アーカイブ8:山河鉄男はなぜ死んだ?(1)


「えーと、ガイシャは、山河鉄男やまかわてつお。年は三十六歳。第一発見者である父親の山河要一やまかわよういちが息子と連絡が取れないということで、二月二十日の火曜日午後四時過ぎに部屋を訪れたところ頭から血を流して倒れている息子を発見。直ぐに父親は救急車を要請。救急隊員により死亡を確認。死亡推定時刻は、前日の夜九時から十一時。司法解剖より死因は頭部裂傷による失血死と断定。部屋で倒れていた付近は、このあたりですね。鑑識に回収されており何もないですが、ここには当時黒いカーペットといいますか、マットといいますか。その上にですね、仰向けで倒れていました」


 片手にタブレットを持ちながら、井上巡査は空いた、もう片方の手で床を指で差した。


「カーペットじゃない。これは、チェアマットだ」


 大地は井上が手に持つタブレットを覗いて、指で画面をコツコツ叩いた。発見された当時の遺体写真には、黒いチェアマットの上に山河鉄男が仰向けで倒れている。


「はぁ。そうなんですか?」


 井上はタブレットに映る遺体写真と床を見比べながら再度目を落とした。


「椅子の滑り止め用に床に敷くシートだよ。ゲーミングチェアマットっていうやつさ。俺の実家にも同じやつがある」


「へぇ。徳最先輩ゲームやるんですか?」


「マットがあるのは弟の部屋さ」


「あ、なるほど。弟さんがいるんですね!」


 大地はしゃがみ、部屋の隅々を見回した。既に捜査員が部屋の床にあった諸々を回収したため、綺麗に片付いている。唯一、机から随分と離れた場所に椅子があるだけだ。よく見れば黒いキャスターの部品には水滴らしき痕が付いている。血痕が飛んだ痕であり、鑑識によって回収済みである。


「致命傷となった頭部に出来た傷は、鋭利で硬い物だったよな?」


「ええ。後頭部に深い傷が入っています。真横に切った感じではなく、真っ直ぐ突き刺さる感じですね。血痕の付着した方角と飛び散り方から、高さ一メートル以下付近で、傷を負ったことが見受けられるということでした。床に硬くて鋭いものが置かれていたところに、ガイシャが倒れたとみるのが自然となります」


「それで凶器になったものは、当時ここにはなかったんだよな?」


「そうですね。救急隊員から警察に直ぐ連絡が入り、僕が現場を最初目にしたとき、この部屋の床には、壁際に鞄、カメラ用品、三脚、キャリーケース、それとガイシャの足元には潰れたゲームソフトの二箱がありました。カメラ用品は鞄の中に入っていたのですが、三脚は折り畳んで横に置かれていました。なので、鋭くて硬い物となるような形状はなかったと記憶しています。現場写真にも、そういったものは写ってないんですよね」


 タブレット端末に目を落とした井上は、液晶に指を置いた。左から右にスライドさせて撮影した写真を映した。


「先輩の仰ったこのチェアマットですか、ここに血が斜めに擦れてこびり付いてるのを見ると、ここにあったようなんです」


「なぁ井上」

「あ、はい!」


「近隣の聞き込みの方、難航してるのは本当なのか?」


「はい。難航と言いますか、まずこの部屋の現場は五階の一番奥ですから、騒音範囲は上下のフロアと隣になります。隣の住人は、子育て中の母親が夫の帰宅を待ちながら夕飯の支度をしており、上の階は雑誌をちょうど読んでいたときで、下の階の住人は作家を目指して小説を書いていたそうです。いずれも争う声や物音を一切聞いてないとのことです」


「全室やったか?」


「やりましたよ。当日から翌日に掛けて全室直ぐ聞き込みを行いましたけど、誰もこの部屋の物音を全く何も聞いてないとのことでした」


 大地は、じっと壁を見た。部屋は本棚に囲まれているものの、よく見れば壁には一枚一枚タイルが敷かれている。


「まったく聞こえなかったっていうのは、アレの所為か?」


 大地が指を差した。本棚のうしろに見えるグレーのタイルは壁一面に敷かれている。


「あーそうっすね。鑑識の人が、あと棚にはヌイグルミも所々に飾ってあるのも要因って。そんなに強力なんですかね?」


 熊や兎、虎や鼠の可愛らしい動物のヌイグルミだ。少なくとも数十体は等間隔に棚の上で鎮座している。


 大地は、しゃがんで床をコツコツと手の甲で叩いた。


「壁一面のタイルは防音と遮音専用。ヌイグルミは吸音材代わり。あと防音と吸音、遮音を兼ね備えた厚めの遮光カーテンに、この床材も遮音カット用のフローリングだな。部屋全体が限りなく外に漏れにくく作られてる」


 井上巡査が「おお」と感心の声を上げた。


「先輩。鑑識も同じこと言ってましたよ。配信専用の部屋なんだねって」


「近所の人に、この部屋の住民が何の仕事をしてるかも聞いたか?」


「それも聞きましたよ。誰も知りませんでしたね。一番接触の機会が大きい隣の住人も、挨拶をする程度だと。逆に誰か付き合いのある住人はいたか尋ねましたが、ガイシャが親しくしていた住人は全くいませんでした」


「全くか?」


「そもそも昼夜逆転した生活だったみたいで、亡くなる二日前の深夜にコンビニで買い物をする様子を店の従業員が覚えてました。夜十二時過ぎの防犯カメラにも買い物の様子が残ってました。というか夜の時間帯にコンビニを一人で利用することが多かったようですね。昼間の時間帯に買いに来る姿を見たことないそうです。それとガイシャが死亡した当日の数時間前ですね。夕方の十六時半頃に近くのスーパーに訪れています。ブランド牛は売ってないのかと店長に訊ねてました。年末年始に仕入れることはあるが普段は仕入れてないと店長は返答。山河は結局買わずに、店を出てます。高い肉を買おうとしたのは、高級食材を配信とかで使う為だったんでしょうかね?」


「山河は配信者だったからな。撮影で使える食材を調達したとも考えられるが、販売時期を把握しないで適当なスーパーでブランド肉を仕入れようとするのは少しムリがあるかもな。山河を発見した父親は、息子と夜ご飯を食べる予定だったと話していたから、百万人の人気配信を祝うために、自分で食材を用意して父親と食べる算段だったかも。山河が確実に生きていたと証明できるのは、夕方の食材探しでマンションに戻ってきたタイミングだったよな?」


「はい。十七時十二分です。結構暗いのですが、オートロックのマンションを一階で暗証番号を入れて開けるときと、エレベーターの中にあるカメラに五階行きのボタンを押している姿が映っています。父親にも確認済みです。それと帰宅以降についてですが、外出した様子はありませんでした」


 大地はベランダの戸を開けた。五階のマンションから眺める景色は、近くに公園、コンビニ、スーパー、住宅やアパートに小学校が見えた。派手な看板や風俗のような施設類もなく、特別気になるような景色はなさそうに思えた。


 ただ遠く薄らとだが、山肌が見える。今日は快晴でキャンプ日和とも言えるだろう。


「当時、配信部屋の窓は鍵で閉まってて、隣のベッドがある部屋も窓が閉まってた。リビングにあるガラス戸も鍵で閉まってたんだな?」


「閉まってました。配信部屋だけは窓が二重構造になっててリフォームしたみたいですけどね。内側から鍵が付いてました。寝室とリビングは、全く弄ってなくてリフォームしてないようで窓は閉まっており鍵もしてました。風呂場、トイレ、洗面所、念のため押入れも確認しましたが小窓すら付いてません。なので唯一鍵が掛かっていなかったのは、玄関だけです。ルミノール反応で、配信部屋から玄関までの間に血痕が点々と付着してましたから、まぁ確実に山河と接触した奴が出入りしたと捉えるのが自然じゃないすかね?」


「見た目だけを拾えばの話だけどな。死亡推定時刻に訪れた人間が関わっていると見せかけることが出来たら完全犯罪は他人に擦り付ける犯行だったかもしれない。そんな見方も出来る」


 田畑警部補が恐らく考えそうなことを大地は想像した。状況証拠だけを見ていけば、通報前に第一発見者の父親もしくは何らかの関わりある第三者が血痕をワザと残して、撹乱かくらんさせることも出来たとも捉えられるからだ。


「えー。どうでしょうね。親子関係や親しかった配信関係者との間もイザコザもなく良好そうですけどね。ガイシャと揉めてた話や、住人と何らかのトラブルもなく交友関係を洗ってる現状の範囲では、皆んな良い人だったと話してます。前日に訪れた以外、怪しい人間関係の浮上は今のところありませんよ」


 大地は壁に掛けられた幾つかの写真と、棚の一角に飾られた写真をそれぞれ眺めた。高尾山たかおさんふもとで撮影したらしい父親の要一と息子とのツーショット写真や、焚き火前で複数人の二十代と思われる若者らと写っている写真である。


 山河と焚火前でピースをしている若者らは、瀬尾というプロゲーマー、デューヴで活躍する人気配信者が数名映っていた。


「生きてた山河と最後に接触したのは、やはり編集担当者だけか」


 見たものを推察するだけなら、顔見知りの犯行。金品や金目のものが盗られてる家探やさがしの形跡はない。父親も部屋から紛失したものはないと話していたが、唯一あるものだけ無くなっていた。


「ま。奴で完全に確定っすよ。先輩。致命傷になった頭の傷は、現場から持ち去られたデューヴのトロフィーなんですから。自宅に持ち帰って綺麗に血を拭って持ってたんですから。コレを!」


 タブレット端末をコツコツと指先で叩いた井上は、大地に見せた。


 デューヴでの配信者に送られる記念品は、先端が鋭く三角形のクリスタルで出来た高さ二十センチくらいあるトロフィーだ。


「チャンネル登録数二十五万人記念か。五十万人記念の盾は棚にあるのに、何でわざわざ血の付いたトロフィーを持ち帰ったんだ?」


 この事件。単純なようでいて、変な事件なのだ。

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