アーカイブ11:すべては配信外に起きていた(3)
終始、兄貴は無言だった。
内海が当時のことで謝罪しても、兄貴は何も言わなかった。
「そういや、うつーちゃんのお兄さんは、今どうしてるの?」
苅田が不思議そうに首を傾けて、内海に訊ねた。
「もういないんだ。五年生のとき、家を引っ越した直後、兄貴は交通事故で亡くなって」
「そうだったんだ。ごめん。聞いちゃって」
「いや、いいんだ」
「あ。でも、ご両親は健在なんだよね?」
内海は少し言い淀んだ。
「兄貴が亡くなったあと離婚したんだ。父さんが出て行ったんだ。でも生きてるし、俺がトレンドで騒がれてるのを知って直ぐ連絡くれたから音信不通ってわけじゃない。母さんには結構心配を掛けてしまって。実は今入院してて。検査入院だけどね」
知らなかった。引越し以降どうしているのか連絡を取らなかったが、内海家には色々な不幸が重なっていたらしい。
「徳最くん。本当にごめん」
内海は俺にも謝罪した。もともと弟のために兄が、けしかけたことなら、俺がとやかく言うことではないからだ。
「もう良いよ。というか、最初に聞いたときはショックより、裏でそんな事があったとか信じられなくてさ。現実味がないというか。てか、誕生日会って、そもそも俺たちが六歳のときだからな。ケーキ食って皆んなでテレビ囲んでゲーム大会して騒いだじゃん。そういう薄っすらとした景色をぼんやり思い出すくらいだしな。兄貴が許したなら、もう気にすることじゃないさ」
俺は兄貴を見た。目配せしたのだ。内海が謝罪してるのに、何も言わないからだ。
兄貴は短く息をついた。
「わざわざ来てもらって悪いな。だが俺にゲームで八百長を持ち掛けたのは、兄貴の方だ。君も何かを言ってはいたが、忘れたよ。というより、そもそも八百長や脅迫の意味を完全に六歳児が分かっていたとは思わない。謝罪は立派だが、本来ここに来るべき人間はもうこの世にはいない。この件で責める相手はいないんだ。君は、もう気にしなくていい」
内海は再度お辞儀した。
「それじゃ、俺は仕事に戻るよ。お前らも、さっさと帰れ」
兄貴が部屋から出て行こうとした。
「あ。ちょっと待ってください!」
苅田が走り出して、扉から出て行こうとする兄貴を止めた。引き止められた兄貴は振り返り片眉を釣り上げた。
「何だ?」
「あの、ここに『みやちゃん』って人いますよね?」
「みや、ちゃん…」
「そうです。えーと本名は宮本典明っていう方です。ここで事情を聞いてるんですよね?」
兄貴の表情が一気に無表情に変わった。何も悟られまいとする緊張を走らせた黒い目が、苅田から俺に一瞬視線が移った。
怖っ!
さっきまで内海に「もう気にしなくていい」と穏やかに話していたのに、温度が違う。
これは仕事モードだ。まるで他人のように振る舞うところに直ぐ切り替わるから、壁一枚を隔てたような“重い圧”を感じた。
「悪いが何も答えられない」
冷たい態度だ。
「伝言もダメですか?」
「ダメだ」
俺は、ハッと思い出した。『見届けたい』と言いながら、実は本来このために付いてきたのではないか。
「苅田。兄貴に何かを頼んでも個人的なことを聞いてもらえることは絶対ない。やめろって!」
「でも! オレは、みやちゃんがテントさんに何かしたとか絶対あり得ないから! そんなの有り得ないんだよ!」
「どうしてそう言える?」
兄貴が訊ねた。
「それは、オレなら分かります。みやちゃんに実際会ったことあるし! 前に編集の依頼もしたことあって、凄く丁寧に仕事をする人なんです。テントさんのことも『応援してあげてね』って言ってたし。めちゃくちゃ優しい人なんです。テントさんに手をあげたりなんかしない。ちゃんと調べてください!」
息を切らしながら苅田は叫んだ。だが何の証明にもならないだろう。ただ擁護しただけだ。
「もうよせ。苅田。悪いな兄貴。苅田も配信者なんだ。百万人に到達したら遊ぶ約束もしてて」
苅田は振り返った。
「ごめん。オレ、どうしても信じられないんだよ。テントさんが死んじゃったことに、みやちゃんが関わっているなんて。オレが配信者になる前にさ、テントさんの二十五万人記念配信を見たことがあるんだけど。ソロキャンプ生活二十五時間配信をしててさ。その配信中にだよ、面白かったハイライトシーンを切り抜いて、デューヴに動画が上がったんだ。ライブ配信が進行してる最中に、同時進行で動画編集して投稿なんて、絶対一人じゃ出来ないからね! 連携が凄いなって。ずっと思ってた。リスペクトしてるのよ。みやちゃんの切り抜き動画、本当に天才的で面白くて。そんな人が、どうしたら人を殺せんのよ? いやいや、何かの間違いだと思うんだ。そりゃあ、付き合いも長くなれば喧嘩くらいするかもだけど。テントさんは、いつも冗談ばかり言って適当なことを話したりするときもある。でも、そういう性格を、みやちゃんは知らないはずがないだろ!」
俺に言われても分からない。実際に何があったかなんて、当事者にしか分からないことだ。
会議室の扉が開いた。
「あ。先輩。ちょっと!」
部下だろうか。兄貴に何か耳打ちした。
「直ぐ戻るから先に行け」
「分かりました」
部下らしき署員は部屋から出て行った。
「用事は済んだな。さっさと帰ってくれ」
兄貴は会議室のドアを開けた。
部屋から出るように言われて、俺たちは外に出た。苅田と内海は階段に向かったが、俺は足が止まった。
事件のことは分からない。苅田の話には、俺は正直興味もない。だが引っかかることが一つある。
「苅田。内海。悪い。先行っててくれ!」
急いで走って戻り、角の廊下を曲がった。兄貴は廊下の反対側にまだいた。
「兄貴!」
天井を仰いだ兄貴は、ゆっくりと振り返った。こちらを向いて、うんざりした顔だ。
「まだ何かあるのか」
「違う。事件のことじゃない。昔のこと!」
「昔?」
「俺は、別に兄貴に助けてもらわなくても、苛めの標的になったとしても、そんなもん怖くねぇし。もしあったら普通にボコしてるから!」
あの頃、ゲームに負けた兄貴を見て『なんて良い気味だろう!』と心の中で何度も思った。内海に『おめでとう!』と賛辞を送ったが、今更訂正など無意味だろう。
それなのに無双無敗の兄貴が俺のために、負けたとか。今でも有り得ないと思うし、気持ちが悪いのだ。
「それだけさ。言いたかったのは。それじゃ」
踵を返した。急いで苅田のところへ戻ろうと一歩足を踏み出した。
「ミスだ」
「え?」
何を言ってるのか分からない。
振り返って兄貴を見た。
「あれは、ミスだった」
「ミス?」
「そうだ。俺のミスだ。あのとき、お前、誕生日のあいつを応援してただろ?」
「そりゃ、誕生日だからな。応援するのは当たり前じゃん?」
「それだよ。お前が内海を応援してたとき、俺は、普通にレースをやって勝つ気でいた。お前が教室でクラスメートから無視やボコボコにされても別に良いかと考えてた。だが人として、それはどうなんだと良心も働いた。フラフラ考えている内に、集中が途切れて手元のコントローラーをしくじってしまった。タイミングよくブーストさせることが必要だったのに、ゴーカートは失速。負けたのは、俺の完全な操作ミスによるものだ」
「なにそれ。そんなこと、さっきは一言も」
「俺は今も強い。お前が、どんなに練習を積んでもな」
一歩、兄貴は前に踏み出す。
「宇宙」
「なんだよ?」
「お前は決して、俺には一生勝てない」
肩を、ポンッと叩かれた。痛い。
兄貴は、くるりと背中を向けてスタスタ歩いていく。
俺は兄貴の言葉を反芻して、フツフツと怒りが込み上げてくるのを感じた。
ゴーカート。何千回も、やってますけど?
てか、許されるならDDの殺人鬼対決でもやって、兄貴を今すぐボコボコにしたい!
「はぁぁぁああああああ?」
やっぱり兄貴は、兄貴だ。
優しさなど昔からないクソ兄貴だ。
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