アーカイブの切り替え:徳最大地の場合


「八年前だ。俺が田畑警部補に初めて会ったのは、高二の時だ。学校帰りに葬式会場があって、立ち寄るつもりはなかった。けど、そこで親戚らしきグループが話してたのをたまたま聞いて。交通事故に遭った子供を担当した刑事が親身に話を聞いてくれたと立ち話をしていた。—―ほらっ、あの人って、グループの一人が人差し指を向けた。背が小さくて、百七十もない。紺色のペラペラなコートを着ていて、中はスーツ姿の四十代くらい。田畑警部補は眼鏡と帽子を被ってて葬式会場の親族らしい人と神妙な顔で話終わると、黒い傘を差して会場から離れた。親戚らグループを通り過ぎたときだった。ほんの一瞬笑ってたんだよ。でも俺と目が直ぐ合って『もしかして君は、友達?』と聞かれた。だから『そうです』と、俺は嘘を付いた」


――『そうか。残念だったね。でも友達が来てくれて、彼も喜んでると思うよ。この先で君が長生きして、彼の代わりに見れなかった景色を見ていくんだ。たまに、その報告をしてあげるといいよ』


「嘘を付いたのは、本当にこの人が刑事なのか確かめたかったっていうのもある。当時葬式会場に集まっていた親族らは皆んな田畑警部補は本当に良い人って言ってた。いつも変わらず柔和で、ニコニコしてるから人当たりがよくて腰も低い。そういう模範的な刑事だから慕う人も多いけど、表面上のことだけだと思う。俺には少なくとも、そう見えたんだよ」


――『刑事さんも、お葬式に来られるんですね。ちょっと意外です。ただの交通事故なのに。担当者としての義務感ですか?』


――『ただの、というか。大型トラックの下敷きになってしまった酷い事故だったからね。ご両親も相当にショックを受けてるから。放っておけなくて』


「話終わって警部補が立ち去ろうとしたときだ『友達じゃないって』亡くなったことを事前にメールで知ってたけど葬式は不参加表明を出してたから、俺は白状した」


――『友達じゃないのか』


――『違います。奴とは良い仲ではなかったので。むしろ死んで、せいせいするくらいです。学校がこの近くで、たまたま通っただけなんです。俺にとって良いことは何一つなかったので』


――『そうか。良いことは何一つなかったか。でも人生はコツコツとした積み重ねが、とても大事なんだよ。そうやって生きていけば良いこともいずれある』


――『良いことって何ですか?』


「その言葉の意味を田畑警部補は教えてくれなかった。というか聞きたいなら自分と同じフィールドで働く警察に入って再会したときに、教えてあげると言われた。だから、俺は警察学校に入った。昔、不良に絡まれて舐められないよう剣道に柔道と頑張っていたけど。最初から警察を目指す予定はなかったんだ。役には凄く立ったけど。それで卒業前に学校で再会したんだ。田畑警部補は目を細めて再会を喜んでくれたし、もちろん、理由も教えてもらった。俺が高二の時に会った警部補は、まだ警部補じゃなかった。あの頃は、田畑巡査部長だったんだ」


 口をポカンを開けた井上辰巳いのうえたつみは、目をパチパチとしばたたいた。警部補に挨拶をキチンとすること以外に媚びを売るようなそぶりもない。それなのに昼飯を奢ったり、時に捜査の進展を積極的に促したり、いつから警部補と親しくなったのか井上は、大地に尋ねたのだ。


 眼鏡の端に触れて井上は角度を整える。


「えっと。つまり徳最先輩。その交通事故の担当を親切に対応したことで巡査部長から警部補になったって話ですか?」


「かなり上からの指示があったからだろうな。厳密には誰からの指示で動いたとか話してない。ただ『よろしく頼む』と普段は言われることのない言葉を改めて当時の警部と警部補に言われたそうだ。もちろん他にも田畑警部補は色んな事件を担当してたし、四十代で警部補に昇進は珍しくない。それまでの功績諸々を含めての昇進ってことさ。田畑警部補は言ってたよ。やるべきことをコツコツとやる。それを繰り返していけば良いことがある。だから今思えば、葬式会場から抜ける時、昇進が約束されてたから、ニヤついてたんだなって」


「マジすか。僕も交通事故を担当して昇進できるかなぁ」


 大地は溜め息を付いた。


 井上は、どこかのんびりしてるところがある。交通課からの異動で刑事課にやってきた巡査の階級だが、着眼点を買われて入ってきた期待の新人と聞いている。


 田端警部補から、宜しくと頼まれて新人の面倒を見ることになったが、今のところ期待できる着眼点というのはまだ感じられない。

 

「徳最先輩。これを見てください。懐かしいですよね。僕、昔これやりましたよ!」


 大地が振り返ると、井上巡査はタブレット端末に手を添えてスライドさせた。液晶に映る画面には『フューチャードライブ』と『遙かなる天空の旅路』と書かれたゲームソフトが転がっている写真だった。残念なことに、箱がひしゃげてしまっている。


「勿体ないな。中古屋に行けば良い値段で売れるのに」


「え。これ今そんな良い値段するんすか?」


 井上が驚いた顔を見せた。


「確か数万円くらいの価値はあったな。少し前にテレビで取り上げられていたのを見たときには、そんな値段だったよ」


「へぇ。そうなんですか!」


「それより、俺たちは遊びに来たんじゃないんだ。警部補にもう一度確認して来いと言われたんだぞ。ちゃんと仕事をしてくれ」


 井上巡査は「はい」と肩をすくめると、タブレット画面に指を添えて真横に滑るようスワイプした。

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