三 濡れそぼる運命 一

 もう神出のことはいい。薄情だと自覚はしている。しかし、好意的に接したことはない。『追悼行事』も固まりつつある。たとえただの形式であるにせよ。


 バスが自宅に一番近い停留所で停車した。運転手に一言礼を述べて、岩瀬は降りた。自宅まで徒歩三分。


「ただいま」


 鍵を開け、自分しかいない部屋に向かって土間から声をかけた。


 靴を脱いで廊下に上がり、食堂のテーブルに薬や本を置く。それから椅子に座った。


「あーっ」


 誰もいないのをいいことに、心から息を吐きだした。


 本よりなにより、一休みしたい。それくらいしてもバチは当たらないだろう。


 ぎこちなく服を脱いで、アザだらけの両足に湿布をはっていった。ついで腕にも。臭いが少なくてありがたい。温湿布なのもすぐわかった。ゆっくりとパジャマに着替えてから、さっさとベッドに横たわった。


 たちまち眠りについた岩瀬の精神に、夢がやってきた。


 まっ暗闇の中で、なにかがうなりを上げている。生き物ではなく機械のようだ。低く、重苦しい音だった。


 墨を流したような空間をあてもなくさ迷っていると、急にまばゆい光が顔を照らした。思わず腕で顔をかばうと、ドアが開く音がする。建物ではなく、車輌のそれだった。


 車輌はワゴン車のように思えた。白塗りのような、白く光っているような色合いだ。ドアを開けてでてきたのは数人の大人達で、一様にヘルメットをかぶり作業服めいた衣服を着ていた。それらもまた白だった。


 彼らが近づいてきたところで、目が覚めた。枕元のスマホで、宵の口をすぎたところだと知る。


 部屋の明かりをつけてパジャマを脱いでから、効果の切れた湿布をはがしてゴミ箱に捨てた。そして、なにはさておきシャワーを浴びることにした。


 浴室で改めて自分の身体を点検すると、あちこちアザだらけになっていた。一週間もすれば回復するだろうが、ぎしぎしと痛みがまとわりつく。


 シャワーノズルからほとばしる湯をかぶると、思わずうめき声がでた。不潔なままよりましなので我慢し、身体も髪もきれいに洗った。痛みはしつこく残るものの、少なくとも衛生面ではさっぱりした。


 次は食事だ。服を着がえてから冷蔵庫を漁り、残り物のポテトハムサラダをだした。一応、自分で作ったものだ。米は昨日炊いた分がまだある。いただきますもいわず、岩瀬は黙って食べた。孤食だの黙食だのは苦にならない。それより、さっさと食べて薬を飲んでから本を読みたい。


 二十分ほどして、洗い物まですませた彼はようやくとりかかることができた。


 『合理主義と新大陸の魔女』。食事が終わったばかりの食卓で開く本としては異様な題名だ。

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