第39話 さよならはまるいかたち
何が起きているのかわからなくて、私は思わず辺りを見回してみる。すでに誰の姿もなかった。
置いて行かれてしまったのでしょうか。少し不安になっておそるおそる扉の方へと向かう。
向かおうとした瞬間だった。
階段へと続く扉が大きな音を立てて開いた。そして大きな声と共に誰かが中へと入ってきていた。
「おい、
その声が全てを言い終わるよりも早く私は走り出していた。
もう他の事は考えられなかった。
そしてその影に私は飛び込んでいた。
「え。」
その影の主がきょとんとした声を漏らす。
ああ。間違いない。また会えたんだ。
私はその影の主の名前をただ呼ばずにはいられなかった。
「
「
浩一さんは驚きを隠せないようですっとんきょうな声を漏らしていた。
私はでも浩一さんの名前を呼ばすにはいられなかった。
やっと会えた。ずっと会いたかった。
「どうしてずっと連絡をくれなかったんですか。あのあと私が目覚めたらもう浩一さんはいなくて、浩一さんは無事だったって何ともなかったって響さんから聞いたけど、この目で見た訳じゃないから信じられなくて。ずっと待ってたのに、浩一さんから大丈夫だったって一言連絡があるのをずっと待っていたのに」
私はあのあと何日も眠ってしまっていたらしい。
目が覚めた時にはもう浩一さん達は旅館を後にしていた。
私は浩一さんの連絡先を知らない。宿泊の手続きをしたのも響さんで、あとから連絡をくれたのも響さんだった。
だから私は浩一さんとあれ以来話していない。
「ごめん。君に何を言えばいいのかわからなくて、気が付いたら時間が過ぎていて。僕は偉そうな事を言って、結局未来を変える事は出来なかったし」
「ばかっ。浩一さんのばかっ。そんなことどうだっていい。私はただ浩一さんが無事でいてくれればそれでよかったのにっ」
私はただ泣き叫びながら浩一さんにすがりついていた。
今日の文化祭の誘いも浩一さんに会えるかもしれないと思って、こうしてやってきていた。
浩一さんはあの後、なぜか傷も全てふさがっていて一命を取り留めたらしい。というよりも、怪我なんてしていなかったようになっていたらしい。
それは私の力がなくなった事とも関係しているのだろうか。
理屈はわからなかった。そもそも私の力がどうして消えてしまったのかもわからない。
ただ浩一さんが助かった。それだけは響さんから話はきいていた。浩一さんは怪我なんてしていないから事件となることもなかった。そして他の事件もほとんど進展することも問題になることもなかった。
でもいまはそんなことはどうでもよかった。
浩一さんとやっと会えた事に心から感謝していた。浩一さんに会いたかった。会いたくて仕方なかった。
浩一さんが無事だとはきいていたけれど、それでもそれが本当の事なのか、こうして顔を合わせるまでどこか信じられないでいた。
それほどまでに浩一さんは消えかけていた。私の中に入ってこようとしていた浩一さんは、それを拒んだ。なのになぜこうして無事なのかわからなかった。
「ごめん」
浩一さんはひとことだけ、小さな声で謝罪を告げた。それからそっと私を包み込んでいた。
私の胸の中で心臓がはじけ飛びそうだと思った。胸の中で激しく鼓動している。
けれど浩一さんはそんなことはお構いなしに、私へとささやくように告げる。
「でも、たぶん僕が助かったのは君のおかげだよ」
「え?」
私は驚きを隠せなかった。私のおかげとはどういうことなのだろうか。私は結局浩一さんを救う事は出来なかったのに。
「君はいま僕が触れているのに、僕が考えている事に気が付いていないね」
「あ、はい。その、実はあの後から私の力は無くなってしまったのか、薄れてしまったのか、心が見えなくなったんです」
浩一さんは私の力がなくなった事に気がついていたようだった。そうでなければ浩一さんは簡単に私に触れたりはしなかったと思う。
私の力がなくなっている事に気がついているからこそ、それを知らせるためにあえて私を抱きしめてくれたのだろう。
「だろうね。これは推測に過ぎないけど。あの時、僕は確かに死にかけていた。君が自分の中で僕を生かそうとしている事もわかっていた。でも僕はそれを否定して自分の中に戻った。その時は死ぬ事も覚悟していた。でも僕は死ななかった。その時に一緒に君の力を連れてかえったのを感じていたんだ。そしてその力が僕を、宿主を生かそうとして輝きはじめたのがわかった。そうやって力が僕を生かしてくれたんだ」
浩一さんは少し私から離れて、私へと微笑みかけてくれる。
ずっと憧れていた普通の少女のように、私の事を見てくれている。
「だから。僕はいまこうしていられるのは君のおかげだよ」
「それをいうなら、私がこうしていられるのも浩一さんがかばってくれたからです」
「じゃあ、お互い様だね」
私の答えに浩一さんがにこやかに私へと笑顔を向けてくれた。
ああ、よかった。浩一さんは本当に浩一さんのままだ。
「あの。真希さんはどうしているんですか」
安心したと同時に気になっていた事を聞いてみることにした。
浩一さんを、好きな人を刺してしまったことで、強い衝撃を受けていたはずだと思う。ふさぎ込んでしまっていないかと心配になる。
「矢上か。これもどういう訳かわからないんだけど、あいつ旅行の間の記憶が殆ど残ってないんだ。敢えて理屈つけるならあの時に君の力が強く発動していたから、その余波に巻き込まれたせいなのかもしれないし、あるいは単純にショックの余り記憶を閉じてしまったのかもしれない。それとも残留思念から解放されたせいかもしれない。ま、わからないけどね」
どうやら真希さんも無事なようだった。
私はほっと息を吐き出す。これで真希さんが辛さを感じてしまっていたとしたら、私は申し訳なさでいっぱいになっていたと思う。自分勝手かもしれないけれど、彼女が苦しまずにいてくれて嬉しかった。
「事件のこともさ、麗奈が犯人がひげ面の男だったって証言してね。恐怖で記憶を取り乱して本気でそういってるのか、あるいは矢上が犯人だという事を知ってて庇っているのかはわからないけど、僕も響もあえて何も言わなかった。警察も被害者本人の言う事を疑ってはいないみたいだ。だから矢上とは今でも仲良くやってるよ。僕と一緒で学祭実行委員になってしまったから、僕も矢上も一週間くらい殆ど家に帰ってないし、他の仲間達の誰とも会ってないけどね」
浩一さんは両手を広げて、やれやれといわんばかりに呆れたような態度をとってみせる。
でもその中に喜びが混じっている事もすぐに見て取れた。ああ、良かった。悪いことにはならなかったんだ。
私は安堵のあまり、思わずずっと連絡をくれなかった浩一さんに、ちょっと意地悪な事を言いたくなってしまった。
「なるほど。どうりで浩一さん、少し匂うと思いました」
いたずらな事を告げて、じっと浩一さんを見つめてみる。
浩一さんは慌てて袖口を鼻に当てて匂いを確かめていた。
「え、ホント? いや、その。……ごめん」
浩一さんは少し私から離れて、ばつが悪そうに鼻の頭をかく。
「君と会うなんて思ってもいなかったから」
「冗談ですよ。そんなに気になるほどじゃありませんから。それより」
私は思わずふりかえって、それから屋上のフェンスの前まで走り出していた。
これだけ離れていたら、泣いているのをごまかせているだろうか。もしかしたらわかってしまっているかもしれない。それでもうれしさのあまりに涙がこぼれるのを隠していたかった。
涙をぬぐって、少しだけ時間をおく。気持ちを落ち着かせると、私は浩一さんの願いを叶えようと思う。だから浩一さんがみたいっていっていた、心の底からの笑顔をみせながら振り返る。
「だったら。浩一さんの願った通り、さよならはまるいかたち、ですね」
私の言葉は浩一さんに届いているだろうか。浩一さんもそう感じてくれているのだろうか。
でも浩一さんは私をじっと見つめて、それから少しずつ私の方へと歩みよってくる。
スカートとショールが風で揺れていた。
あのとき海辺の崖沿いで、浩一さんがみた未来のように。
でももう私は言わない。言わないでいいんだ。
一緒に死んでくれますかって、もう言う必要がない。
浩一さんは私のすぐ前まできて、それからほとんど泣き出しそうになっている私の顔をじっと見つめて。それからまっすぐな言葉で私を包み込んでいく。
「桜乃さん。かつて君は言ったね。私と一緒に死んでくれますかって。だから今度は僕がいうよ」
浩一さんは私へと手を伸ばす。
「桜乃さん、僕と一緒に生きて欲しい」
その言葉に私は全てが報われたような気がしていた。
もう私は死ぬ事を考えなくてもいいんだ。私は生きていていいんだ。
「はい」
私はもうそれだけしか答えられなかった。顔はぐちゃぐちゃに崩れて、完全に涙がこぼれていたけれど、もうそれを隠さなくてもいいんだ。
私は浩一さんがいてくれたおかげで、前に進むことができた。
浩一さんの見せてくれた未来は、確かに私を救い出してくれた。
それどころか、私が壊してしまったものすらも、無かった事にしてくれたんだ。
私が目を覚まさずにいた間に、代わりに母が目を覚ましていた。もう壊れたままで救われないと思っていた母も、私の力がなくなったからかもとのお母さんに戻っていてくれた。
そのことに私がどれだけの救いを感じたか、知っていますか。
浩一さん。浩一さん。
貴方はどうしてこんなに奇跡を起こせるのですか。
私は貴方になんていっていいのかわかりません。
本当に私は貴方に救われたんです。
だから私は、貴方のことが。
「浩一さん……大好きです」
私は浩一さんの胸の中に飛び込んでいた。
浩一さんは私を軽く支えるように抱きしめてくれた。
浩一さんが願った「さよならはまるいかたち」を叶えられた事に。私はただ。
ぬくもりを覚えていた。
了
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