アーカイブ8:山河鉄男はなぜ死んだ?(5)


「夢東響子さん、ですね?」


 会議室を開けた大地は、長机の並ぶ一番端に配置された隅の椅子に座る女性に声を掛けた。


「あ。どうも。先程は、お電話で失礼なことを言ってすみません!」


 夢東は直ぐに椅子から立ち上がり頭を下げた。


「いえ。この度は、署員が失礼しました。最近は詐欺で警察を勝手に名乗る輩が多いので勘違いするのも無理はありません。どうぞ、お掛けになってください」


 聞き込みで手の回らない署員が――山河鉄男が――かつて勤めていた法律事務所の人間に話を聞くリストから夢東響子に電話を入れたのだ。ところが署まで直接来てもらい話を聞く手筈だったが、電話での詐欺被害が横行している昨今、彼女は勘違いをして直ぐ通話を切った。何とか説得をして来てもらったが、受付にやって来るまで信じていなかったという。


「徳最先輩!」


 会議室の扉が開いて井上巡査がやってきた。


「ああ。ありがとう」


 井上巡査から持参したプリントアウトを大地は受け取った。


 夢東は、もう一人制服警官がやってきて心配そうに顔を見上げた。


「あ。彼は聴取を記録する担当になります」


 夢東の真向かいに、井上巡査がノートパソコンを置いた。


「今日お呼びしたのは、山河鉄男さんについてお伺いしたいことがあります」


「え。山河くんですか」


「ええ。彼は一週間前に亡くなりました」


 夢東は驚きと戸惑いの表情で目を見開いた。


「え、じゃあ。やっぱり今朝のニュース。山河くんのニュースだったんですね」


「やっぱり、というのは?」


「ニュースで見たとき、山河くんの住んでいる地域だったから、彼のことだったら嫌だなって思ったんですよね。電話しようとも思ったんですが、なんだか怖くて。結局掛けなかったんですけど。また、どうせ会えるだろうと思って」


 夢東響子は両腕をクロスするように、自身の二の腕を互いの掌で摩っている。薄いグレー色のコートを着用し、ふわふわの毛皮が首元を覆っている。見るからに暖かそうだが、寒いというより恐らく自身を落ち着かせるための無意識な行動なのだろう。


 大地は、プリントアウトに目を落として、夢東響子の目の前に置いた。


「こちらを見て頂きたいのですが」


 彼女は紙に視線を落とした。


「これ――」


「今から一ヶ月くらい前。一月三十一日の水曜日、午前九時過ぎにあなたが山河鉄男さんにメールをした『元気そうでよかった。また今度飲みにいきましょう』という内容です。この六時間後、山河鉄男さんはあなたに、こちらの文面を送りましたよね?」


 大地はプリントアウトされた二枚目の紙を、夢東に見せた。


「メールの返信に『昨日は楽しかった。夢東さんも元気そうで、なにより。どうかお幸せに。山河』という内容です。二人で直接会われていた、ということでしょうか?」


「ええ。飲みに行きました。あ。でも『楽しかった』というのは、変な意味じゃ全然なくて。勘違いして欲しくないのですが、山河くんとは、そういう関係ではないので」


 体の関係はなかったと話しているのだろう。少し弁明じみているが、焦って話しているようにも見えた。


 会議室で最初に会った瞬間だ。左手薬指の指輪の存在に、大地は気づいていた。フェイクで付けている場合もあるが、既婚済みで遊びで楽しんだ、とも取れる。


「すみませんが飲みの席で、どのようなお話をされたのか具体的に教えていただきたいのですが」


「あの。私そこそこお酒も飲んでいましたし、一ヶ月も前のことなので、全部はよく覚えていないんですけど」


「覚えていることで良いです」


 無意識なのか夢東は、仕切りに左手薬指を摩っている。


「私、婚約して今年の六月に結婚することをまず話しました」


「それじゃあ、そちらの指輪は婚約指輪ですか」


「あ、はい。そうです」


「では。飲みの席で、先にご自身のことを山河さんに打ち明けられたと」


「はい」


「メールにあった『どうかお幸せに』というのは、あなたの婚約に対する祝福だったのですね」


「はい。そうだと思います」


「ちなみに、お相手のことも話されたんですか?」


「ええ。彼は、私が今勤めている会社の役員であることも話しました」


「今どちらにお勤めなのですか?」


「デューヴです」


「え。デューヴ!」


 素っ頓狂な声は、井上の声だ。

 大地は振り返って少し睨んだ。井上は、申し訳なさそうに頭を少し下げた。


「急に署員がすみません。デューヴって、大手の動画投稿サイトですよね。流行りの会社で勤められていて、そこで運命の相手に出会ったということですか?」


 話が少し中断したので、大地は会話を少し盛り上げるつもりで夢東に訊ねた。


 彼女の口元が綻び、笑みが溢れた。


「運命というか、まぁ」


 否定をしない。彼との出会いには、嘘のない笑顔のようにも見えた。


「確かデューヴって会社は、赤坂あかさか、いや溜池山王ためいけさんのうでしたっけ?」


「いえ。六本木ろっぽんぎです」


「失礼しました。以前は四ツ谷よつやの法律事務所にお勤めだったそうですが、転職してデューヴに入社というのは興味深いですね。というよりラッキーじゃないですか。お羨ましい」


「ラッキーと言われれば、そうかもしれません。でもデューヴに入れたのは事務員の増員があったからで、実際にはラッキーというより急募の時期に、東京に戻ってきたタイミングが重なっただけなんです」


「増員。東京に戻った、ですか」


「はい。七年前の東日本大震災で、かなり沢山の日本人の方と思われるアジア圏のユーザーから、デューヴに動画のアップロードがあったようなんです。震災被害の動画とか、ニュース映像とか」


「そういえば、ありましたね。そのような映像も何件か見たことがあります」


「はい。あ、私は見ると不安になるので殆ど見てなかったんですけどね。えっと、当時映像のアップ以外にも、ユーザー登録の急増もかなりあったようなんです。更なるユーザー獲得のために、アメリカ本社は日本支社を設立したんです。ただ当時私は、法律事務所を辞めて実家の宮古島に戻っていました」


「ご実家は宮古島ですか」


「はい。養殖業の事務員をしてたんですけど、震災の影響で出た津波で収穫の最盛期だったモズクが攫われてしまったんです。津波警報も出て、四千万近くの損害も出ました」


「遠く離れた場所で、そんな事も起きてたんですか。それは大変でしたね」


「ええ。何とか立て直したものの重ねて余震が多かったりしたものですから、観光業のピーアール強化をどうにか出来ないか東京に六年前、戻ってきたんです。それで、たまたまデューヴの事務職に就けたという感じなんです。あ!」


 急に夢東は声を上げた。


 机の上に置いていたハンドバッグから、ごそごそと何かを取り出した。


「すみません。忘れてました」


 差し出されたのは、名刺だった。


「コンテンツプロダクトマネージャーですか」


 少々長い肩書きだ。


「六年前は総務部だったんですけど、私があれこれ彼に色々と意見する内に、人員配置が何度かあって今のポジションに落ち着いたといいますか。彼はアメリカ本社から日本支部を設立するときに帰国したんですけど、日本の状況を全然分かってなくて。特に震災で大きなダメージを受けたのは東北でしたが、当時他の国々で『東京は壊滅した』みたいなデマも結構流れたんです。だから日本で起きてる『リアルな現実』を日本語のトップページに沢山表示させてたんです。具体的に被害状況を出せば、分かってもらえると思ってて。だけど、逆に日本人ユーザーからの感触は悪くて苦情も結構ありました。毎年三月になると、震災関連の動画に注目が再び上がりますから子供も見るようなコンテンツに震災の動画を出さないでくれっていう。それに、当時は対応が大変でした。アニメやAV動画とか無断でアップするユーザーもいて」


 何となく想像が付く。親がいない時間帯に子供が見ていたりするから、履歴で何を見ていたのかバレて怒られたりする。同時に企業宛にも苦情が来るのだろう。


「それで事務職から、仕事のポジションも変わられて、そのことを山河さんにも話したんですね?」


 夢東は、こくりと頷いた。


「はい。日本人が使いやすい画面を見るときのユーザビリティ改善とか、アクセス解析の分析を今は担っていると話しました。お陰様で今のデューヴには個人だけでなく、自治体や企業アカウントが沢山出来た話も。でも人気の投稿者とか配信者の方々が、他のプラットフォームに移られることもあって、山河くんには絶対他には行かないでと言いました。お酒が回っていたので、図々しい会話でしたけどね」


「なるほど。ところで、お酒が回ってきて山河さんからの話も何か聞きましたか?」


 夢東は少し天井を見るように上を向いた。


「えっと。確か、これから夏のイベントに出るよって話をしてましたね」


「夏のイベントですか?」


 視線が降りてきた。


「あ、はい。そうそう。わくわく動画さんの大型イベントです。夏会議とかいう名前のイベントですよ。一見、初めて聞く人にはサラリーマンの男の人たちが一堂に集まって何の会議をするのか勘違いしそうになりますけどね。わくわく動画さんで活動する配信者の方達を呼んで開かれるリアルイベントです」


 知ってる。

 大地は直ぐ思い出した。


 わく動のリアルイベントを、ネット中継で、一度見たことがあるからだ。高三の受験勉強に疲れて、休憩でチラッと覗いた。物販には沢山の人が並び、歌やダンスのあるステージもあれば、ゲーム大会のような会場もあり千葉の幕張メッセにあるアリーナ全体が、お祭りのようなイベントだ。だが一番記憶に残るのは、デカい鍋に煮え立つカレーを忙しそうにスタッフが掻き回している姿である。


「山河くんは八年前にアカウントを作られていて最初の一年半年くらいは、わくわく動画さんで主に投稿してたと聞きました。震災時期はテレビを観るのもうんざりした人が沢山いて、ほら、コマーシャルばかり流していた時期もありましたから。それで、わくわく動画さんを観るユーザーも、かなり多かったみたいなんです。再生数がヤバかったという話も聞きました」


「夏会議に出られるということ以外で、他に何か聞きましたか?」


 夢東は「うーん」と唸った。短めに。


「そうですね。あー少し悩んでた時期も聞きました」


「悩みですか。どんな?」


「裏切り者と言われることに悩んでた話を聞きました」


 もしかして宮本典明のことだろうか。

 緊張した面持ちで、大地は少し前のめりに訊ねた。

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