アーカイブ5:会員制個室の焼き肉会(5)


 どうして俺は、ここにいるのだろうか。


 良い香りのする上質な肉が網の上でジュウジュウ焼けていく。


「はい。カルビどうぞ」


 入野井はトングで肉をつかむと、俺の目の前にある皿の上に置いた。


 状況が、よく分からない。


 三十分前だ。


 入野井の胸ぐらを掴んで今にも殴りかかりそうな気持ちを抑えながら、こいつに言われた言葉は「腹減った」であった。俺が取り上げたマイクロSDカードを売れと言った直後に、空腹で腹が鳴るとか。


 場所も悪かった。上階から降りてくる人の気配を感じて、入野井を離してしまった。まだ話が終わってない内に、非常口階段の扉を開けて出て行ってしまった彼を追い掛けるしかなかった。


「売れってどういうことだよ?」

「お前さあ、声大きい」


 指摘されて直ぐ自分の口を手で押さえた。

 スパイラルビルを出た入野井は、足早になった。


「走れ」

「え?」


 急に、走れと命じた彼は駆け出した。後方を振り返れば、ビルを取り囲んで待ち伏せしていたファンたちが向かってくるのが見えた。


「やば」


 女子たちの視線が怖い。誰かが「入野井くん!」と叫んだから、道行く人も振り返ってこちらを見た。


 結局、全速力で走る入野井を追いかけながら渋谷センター街の雑踏を駆け抜ける。辿り着いた先は、看板のない鉄筋コンクリートビルで、分厚そうな扉を引いた入野井に「お前さ。よく俺のあとを追って来れたな。持久力すげぇじゃん」と笑った。


 そして今に至る。


「俺。金持ってませんけど」

「別にいいよ」


 通された部屋は、個室だ。漆喰の壁に大きな黒い柱と高い天井。白いライトに照らされた真っ赤なテーブルとソファ席は、女の子とデートできたら盛り上るところだ。


「食わないの?」


 突然の焼肉ディナーに、どうして俺は奢られることになるのか。まったく訳が分からない。


「さっき記者に渡そうとしたコレ。それを俺が持ってんだぞ?」


「だから?」


「だからって」


「売れば良いじゃん」


「な、何言ってんだよ!」


 冗談じゃない。インターン先の会社を裏切るなんてあり得ない。


「それを記者に渡せば少しは金になるし。お前が匿名で売ればバレないよ」


「なんで俺が、そんなことをやらなくちゃいけないんだよ! それに何で俺に焼肉奢ってんだよ! 意味わかんねぇよ!」


 箸で肉を摘み口に放り込む入野井は、忙しなく次々にトングで肉を焼いていく。


「誰でも良い。事務所を、ぶっ潰してくれるんなら」


「え」


 何だって?


 肉から視線を上げた入野井は、ジッと俺を真っ直ぐに見た。


「誰でも良いんだ。事務所が炎上してくれたらさ。なぁ。協力してくれよ?」


 言われた意味を直ぐには飲み込めなくて、俺は言葉が出て来なかった。


 入野井の目は、まったく笑っていなかった。


 どうして炎上を彼が望むのか。

 簡単には理解し難いものだった。


 顔良し、スタイル良し、ダンス良し。誰もが羨む芸能界でシャノンボーイズ事務所に所属する国民的人気アイドルだと言われているのに、その彼が自らの活動に終止符を打つような真似をするのは、庭か信じ難い。


「炎上って。事務所に恨みでもあるのかよ?」


 ジュウッと肉が網の上で爆ぜる音がした。


「やべぇ」


 入野井はトングを掴むと、肉を引き揚げた。焦げた肉を見て「遅かったか」と一言。


「おい。入野井!」


「あ? ああ。そうだよ。事務所なんか無くなれば良いと思ってるよ」


「なんで?」


「それは」


 網の上にスライスされた人参と南瓜が載せられた。輪切りにされた玉ねぎも追加した彼は「俺の人生をめちゃくちゃにしてくれたから」と答えた。


 再びトングで焼けた野菜を掴むと俺の目の前の皿に盛り付けられた。


「めちゃくちゃって?」


「俺は別に芸能界なんて入りたくなかった。親が、母さんが勝手に履歴書を送ったんだ。それで書類審査ってやつに通って、ダンスの審査を受けさせられた。でも小学生のときだぜ?」

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