アーカイブ7:俺には関係ない(3)


 通用口から非常口階段へ向かい急いで二十階に下りた。


「あの、すみません!」

「え。どちら様?」


 そこにいたのは小森千鶴ではなかった。


 もの凄く細い眉をひそめた女性が、俺を睨むように見上げた。


 四十代、いや五十代後半だろうか、随分と年上な雰囲気を感じる女性が受付に座っていた。


 小森とは、かけ離れている。


「えーと。取りに来ました!」


「取りにって。ああ、マウスの回収? でもケーブルを繋ぎ直したら動いたのよ。接触が単に悪かったみたいで」


「いえ、マウスじゃなくて。あの、番組編成部の徳最です。月刊紙を取りに伺いました!」


 ネームプレートに田中と記載された受付嬢は、困った顔で細い眉がハの字に下がった。


「あー。IT部門の子じゃなくて、メモ用紙の人ね。月刊紙の方。でも内線でメディコンが担当だからって。直ぐ掛け直したのよ。さっき納品を持ってって貰ったから」


「あ。そうなんですか。一冊だけ最新号が欲しかったんですけど」


「最新号なら、そこの机の端にも置いてあるわよ。来客用だけど。誰も読まないから、持ってって良いわよ?」


「あり、がとうございます。えっと、そういえば、いつもここに小森さん居ますよね。今日は来てないんですか?」


 それとなく世間話のように訊ねたが、受付嬢はジロリと俺を一瞥してパソコンのモニター画面に視線を戻すと面倒そうにマウスをカチカチと鳴らした。


「午前中はいたわよ。午後は休み」


 パソコンから目線が俺に移動して、またじっとみられた。


「ああ。そうだったんですか」


「小森さんに何か用?」


「あ、いやなんか、今マウスの話してたじゃないですか。僕も最近マウスとかキーボードとか、カチカチやっても鈍くて結局取り替えたんすよ。もしかしたら、ここの受付に置いてある小森さんのも、そろそろ取り替え時期だったりするのかなと。そちらの機材もどうなんだろうなって」


 彼女は小森の机上に目線を落としたが、直ぐ視線は俺に戻った。


「さぁね。分からないわ。使いづらそうには見えなかったけど」


「なら良かった。どうも長々と、お手数お掛けしてすみません!」


 作り笑顔で軽くお辞儀をした。踵を返して、急いで通用口に向かう。非常口階段を駆け上がった。


「おい。織田ぁ。ダメじゃん!」


 なんて間が悪いのだろうか。

 仕方なく部内に戻ろうと一歩踏み出したときだ。


 スマホが震えた。


 ポケットから出してみると進路相談室の藤原からのメールだった。


― 徳最君。その後インターンどうかな。一ヶ月働いてみた報告を、そろそろ時間あるときにでも教えてほしい。もしインターンを続けるのが難しそうであれば他に企業の合同説明会とかもあるから開催予定表を送るよ。—


 翌日、進路相談室を覗くと藤原は誰かと話していた。


「あ。徳最君!」


「どうも。来客中なら、また後で改めますけど」


「全然大丈夫。むしろ丁度良いタイミングで来たね!」


 藤原と向き合っていた人物が椅子から立ち上がり振り返った。ひょろりとした細身の高身長。眼鏡を掛けている。


 男と目が合う。一瞬、上から下を、ざっと視線が走るような動きを感じた。


 分析家のような視線だ。


「川崎君。彼が徳最君だよ。今アルファケーブルネットワークにインターンで入ってて、一ヶ月が経つ」


 冷ややかな視線が穏やかに和らいだ。


「こんにちは。川崎です」


 名刺を貰った。川崎創也かわさきそうやとあった。株式会社Gドライブの社員とある。聞いたことのない会社だ。


「あ、こんにちは。徳最です。えっと」


「徳最君。川崎君は、元アルファケーブルネットワークの社員だよ」


「えっ。そうなんですか!」


「川崎君。先輩として何かアドバイスしてあげてよ」


 川崎は微笑んだが、直ぐ渋い顔に変わった。


「いやいや大した仕事はしてませんでしたから、アドバイスできるほど何もありませんよ。僕がいたのは二年だけですから」


「あの、じゃ逆に相談なんですけど。俺、インターン先に提案しなくちゃいけなくて。どんな提案をされたのか、お話を伺うことはできますか?」


 自分から質問してみることにした。


「え。待って。インターンに提案させる課題、あの会社まだやってるの?」


「やってますよ」


「僕のときだけじゃなくて、ずっと続いてるのか。へぇ。懐かし!」


 川崎は顔を綻ばせた。


「俺、全然まだ提案を何一つできてなくて、凄く悩んでるんです。芸能人を使った広告塔提案は以前ダメだったのに、社長の独断で決まるとかあるし。それなのにエンタメ系の提案はダメらしくて」


「難しいよね」


 同情するように川崎は、うんうんと頷いた。


「川崎さんは、どういう提案をしましたか?」


 成功例を聞ける機会だ。

 二年勤めといえど、少なくとも何か提案して採用されたケースはあるだろう。


「あー、僕は」


 何だか歯切れが悪い。

 川崎は直ぐには答えず、視線を少し泳がせてから口を開いた。


「スポティって知ってる?」


「それって音楽を聴く配信サービスのやつ?」


 川崎は頷く。


 スポティ(SPOTI)とは、一億人以上が利用するという世界最大をうたっている音楽ストリーミング配信サービスだ。十年くらい前に北欧でサービスが始まり、日本でのサービス開始は数年前のことだ。


「スポティに提案したんだよ。ある種のコラボみたいな感じのプロモーション戦略の一つとしてね」


 想像ができない。

 どうして音楽のストリーミング配信に、スポーツチャンネルの加入者増加の提案が叶うのだろうか。


「えっ。具体的にどういう提案で?」


「枠を作ってもらう提案をしたんだ。期間限定の企画として」


「枠?」


「アスリートが、よく聴くプレイリストをスポティで公開したんだよ。音楽を聴くアスリートって多いだろ?」


 確かに。試合前や試合後、筋トレをしてるときとか、音楽を聴く選手は多い。試合会場に向かう移動バスの中で、音楽を聴いてるような様子をテレビでも何度か見たこともある。


「スポティに作ったアスリートのプレイリストは、一番最初のトラックの始めで各競技ごとの選手をラジオ風に紹介してもらって、トラックの一番最後には、αスポーツを紹介するように流したんだ」


 なかなか眼から鱗の話である。


「でもどうしてスポティで提案しようと思ったんですか?」


 一番の疑問だ。普通、スポティに提案をしようだなんて至らない。


「スポティってさ今や誰のスマホにも必ず入れてると思うけど」


 俺もたまに聞いている。


「僕がインターンをやっていたときは、日本でのサービス開始が始まったばかりの年でね。けれど似たようなサービスはスポティ以外にも、既にあったんだ。レコード会社との許諾交渉に時間が掛かって日本でのサービス開始が遅れた。当時スポティは、定額制の音楽ストリーミング配信の中で後発だったんだよ。だからいかに拡大していくか、認知を高めるのが課題だった。そこで、αスポーツのチャンネルをスポティの中で紹介することを条件に、現役で活躍する特に音楽を聴くアスリートから改めてインタビューをして最新のプレイリストをスポティに提供したのさ」


「なるほど。でもスポティ側が取材しようと思えばできますよね?」


 プレイリストの提供を受けずとも作れるはずだ。


「それがね。できないんだよ」


「なぜです?」


「なかなかナイーブなアスリートもいたんだよ。成績が悪くて結果が乏しいときは取材を受けたくないっていう理由でインタビューを断るケースがあったんだ。それに普段馴染みのない記者が来ることを嫌がるアスリートも結構いる。気難しいアスリートに企画を聞いてもらいリストを教えてもらうには何度も取材を重ねてきた信頼のある相手でないといけない」


 日本でサービスが始まったばかりのスポティにとって、スポーツチャンネルを運営する会社からの提案の打診は、需要を兼ね備えていたようだ。


「あのころ僕の提案に、首藤さんって人がインタビューを取ってくるよって言ってくれてね。あっという間に三十人分が集まった。あの人って誰にでも直ぐ仲良くなれるコミュ力の天才というか傾聴力が凄い人だった。まだいるかな?」


「あ、もしかして番組編成部にいた首藤さん?」


「そうそう! って今は違うの?」


「今は青葉台の撮影スタジオにいます。異動になって」


「横浜で勤務中なのか。仕事一緒にした頃が懐かしいよ。僕は中学と高校はバスケ部でね。首藤さんとランチをしながらバスケの話をしたのは楽しかったな」


 懐かしい昔を思い出すかのように、川崎は目を細めた。


 どうして彼は会社を去ったのだろう。

 辞める理由が、なんとなく気になった。


「あの差し支えなければ、なんで辞めたのか聞いても?」


 川崎は瞬時、顔が強張ったが小さな溜め息を付いた。


「スポティの提案でインターンから正社員になったんだけど、それ以降まったく提案が一つも通らなくてさ。頑張って三百案を出したんだけど、鬱になって辞めたんだ」


 言葉が直ぐに出てこなかった。



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