アーカイブ5:会員制個室の焼き肉会(6)
「嫌々で受けたのか」
「新しいゲームソフトで遊びたい年頃で、真剣に受けたら買ってやると言われたんだ。だから審査会場の待ち時間に見学した事務所内の他の部屋を覗いてさ、練習中のシャノンボーイズ所属の子のダンスレッスンを盗み見して必死に
「だったら事務所を辞めれば良いんじゃね?」
入野井は鼻で笑った。
「そうできたら良いんだけど。事務所を辞めるには金がいるんだ」
「金?」
「違約金十二億」
「はぁぁ?」
「契約で決まっているんだ」
「そんな契約なら最初から結ばなきゃいいだろ!」
「最初からそんな内容で書いてないさ。競合他社でタレントが勝手に流れていかないよう数ヶ月から数年の契約をさせられる。期間限定での雇用契約をね。でも未成年の取り決めは親がするんだ。俺は親の意向で、ほぼ言いなり。自分で手続きできなかった。だから十八になって辞めると言った。俺に渡された契約書には違約金の支払いが含まれている内容になってた。いつ辞めても良いけど、違約金なしでは辞めることができない」
滅茶苦茶だ。そんな労働条件、聞いたことがない。
「なんだよそれ。奴隷じゃん」
「奴隷だよ」
「でも、不当な契約なら訴えたら良いんじゃないか?」
「ムリだよ」
「なんで?」
「俺の親が自滅する」
「はぁ?」
意味が分からん。
「母さんは、事務所の社長と不倫してるから」
なんだって?
「社長は既婚者。そもそも俺の不当な契約は母さんが社長に提案したものなんだよ。だから可笑しな契約が俺に突き付けられた。ギャラも以前よりかは比べ物にならないくらい貰えるけど、違約金を一括で支払えるわけじゃない。俺の他にも違約金を積まれて契約させられている奴もいる。けど、むしろ高額なギャラに納得して続けてる。中には訴えようと準備してた奴もいたけどな。そいつの身内の借金を社長が目敏く見つけて便宜を図って肩代わりした。身内は社長の味方に付いて訴えを辞めさせた。それとドラッグパーティー開いてスキャンダルを起こそうとした奴もいた。けど警察や弁護士、パーティーの参加者に多額の金を積んで黙らせたこともあった。ネタを掴んで記事にしようとする出版社にも金を握らせて黙らすんだよ。俺が、今日呼び出した記者は、どこにも属さないフリーの記者だったんだ。じゃないと社長は、あの手この手でネタを潰すからな。そういうところなんだよ。あの事務所はさ」
華やかな世界で活躍するアイドルの知られざる裏の世界―――だが信じがたい話だ。そんなことが本当にあるのか。
「ドラマや映画の話だけかと思った?」
考えていたことを見透かされた。
入野井は自嘲気味に笑うと訴えを起こすと、母親の不倫や社長に持ちかけたという話が世間に露見することを意味する。
「だからスキャンダルを起こして事務所の炎上を狙ってるわけか」
「母さんと縁を切るにしても、親をどうにかするより先に事務所が無くなれば状況は一変するだろ?」
「かと言って、事務所が炎上しても直ぐに解散になるわけないだろ。それで上手く抜けられるかなんて保証もないだろ」
「事務所は絶対に解散になるさ。お前が握ってるマイクロSDカードには、あらゆる不祥事ネタが詰まってる」
「詰まってるって。解散になるほどか?」
「そうさ。社長は他の事務所の女のタレントとかアイドルとも寝てるし、ウチの事務所に所属してる他の奴らも共演者と寝てる。マンションには一部ファンの出入りも普通にあるし、夜な夜な乱行パーティーなんかも開くから、大量のアルコールやクスリの消費も酷い。成人前から恒例行事なんだよ。その一連を全てビデオ付きで回してたんだ。事務所内で密かに付き合ってた奴の彼女が、他のメンバーに寝取られてるビデオなんかも収められてる。そのデータが世に出れば事務所は間違いなく完全に終わりを迎える」
クソやばいデータだ。怖くなって、俺はポケットからカードをポイッと机の上に置いた。
「だ、だからって。もしこれをばら撒いたところで、下手したら逆に訴えられて名誉毀損とか損害賠償とか、降りかかってくるかもしれないじゃないか!」
これは関わること自体が間違ってる。
「さあな。木っ端微塵に事務所が無くなれば、訴えるどころじゃないと思うけどな。全部事実だし。ゴミのような事務所が、いつか綺麗な事務所になるなんて、期待してない。俺は抜けたいんだ。自由になって好きなことをする」
明らかに疲れた顔だ。
目の前の現実に入野井は絶望しているのだ。事務所の炎上を望むとは、なんて悲しいアイドルだろう。
「だからといって協力できねぇよ。確かに酷い事務所だと思うよ。でも自ら手を下さなくたって、というか人に頼むより、いずれは問題になるものは何かの拍子に世間に伝わると思うぜ?」
「どうして、そう言えるんだ?」
「今の世の中、直ぐSNSのトレンドに上がるだろ。社長にしろ他のタレントにしろ、誰か一人でも炎上したら芋づる式に露見するさ。そのときまで、ゆっくり構えていりゃいい。ストレスが酷いだろうから、仕事以外でストレス発散になることをしたら良いだろ?」
入野井は眉を潜めた。
不満なのだろう。
「なんだ。折角、個室焼き肉俺の奢りなのに協力してくれないのか」
鼻で笑い、彼は深い溜め息を吐いた。
「だ、出すさ!」
山盛りになった皿に盛られた肉を頬張った。少し冷めているが、柔らかい肉だ。
「何これウッマ!」
「特上熟成肉コース一人三万円」
「え!」
「払える?」
マジかよ!
驚きすぎて言葉が出てこない。
えーと、今日の俺の財布の中は確か五千円は入っていたような。
福沢諭吉など、なかなか財布には入れない。俺は無駄遣いをするタイプではないのだ。
「ストレス発散。そうだ。ストレス発散だよ。やばいことには協力できないけど、ストレス発散には付き合ってやるよ。何かやってるスポーツでも、あ、ジムに行って身体鍛えてるだろ。何かサポート必要ならジムにも行ってやるし。なぁ、ストレス発散は何でしてるんだ?」
やばい。三万円を払うことなど俺には出来ない。かといって必死に考えても回避する手段も思い当たらない。
ダメ元で入野井に提案してみた。
向かいの席に座る男は眉山にシワを作り、視線を宙に彷徨わせて唸った。
「ストレス、発散。うーん」
そして何かを思い出したのか、それとも閃いたのか「あ」と声を出して宙から視線が降りてきた。
彼は一言述べた。
「ゲーム」
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