは」


 目尻を下げて笑み崩れた表情に、彼が見た目通りの年齢をしていた頃の面影を垣間見る。瑞々しい青年だったころ、彼が素直な性質をしていたことが窺える笑い声だった。

「叔父上……?」

 ファランが呆気に取られて固まっている。どうやら相当に珍しい表情らしい。鼻先に手を添え、くつくつと笑っているアルラスを眺めながら、リンナは言葉を選んだ。

 まさか、ちょっと動揺しただなんて言えるわけがない。


「い……今のうちに遺言を書いておいた方が良いんじゃないですか」

 つっけんどんに言い放つと、流石にアルラスも眉間に皺を寄せた。

「遺産はやらんぞ」

「だから生活には困ってないんですってば」

「まったく可愛げのない……」

 これ見よがしにかぶりを振って、アルラスが窓の外を見やって言う。


「大きな街に着いたら、すぐに役所に行って届け出を出そう。なに、安心しろ。俺が死んだら婚姻の記録は消去するように手を回しておくから、そのあとは自由な人生を生きれば良い」

「絶対、一年以内に殺す……」

 怨嗟の声もものともせず、アルラスは機嫌の良さそうな態度で足を組んだ。


 まだ明るい頃にセラクタルタ邸を出発し、気づけば既に日が暮れている。今夜はどこかで宿をとることになるだろう。街道沿いには宿屋街も多い。




 ***


 翌朝、まだ日も明け切らないうちに出発した一行は、馬車の中でも全員が眠そうであった。


 薄暗い車内でうとうととしながら、リンナはふと目が覚めた。顔を上げ、そっと、向かいの席で並んで眠るアルラスとファランを見た。

 アルラスは黒髪で、体格が良く、顔立ちも無骨である。対するファランの髪色は明るくて、青年ながらもどこか優美な雰囲気があった。似ても似つかない二人は、しかし、同じ王家の血を引く血縁なのだ。


 二人はほとんど変わらない年頃に見えた。二十代前半あるいは半ばの、まだ若い姿だ。でも、この二人の年齢は、十倍近くも違う。


(この人が、知ってしまったらもう自由の身にはなれないほどの、重大な秘密なの……?)

 腕を組んで俯いたまま寝息を立てているアルラスを見つめる。


 ――不老不死。

 今でも、何か悪趣味な冗談ではないかと思っている。

(死の呪いを跳ね返して死ねなくなった人を、殺す方法)

 きっと彼は、普通に思いつくような方法はすべて試したはずだ。それでも命を終わらせることができなかったから、今も生きている。他に打つ手がないから、リンナのところまで来たのだ。


(私、この人を殺すための呪いを作らなきゃいけないんだわ)

 眉間に皺を寄せ、きつく目を閉じて眠っている姿を睨みつける。



 腰をちょっと浮かせて、リンナは前方の小さな窓を覗き込んだ。御者の肩越しに、白んできた空と黒々とした街の輪郭が見えていた。

 ちょうど駅から始発の汽車が出たところである。煙を上げた汽車が街の外縁から飛び出し、滑るように加速してゆく。薄らと雲のかかった青空に、黒煙がたなびく。


 もうすぐ人々が動き始めるころだ。


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