アーカイブ9:宮本典明はどうして死なせた?(2)


「ご足労掛けてすみませんねぇ。指紋提供も大変助かりました」


 田畑警部補が行きに持参した紙カップのコーヒーを、泉瑛一いずみえいいちは一口すすり、和かに微笑んだ。資産家の聴取というから良い物を食べてそうな中太りした中高年で、ブランド服に身を包み大きなダイヤの指輪や金のネックレスをしていそうな風貌を大地は想像した。だが予想とは違った。泉は細身で黒い革のコートを着ていて黒いタートルネックに、黒のストレッチパンツを履いていた。靴は真っ白なスニーカーだったが、全身ノーブンドであった。


「いえ。捜査にご協力するのは市民として当然ですよ。先週末、自宅にいらしたとき、無碍むげに返すわけにもいきません。刑事さんたちも、お仕事なんですからね。断る理由はありません。だだ驚きましたよ。再度呼ばれるとは思いもしなかったので。もしかして私は疑われているのか、又は逮捕されるのでしょうか?」


「いえ。そうではなく、むしろ消去法で排除しなくてはならないときもあります。山河さんの住まいから不明指紋が複数出て、その内の一つが、あなただった。でも問題は事件当夜に付いたものなのか、我々は確認をしなくてはいけない。もちろん泉さん。あなたが二月十九日に山河さんの自宅にいなかったことは確認済みです。出国記録も確認させていただきました。まぁ我々の用語でいうと、あなたはシロです」


「ほぅ。そこまで確認されるとは。しかもシロだと御墨付き。ははは。面白い。いや笑っちゃいけないな。知り合いが亡くなったばかりだ。これでも結構ショックを受けているんです」


「本当に今回は、お悔やみを申し上げます。生前から山河さんと親しくされていたことは捜査員より伺っています。今日は改めて再度ご確認したいことがあり、図々しいのですが、またご協力いただけますと助かります」


 軽く田畑警部補は頭を下げた。


「あ。頭上げてください。分かりました」


「恐縮です」


「それで確認したい事とは何でしょうか?」


「まず部屋にあった指紋です。念のため、お伺いします。部屋に入られたことはありますか。または入ったことは一度もありませんか?」


「ありますよ。部屋に訪問したことがあります。山キャンプを昨年の夏と秋にしたときに、機材類を車に運ぶ際、部屋に入ったことは何度かあります。その際、ゲーミング関係の機材を部屋で拝見して新しくしないかとか、逆に新しくしたのかとか尋ねたことがあります。椅子とかマイクとかモニターに。まぁ。パソコン関係には大方触りましたね」


「なるほど」


「でも私が事件当夜にいなかったことは分かっているのに、指紋が付いていたことを確認なさるのは何故なんでしょうか?」


「事件当夜、海外旅行に出掛けられていたとしても、もしかしたら無断で誰かがイタズラに仕掛けていた場合、捜査妨害か撹乱させるためだったかもしれない。そういう視点を潰すためにも確認が必要なのです」


「はぁー。捜査妨害に撹乱ですか。彼とはトラブルもなく至って友好的な関係だと思いますが。いや、というより罪をなすりつけるような人でも事件を起こすような人でもないのに」


 宮本典明のことを言っているのだろう。


「更に、お尋ねさせて頂きたいのですが」


 低姿勢に田畑警部補は尋ねた。物理的に目線も少し下から見上げるように、泉を見つめる。


「はい。何でしょう?」


「まず山河さんにメールを送られていた件についてです。捜査員より伺っていますが、山河さんと親交が深かったそうですね。『良い思い出になるから夏会議に出てみないか?』という出演交渉を、どうして泉さん自身が行っているのか不思議に思いました。ま、少々調べましたところ元わく動社員であるそうですね。しかし退職から五年経ちます。どのような経緯で交渉に至ったのか聞かせて頂けないでしょうか?」


「へぇ。そんなことも聞くんですか。いや別に。まぁ警察に嘘は付きたくないので正直に言いますが、単純に恩を売るためですよ」


「恩を売るためというのは、何に?」


「わく動の親会社にです」


 田畑警部補は、浅く頷いた。


「はぁ。なるほど。親会社に、ですか」


 白々しい。田畑警部補は、初めて聞くような態度で訊ねているが、ややあざとい。親会社のことも、泉のことも既に熟知している上で訊ねているからだ。


「刑事さんは色々とお調べになってから私を呼んだのでしょうから、もう知ってるんでしょ。私が、一時期わく動の親会社の筆頭株主だったことも既にご存知なんですよね?」


 泉にも、あざとさは既に見破られていたか。


「すみません。職業上、何かと確認が諸々必要でして」


 バツの悪そうに田畑警部補は頭を掻いた。


「いえ。怒っちゃいません。逆に安心しましたよ。なので元わく動社員が、その後、親会社の丸川ホールディングスの筆頭株主だったのに、株を売却して、数年後にどうして山キャン配信者に夏会議への出演交渉を私がするのか疑問なんですよね。金はあるのに、恩を売るためとか言われても不思議に感じるんでしょう?」


「ええ。他にもエンジェル投資家として若いベンチャー企業へ出資されていたり、また資産運用や財テクの配信、趣味の山キャンプや旅行のVlogといわれる動画投稿の活動も存じております。資産家で、お金には困っていないのですから、親会社から得られる恩とは何なのか気になります」


「単刀直入に言うと、私が主催するeスポーツ大会のためです。資金は豊富なので大会を開くことはできます。しかし視聴数というのは、お金では買えません。出演者のリスナーだけに見てもらうのではなく、より多くのリスナーに大会があることを知ってもらいたい。一回の開催だけじゃなく次回も開催は続いてほしい。そこで丸川ホールディングスに、恩を売る。わく動コンテンツ内にeスポーツ大会への紹介が可能となるからです。それでタイミングよく丸川の役員から、内々に私宛へ相談が来たんです。私の過去の個人配信で、テントさんと親交があるのを、わく動社員の誰かが知り何とか出てもらえないか、わざわざ役員にまで声が届いたのでしょう。悪い話ではありませんでしたから、出てもらえるかどうか分からないけど、わく動内に大会紹介へのバナーや広告などを無償で引き受けてもらえるなら交渉してみると言ったんです」


「なるほど。そういう経緯でしたか。でも有料広告を出したって、財布的に痛くないのではとも思いますが」


 泉は深く頷く。


「仰りたいことは分かります。有料広告なんて実際支払っても痛くも痒くもない。けれど、単純に有料で頼んでもダメなんですよ。丸川ホールディングスの支援を受けることも条件にしましたから。eスポーツ大会のスポンサーとしても企業名が載ります。個人が開く大会に大手企業の名前があることで、有名選手や人気配信者は参加をしてみたいと、わくわくさせることができる。わく動の名前だけでは、まぁ単純に言うと大して釣れない。参加者を多く増やすには、大きな会社から支援を受けていた方が断然いい」


「はぁ。なるほどねぇ。流石と言いますか、本当に出演交渉のプロなんですねぇ。しかしまぁ、あなたの配信を見て親交が深そうだと、わく動側の社員が見抜いても、丸川側の役員さんが出演依頼の交渉を、あなたに持ち掛けるのは少しイメージできない。わく動の社員が出演交渉ができないと子会社から泣きついた報告が上がって、親会社に何とかしてくれと毎回頼むことになる。そんなことあり得ますか? 丸川からの依頼は変だと思いませんでしたか?」


 泉は小さく息を付いた。少し眉も下がる。


「刑事さんには敵いませんねぇ。とても鋭い。ただ出演依頼をどうにかしてくれと訴えてきた真の意味は私も完全には分かっていませんので、ご容赦頂きたいのですが」


「ええ」


「ぶっちゃけて言うと、わく動のリアルイベントというのは毎回赤字事業なんです」


「赤字ですか!」


「はい。丸川としては、わく動運営が上手くできてない。というか下手なんです。収益化を図れないから、どうにかしたいと常に考えてる」


「つまり丸川は、逆にあなたに恩を売ってるということですか」


「そういうことです。かつて私が、わく動に勤めていた頃、流れるコメント欄に投げ銭機能を付けようと社内提案しました。しかし全く受け入れられなかった。デューヴでは今それが当たり前になっています。ところが今年の春からですよ。わく動は、ようやくコメント欄に投げ銭ができるという話を、丸川が昨年の株主総会で発表しました。本当に、あまりにも遅すぎる。配信事業を見縊みくびってるとしか思えません。一昨年くらいに丸川を売却するに至ったのも、丸川のトップを始めとする役員諸々は皆んな爺さんばかりで、わく動の未来を誰一人きちんとみれる人がいなかった。総入れ替えでテコ入れしても良かったけど、丸ごと変えたら当然社員は不安になる。優秀な社員でさえも抜けて、穴埋めを誰にするかとか諸々を私が担うのはしんどい。ならいっそのこと、ゼロからやりたいことを自分でしたらいいと思い直して売却した。今になって私になんとかしてもらいたい的な態度で依頼が舞い込んでも、利益になりそうなことだけを引き受けるだけです」

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