アーカイブ11:すべては配信外に起きていた(1)
「……センパイ、先輩! 徳最先輩!」
強く名前を呼ばれた。深い沼から引き上げられるように大地は目蓋を開けて、大きく息を吸い、椅子から姿勢の悪い上体を起こした。
ついでに大きな
「先輩、見過ぎっすよ。まさか宮本が部屋で見てたデューヴの動画の履歴を全部見たんすか?」
大地のパソコンモニターはデューヴを映したままだ。停止ボタンを押してないので、動画は再生されっぱなしである。
「一通りは」
「マジっすか。結構ありますよね。動画も長いものばかりだし、よく見れましたね?」
大地は壁掛け時計に視線を走らせた。とうに昼は過ぎていて十四時だ。井上の机の端には白いビニール袋が置いてあった。どうやら近くのコンビニで買って来たらしい。
「倍速視聴したから目が疲れたよ」
「なるほど。あ。でも見終わったなら、何でまだデューヴを観てたんすか?」
「山河の過去の配信だよ。聞いていたら眠くなっちまった」
「それ思ったんですけど。山河が愚痴を話してるのがあったとしても『良い加減なことを言って。ははは』みたいな感じで宮本は笑っておしまい。じゃないすか?」
「何も収穫がなかったわけじゃない」
「え。本当っすか!」
机の上のプリントやファイルを片付けていた井上の手が止まる。驚いた顔で大地を見た。
「九十万記念の雑談配信で視聴者から祝いのコメントが流れていたときだ『ありがとう。ずっと一人で頑張って寂しくて大変だった。けど皆んなのお陰でここまで来れたよ』と酒に酔った山河が話してた。宮本が聞いたら一人で頑張って、というのは異議を立てるところじゃないか?」
「あー。確かに。愚痴じゃなくて、そういうのも動機になるんすね?」
「いや。弱いな」
「え?」
「こんな一言でイチイチ殺意なんて普通湧かないだろ。他に過去の記念配信も見てみたけど、そういうポロっといらない一言を零してるのはなかった。登録者数が五万とか十万くらいのときは、編集が大変というのを愚痴ってるのはあったけど、山河に全部編集を任せたあたりからは愚痴らなくなった。それで宮本が一時的に編集を抜けたのが三年前。口座に山河からの報酬が途絶えていた頃だ。山河は編集が変わって、配信上で登録数を伸ばすのはどうしたらいいか、他の配信者に相談してた。でも、それは宮本とは関係ないことだからな」
「じゃあ収穫っていうのは?」
「だから過去のアーカイブで宮本の怒りを買うような発言は、やっぱりなさそうというのが収穫になりそうだってことになる。過去の動画じゃなくて、もっと現実的に殺意を湧かせたことが他にあるんじゃないかって思うんだ。俺の個人的な意見だけどな」
まだ眠気のする顔を掌で撫で付けて、大地は席を立った。
「あ。井上。石田と木下は医者の話を聞きに行ってるんだよな。まだ連絡なしか?」
彼らは宮本の主治医だった男に事情を聞きに行っているのだ。メールから判明した元医師とのやり取りから、病院に通っていた話が出たため宮本の自宅を再捜査した。出てきた診察券とメールから判明している医師の名前を
今の病院関係者らは宮本典明のことを知らないと答えた。そのため当時の主治医に話を聞かなければならなくなったが、当時の主治医は既に退職。それが診察をもうしてないのかと宮本が訊ねたメールの相手であったのだ。
「まだ連絡はないですね。聞きに行くだけなら一時間で済みそうですけど、もう三時間以上経ちますね」
「そんなに経つのか」
井上に起こされていなければ、まだまだ自分は寝ていたかもしれない。睡眠時間を削って配信視聴してたのが、やはり良くなかったか。
宮本が自白してくれたら徹夜することもなくなる。殺したのか、殺してないのか。それさえハッキリ分かれば事件は直ぐ片付く。
大地は両頬を軽く、ペチッと叩いた。
「でも大昔の患者さんのことですよ。聞いても覚えてないんじゃないすかね。大勢を診てるわけだし。通院は一年くらいで、それも山河と出会う前の話じゃないすか。何の接点があるのか、そこまで調べる必要あるんすかねぇ?」
「それは聞いてみなきゃわからないさ。何で山河と繋がっているのか明らかになれば直ぐ解決できそうな気がする」
「気がする、だけですかぁ?」
大地が「おい」と、揚げ足をとるなと指摘しようとした。
井上は電話の鳴った受話器を直ぐ手に取った。ようやく石田と木下からの連絡である。メモ帳に走り書きをしている井上の手元を大地は覗いた。
元医師は、心療内科の医者から転職してキャリアコンサルタントに大きく肩書きが変わっていたようだ。
「それでは木下先輩、お疲れ様です!」と通話を終えた井上は、ふぅと大きく息を吐く。
「長かったな」
「いやいや先輩。大変っすよ。まず聞いてください!」
井上は机上に置いていたメモ帳を読み上げた。
「まず十一年前の通院について。頭痛や聴覚の不調、吐き気や不眠症、自律神経失調症の症状があったそうです。宮本には婚約者がいたそうで、浮気をされたと。慰謝料を請求して婚約者の家族とも揉めたって話です。そのあと、デューヴに奴は投稿してたんですよ!」
「え。デューヴ? 宮本はデューヴに投稿してたのか?」
「ええ。彼女は三人くらいの複数の男と当時付き合っていて、内一人は宮本の大学時代の友人、他は彼女の学生時代の友人、そして、宮本の職場で働く先輩も入ってました。やばい彼女ですね。酷い裏切り方です。相当にムカついたんでしょうね。それで、そのことを当時のデューヴに投稿して鬱憤を晴らしていたと。石田先輩がデューヴを数件確認したところ、婚約者の家族から『どうか娘のことを許してやってくれ』と言われたことを暴露してたと。それで再生回数が凄く回って一部の視聴者から『止めろ』『汚い』『お前も晒してる時点で最低だ』みたいな誹謗中傷を受けたんですよ。当時は大手商社のサラリーマンでしたが浮気相手もいたんじゃあ働き難いですしね。会社も辞めて、心療内科に通うことになったみたいです」
人間不信になった宮本は、相当精神的に追い詰められた時期があったようだ。
「その婚約者の名前は分かるか?」
「はい。
メモ帳を机に置いて、井上は白いビニール袋からエナジードリンクを取り出した。
「あ。先輩も飲みます?」
手渡されて大地は受け取った。本来、飲まないが考え事をしていて、脊髄反射で手を伸ばしてしまったのだ。
「先輩?」
「聞いたことがある」
「え?」
大地はパソコン前に再び戻り、エナジードリンクを机に置いてデューヴの履歴ページを画面に映した。
「これだ」
井上がエナジードリンクを持ちながら、大地のパソコンモニターを覗いた。
「
「宮本が部屋でデューヴを見ていた履歴の中にある一つだ。山河を死なせて部屋に戻ってから、彼女の卵料理を見ていた。同じ名前に、すみれとある。結婚指輪もしてる。旧姓は、恐らく寺島じゃないか?」
目を丸くした井上は、声にならない声で「まじ!」と言葉を洩らす。
大地は、ふと思い付いた。
「旧姓も直ぐ確認しなきゃいけないが、他にも確認は必要だ。あの筆頭株主だったとかいう泉にも直ぐ確認してくれ。いや念のため、わく動にも確認が必要だ」
「え。何をです?」
大地が井上に指示をしたとき、刑事課の扉が開いた。婦警だ。
大地は名を呼ばれた。それからポケットからスマホを取り出してみると、寝ている間に何十通も宇宙からの通知が来ていたらしい。
「こんなときに」
大地は溜め息を溢し、舌打ちをした。
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