三 濡れそぼる運命 五

 岩瀬は、頭の中で早くも記事の出だしをまとめ始めていた。


「待ってくださいよぉ」


 甘えるような、切羽つまった声が彼を引きとめた。


「どうした?」

「せっかくですし、少し歩きませんか?」

「何故だ」


 ケガが治りきってない以上、余計な消耗は避けたいところだ。


「だってほら……どうせなら川の雰囲気なんかも掴んだ方が記事の奥行きが深まると思います」


 恩田の主張に、岩瀬は自分の消極性が薄まっていくのを感じた。書くからには、できれば品質の豊かなものを書きたい。その欲求は捨てがたかった。


「それもそうだな」


 返しかけたきびすを戻し、岩瀬は橋の上流と下流を交互に見やった。下流に行けば、街に近づくし帰るには便利だ。


「あそこの山、登れるなら登ってみませんか?」


 恩田が指さした山は、彼女がくる前に岩瀬も目にしていた。なるほど、距離といい高さといい日帰りでどうにかなりそうだ。


「うん、登ろう」


 岩瀬は足を踏みだした。半歩遅れて恩田もついてきた。


「先輩、この辺りのことって調べたんですか?」


 恩田は、橋よりも岩瀬の横顔に注目していた。


「少しはな」

「わっ、勉強熱心! 真面目ですね。あたしは全然です」

「誰だってそんなもんだろ」

「じゃあ、どうして先輩は調べたんですか?」

「暇潰し」


 橋を渡り終え、岩瀬は土手道に入った。恩田が遅れないよう、意図的に歩調は緩めている。


「暇なときには音楽聞いたり動画見たりしないんですか?」

「しなくはないな。ただ、今回は久しぶりの会活動だったしちょっと熱心になった」

「へー、ちなみにどんなことがわかったんですか?」


 どうせなら記事という形で知って欲しいと思う反面、関心を持ってくれたからには語りたいという気持ちも湧いてきた。


「水門は昭和の始め頃にできた。塩害対策だそうだが、もう役割を終えたな」

「先輩なら、川の記録とか語りだしちゃうかと思いましたよ」


 恩田はくすくす笑った。


「おいおい、雑学オタクじゃないよ俺は」

「あっ、リンドウだ」


 急に話題が変わり、岩瀬は精神的につんのめった。


 恩田が口にしたとおり、土手の斜面に沿ってリンドウがまばらに咲いている。


「先輩、ちょっと止まっていいですか?」

「ああ」


 岩瀬が恩田の要望どおりにすると、恩田はしゃがんでスマホを構え、リンドウを写真に撮った。


「俺の足まで画面に入ったんじゃないか?」

「そうですよ。遠近感がでて面白いじゃないかなって」


 岩瀬は困ったように首をひねった。


 再び歩き始めて、途中から土手道を降りた。さらに十分ほど時間が過ぎた末に、山裾と登り口が二人を迎えた。脇には簡単な地図を記した看板がある。


「県立すずり山公園、ですって。展望台もあるみたいですよ」


 登り口からは、中央に手すりがついた緩い傾斜の階段がついている。

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